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最初にマニラでのレコーディングを思いついたのは、2年ほど前のことだった。それまでにも僕はフィリピンでの休暇を幾度となく
楽しんできたわけで、それは休暇と仕事を結び付ける素晴らしい方法に思われたのだ。そして去年の8月、レイ、アーノルド、テッ クといった気の合うミュージシャンたちに引き合わされた僕は、9フィートのヤマハ・グランド・ピアノを備えたスタジオを見つけ て、試しに2セッションを録ってみた。結果は上々で、日本での仕事から解放される次の休暇(つまり今年の2月)には、ここでCD一 枚分の録音をしようと心に決めたというわけだ。 一方で、フィリピン南部のヴィサイヤ地方に浮かぶボラカイ(Boracay)島は、フィリピンの中でも僕のお気に入りの場所になってい た。僕はこれまでに世界中の数多くの南洋の島々を訪れてきたし、それらはどれもみな一様に素敵な場所だった。ただ、ボラカイに はなにかしら特別な魔力のようなものが存在する。そうしたわけで、 CD録音を決めたときには、なじみやすくてぴったりくる表現 におもわれた『ボラカイ・ブルー』というタイトルも同時に頭に浮かんでいた。そして、無論、このことは僕自身が同名のタイトル 曲を書かなければならないということを意味していた。 構想は明確だった。マイケル・フランクスばりの軽やかなボサノバ調の一曲。5ヶ月ほどで仕上げることができるだろう。ところ が、怠け癖と雑事に邪魔され、結局、手付かずのまま。まあ、いいさ。アルバム名を『リック・ジママン・イン・マンダルヨン』に 差し替えればいいんだ。マンダルヨンとはマニラ都市圏にある町の名で、とにかくも僕がそこの音をとても気に入っているスタジオ の所在地だったのだ。 そうこうするうちにも、僕は折りに触れてレコーディングの計画を良き友人であり、また、時々の仕事仲間でもあるグスタボ・グレ ゴリオにたっ その後、1月のある日、突然、有効な案がもち上がった。基礎となる録音に要するであろう約2週間のうち、グスタボは半分のみに参 加する。そして、収録曲の約半数で彼がベースを担当し、残りの曲ではプロデューサーを務め、加えて「アウセンシア」と題された 自作のインストゥルメンタル1曲を提供してくれるというもの。 素晴らしいじゃないか! その後2月、マニラへの出発を1週間後にひかえた頃、グスタボからの電話を受けた。 “Sea and Sun” と題したボサノバを1曲書いたところだと 彼は言った。僕がその曲を気に入って、もしや今回のCDに入れたがるんじゃないかと彼は思ったのだ。メロディーの譜面をファックスで送ってく れるように頼んだ3分後、その楽譜を手にした僕は、早速、鍵盤でたしかめてみた。オイオイ、すごくいいぞ!だが、僕はその曲に惚れ込んだだけ ではなく、「これだ」ということをたちまちのうちに理解してしまってもいた ― これこそが「ボラカイ・ブルー」だ!今度はこちらからグスタボ に電話をかけ、これに歌詞をつけることをもちかけた。はじめのうちは曲名を変更することに難色を示していた彼も、さいごには僕の提案に賛成 してくれたのでおった。 そんなわけで、カシオの小型キーボードをフィリピンに持ち込み、レコーディングに入る前、ボラカイ島で過ごした1週間のあいだに、グスタボの 書いたやや困難なメロディーにあう詩をどうにか書き上げることができた。いや、実際には次のようなものなのだ。浜辺や小さな竹製バンガロー の軒下に腰を下ろし、青い空と海に囲まれていると、島そのものにインスピレーションを与えられ、ことばはむしろ容易に湧き出てくる、という ような。こうして、レイの心地よいフルートにノエルの甘美なギター、そしてデニスの広大な海を思わせるバック・コーラスが加わるにつれて、2 月のあの日、ファックスで送られてきた手書きのメロディーから出発したこの歌が、現在あなたが手にしているレコ。 [ドのかたちになるまで発展していくようすを見守るのは、今回のプロジェクトの中でも最もエキサイティングな部分となった。 さて、こちらが「ボラカイ・ブルー」です。この歌が、そして、このアルバムがみなさんに楽しんでいただけますように。 |
| リック・ジマ |
| 大阪にて 1999年10月 |
| (訳:西川由美子) |