■ vol.8 「本当にそう思ってる?」(2000/03/21)
隔週発行と言いながら、忙しさにかまけて、ついつい発行が遅れがちになっている。そんな状況
に誰も文句を言わないどころか、毎回感想を送ってくれる人もいる。本当にありがたい。中には
、文章を書くのがうまいと褒めてくれる奇特な方もいる。これは明らかにかいかぶりで、過去の
記事を読み返しても、あまりにも稚拙な表現に赤面することが度々だ。
が、唯一胸を張って言えることは、自分自身が本当にそう思っていることしか書いていないこと
である。稚拙な文章ではあるが、そのことについては、確信を持っている。
今でこそ、そんなことを臆面もなく言えるが、かつては文章が書けずに、かなりの時期、悩んだ
ことがあった。
少林寺拳法連盟に勤務していた頃、指導の傍ら、連盟機関紙の原稿を書く話が舞い込んだ。子供
の頃から作文を書くことを苦手と思ったことはなかった。原稿用紙3枚書いてきなさい、と言わ
れれば苦もなく書いていた。だから、ちょっとした自信もあったのだ。
が、実際には担当編集者のOKが出ず、80回近く書き直した。その後もそんなことがずっと続いた
。あれだけ文章を書くことが苦でもなかったのに、苦しくてしようがなかった。何冊も作文の技
術云々という本を読んだが、やはり書けないのだ。何度書いても、依然、担当編集者はすんなり
とOKを出さない。
ところが、あることをきっかけに書けるようになってきた。
それは阪神大震災だ。家族や友人が住む神戸に駆け付け、変わり果てた街に涙し、混乱した状況
の中で自分に何ができるのか、東京から一緒に行った仲間と歩き回って動き回って必死になって
考えた。そんな体験をレポートとしてまとめて読者に協力を呼びかけたのだ。担当編集者に原稿
を渡す際には、文句を言わさないぞ、という気持ちだった。案の定、一言の文句も注文もなかっ
た。
なぜ、原稿が書けるようになったのか。
それまでは、書く内容について、自分自身が本当にそう思っているかどうか、そのことを本当に
伝えたいと思っているかどうかということを突き詰めて考えていなかったのである。つまりは、
書き方の問題ではなく、それ以前の問題だったわけだ。
子供の頃に書いていた作文も、所詮は原稿用紙に文字を埋めていたに過ぎない。なぜそうするの
か。先生に評価されると思ったからだ。以前にも書いたが、ぼくは子供の頃から人の顔色や雰囲
気を察するのが早い方だった。だから、自分の中から言葉が絞り出されてくるという過程を経ず
、先生の評価基準をいち早く察し、小器用に対応していたのだろう。
さて、阪神大震災のレポートを書いて以来、ぼくは文章を書く前には、「本当にそう思ってる?
」と自身に問いかけるようになった。本当にそう思っていないことを書いても、単なる記号の羅
列にすぎないと思うようになった。ぼくの子供の頃の作文がまさにそれで、伝えたいことがある
わけではないのに文章を書くというチグハグなことをやることになるのだ。
自分自身が本当にそう思っていない以上、たとえ100万言費やしても、どんな技巧的な表現を
用いても、相手には届かないと思っている。
結局のところ、相手に伝わるかどうかは、内容ではなく、自身の思いの深さにかかっているよう
にも感じる。
とはいっても、ぼく自身、常に確信を持って自信満々に毎日を過ごしているわけではない。悩み
は多々ある。迷いもある。
ただし、迷いながら歩くという無責任なことはしたくないと思っている。
ぼくの子供の頃の無責任な作文は、例えば、仕事だからといって、そんなにいい商品とも思って
いないものを無責任に言葉巧みに売り込むセールスマンと根っこは同じなのだ。本当に納得しな
いまま歩くと、人に迷惑をかけることになる。
迷えば立ち止まるべきなのだ。立ち止まって「本当にそう思ってる?」と自身に問いかけてみる
べきなのだ。きっと答は自分自身の奥底から絞り出されてくるに違いない。
(三浦伸也)
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