vol.7 「遠足の弁当」(2000/02/17)

不快なことがあった。
毎日利用している自転車駐輪場のおっさんの態度があまりに悪く、腹に据えかねたので注意をし たところ、くってかかってきた。埒があかないので、管轄の交通安全協会に連絡したところ、 以下のような返答があった。
「ああ、あの人ねえ。ちょっと変わった性格しているんですよ。」
「私の方から本人に注意することは可能ですが、それで態度が変わるという保証は…。」
「私共の一存で人を雇っているわけではないんでねえ。」
などという返答が続いた。
きっかけとなったおっさん以上に、電話口のおっさんにむかついてきた。

そもそも、この自転車駐輪場は、数年前に駅前の放置自転車追放の一環で行政により進められた ものである。とともに、有料化された駐輪場には管理する人が必要となり、高齢者の雇用促進も 兼ねていると思われる。その運用の受け皿となっているのが交通安全協会なのだろう。
この政策には何ら文句はない。有事の時には多少心配だった放置自転車の山が減り、駐輪場を管 理するおじいちゃんたちと挨拶を交わす毎日は、悪いものではない。先のおっさんは特殊な例で ある。

一見すると、どこにも問題はないのだが、よ〜く見ると、ある。安全協会のおっさんの返答がそ れを表している。
つまり、安全協会にしてみれば、「一応管轄にはなっているけども、上からお鉢が回ってきたの に対応しているだけで、そこまで責任は持てまっかいな」というのが本音ではなかろうか。そう いう気持ちで数々のクレームにはノラリクラリ答えるという毎日は、何とも不健康ではないか。

実は、こういう構図は、安全協会に限ったことではない。会社組織では日常的にあることだろう。 ぼくも一応、会社組織に属する人間ではあるが、我が身を振り返っても、恥ずかしながら思い当 たることはある。
だからといって、生真面目に会社の全責任を自分のこととして考えると、えも言えぬ圧迫感に苛 まれることになる。

第三の道がある。"自発性"だ。
自分からやれば、当然、やったことに対する責任感も出てくる。先の安全協会のおっさんも、た とえ上からお鉢が回ってきたとしても、「それじゃあ、日本一の駐輪場にしてやろう」という気 概を持てば、あんな応対はしないはずだ。
ぼく自身のことで言えば、会社では次から次からいろんな指示、依頼が舞い込む中、精神的に憂 鬱な気分になったこともあった。人は本来、他人にコントロールされるのがイヤなのだ。この状 況を打破するには、選択肢はひとつしかなかった。指示される前に自分からやることだ。今は、 全部の仕事の6割から7割は自発的なものである。以前と比べて、むちゃくちゃ忙しくなったが、 精神的にはすごく健康的だ。
このメールマガジンも自分の意思で始めたものだ。これがなければ、もう少し睡眠時間をとれる のだが、とたまに思うが、自発的に始めた以上、誰のせいにするわけにもいかない。自分で始め たことは自分で尻をふくべし。

人から言われたことをやっているばかりでは鬱屈する。
かといって、人のやったことまで自分の責任の範疇と考えれば、こんなに重苦しいことはない。
少なくとも、自分からやったことは、自分で責任を持つということに徹し、自発的にやること をひとつずつ増やしていくことが健康的な生活への道だと思っている。

話は変わるが、ぼくたちが子供の頃、すごく単純なことなのに、自分の意思でできなかったこと がある。学校での食事だ。幼稚園から高校まで、昼食時間は誰かによって決められていた。さす がに高校生ともなれば、腹が減れば早弁をするが、何だか罪悪感がある。
食事というもっとも基本的なことすら、ぼくたちは誰かが決めた時間に従っていたわけだ。
ちなみに、遠足で弁当を残す人が少ないのは、外で食うからうまい、ということもあるだろうが、 それ以上に、自分の意思で食っているからうまいのだと思う。食べる時間も、食べる場所も自分 で決めるのが遠足のいいところだ。
毎日が遠足の弁当のようなら、どんなにいいだろう。

今からでも遅くはない。自分から手をあげる、ただそれだけのことで、遠足の弁当のような楽し い世界が待っている。

(三浦伸也)

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