「座禅の国際化について」
 
ジョン・フィリップス
 
第32号 蒼竜寺報 1989 (昭和64年1月)


釈迦直伝の弟子である達磨大師の西来意こそが、座禅の国際化一大意義でありました。 生まれ故郷のインドを離れて達磨大師は中国に座禅をもたらし、かの地において、禅は中国伝統文化の密接・不可欠なものとなったのであります。

日本に、最初の国際化の波が押し寄せてくるまで、禅は中国文化の一部分に過ぎず、その芸術面において影響が見られるだけでありました。

そのころ、国際知識を求めて中国に渡った日本の学匠達が持ち帰ったもののうちで、禅は最も大切なもの思想家の中で、特に傑出していたのは、永平寺を開いた「道元」でありました。 

道元は、長きにわたり熱心に仏教の弁道に打ち込み、曹洞禅を日本にもたらし、当時の日本の、国際化における最も重要な人物となりました。

多くの人は、外国の影響であることを忘れていますが、長い年月の間、禅は、日本文化社会の不可欠の要素となりました。 

日本では禅が発展するにつれ、禅は日本の芸術をより偉大な洗練されたものとなりましたが、日本は、外の世界に対して門戸を閉ざして(註・鎖国)しまいました。 これは西暦一八五三年(註・寛永六年)、アメリカ人によって破られ(黒船渡来)、これによって外国人は日本を訪問し、江戸末期の偉大な禅匠達について学ぶことが出来るようになりました。 

しかし、禅を学びに来た外国人の中でも、例えば「弓と禅」の著者であるオイゲン・ヘリゲル(註・ドイツの哲学者)でさえ、当初は参禅そのものを許されたのではなく、禅とかかわりを持つ諸芸を学ぶことを許されただけでありました。 

禅に対する関心は、次第に西洋、特に米国で高まりを見せました。日本からの移住者が、禅を含む仏教を持ち込み、また、鈴木大拙博士などの学者が禅の古典に関する翻訳や著作を公刊しました。 そのように、外国の多くの人々が座禅に注目し、うち、多くの人々が禅を学ぶために日本に来ました。

第二次大戦後、日系アメリカ人が各地に散らばり、日本文化に対する関心も広まっていました。 アメリカ人はほとんど敬虔(けいけん)な人々なので、禅が日本の伝統的古典芸術に強い影響を及ぼしているという事実に畏敬の念を抱いています。 特に、芸術家や作家が“ひらめき”の源泉として禅に注目しており、例えば、自然詩賞作家のゲリー・スナイダー「Gary Snyder」などは、日本の寺で座禅をしているし、前のカリフォルニア州の知事であったジェリー・ブラウン「Jerry Brown」などは、鎌倉の寺で座禅の修業をするなど、数え切れない程、普通のアメリカ人や、異った背景を持つ外国人が禅を学びに日本に来ており、今日ではアメリカ人「師家」さえ認められている程であります。 

いまアメリカでは、サンフランシスコからロチェスター、ニューヨークをつなぐ「禅センター」のネットワークが張り巡らされており、また、多くの大学で、教授達が禅を含む仏教の研究に打ち込んでおります。 

さらに、英語による禅に関する出版物、禅の古典の翻訳などがたくさん公刊されております。 

アメリカ人の生活に禅文化的な影響力の効果が顕著になってきており、歴史上、初めて、日本人が外国のやり方を学ぶために海外に行くのではなく、外国人が日本のやり方を学ぶために日本に来るという、日本の国際化の時代が到来しているのです。 

(清行・訳)
 
   
 
 


 
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