vol.19 「教え過ぎは、ダメ、ダメ、ダメ」(2001/01/13)

去年の暮れにちょっとした事件があった。
それは、去年の12月中旬に行なわれた運動会での出来事。
この時期になぜ運動会かというと、神奈川県下のラグビースクールが、 県大会のシーズンを終えて、その表彰式を兼ね、毎年、この時期に運動 会を行なうのだ。
ぼくがコーチをしているスクールも参加した。各スクールのコーチたち は、プログラムごとに子供たちを引率したり、競技進行をしたりで、大 忙しなのだ。

運動会のメインといえば、何と言ってもリレーだろう。ぼくは、幼稚園 から小学3年生までが出場する低学年リレーの引率をしていた。
我らがスクールの子供たちは、予選をぶっちぎりのトップでゴールし、 決勝進出を果たした。

そして、事件は決勝で起こった。
ぼくは、2番目を走る幼稚園児についていた。1番ランナーはトップだ。 バトンタッチがスムーズにいくように、ぼくは幼稚園児をインコースに 並ばせた。引率役のおとなたちが当然のようにやっている行為だし、そ の行為が咎められようとはこれっぽっちも思っていなかった。
それが咎められたのだ。進行役の他スクールのコーチが、「放っておけ よ! そんなことをしているからいつまでも子供たちは自分で考えない んだ」と、コースに入っている引率役のコーチたちを引っ張り出した。
当然、ぼくも引っ張り出されたひとりである。何人かのコーチは「何す んだよ!」と怒鳴り返し、一触即発の状態になった。確かに、状況から したら、あまりにも唐突で、えらそうで、ケンカになっても不思議では ない。
が、ぼくは黙って引き下がった。何となく自分のやましさを言い当てら れたような気がしたのだ。
そんな舞台裏のトラブルをよそに、子供たちは優勝。しかし、何ともス ッキリしないままぼくは帰途に着いたのである。

帰ってからも、「そんなことをしているからいつまでも子供たちは自分 で考えないんだ」という言葉が何度も思い出された。なぜ、ぼくはあの 時、幼稚園児に介入したのだろうか。
あの時の自分の気持ちをよ〜く振り返ってみると、本音はこうだ。
リレーの際にバトンタッチのミスで順位が下がると、それに立ち会って いた自分の責任になる。それを避けるために、子供に介入していたわけ なのだ。

実は、そんな自分の醜い姿を自覚するに及んで、少なからずショックを 受けている。
自分や他人の"自発性"を尊重するというのがぼくのモットーだったはず なのだが、知らず知らずのうちに、自発の芽を摘みとっていたわけだ。

振り返ってみると、似たような状況は多々ある。様々な場面で介入し過 ぎ、教え過ぎている。そういう時は、決まって自分に自信がない時か、 周囲に流されている時だ。
例えば、ラグビースクールで子供たちに教える際も、新米コーチのぼく は自信がないので、絶えず何かを教えていないと、何もしていないよう で不安なのだ。
また、自分なりの指導方法も考えてはいるが、他のコーチの手前、知ら ず知らずのうちに右に習え、となっている。

少林寺拳法の指導の際でもそうだった。教え過ぎる時というのは、相手 に指導上手と思われたいからだ。相手を上手くしたいのではなく、自分 がよく思われたいから教え過ぎるのだ。

ぼく自身、最初から誰かに何かが教わって身についた、という覚えがな い。逆に、最初は誰も教えてくれる人がなくて、仕方なく独学で学んだ 場合の方が、身についたという実感のあるものは多い。誰に聞けばいい のかさえわからず、知らない人に手紙を書いたり、何軒も本屋を回った りもした。
今から思えば、そういうプロセス自体がとっても楽しく、自分でひとつ ひとつクリアしていっている実感が心地好かった。

ところが、教え過ぎるということは、そのプロセスを奪ってしまうこと になる。だから、子供でも、おとなでも、教え過ぎられると、自分で考 えなくなり、やる気もなくすものだ。
創造の芽を育てるには、教え過ぎないこと。いや、教えることすら必要 でないかもしれない。第三者は、見守ること、そして、問いかけること で充分だと思う。本人が疑問を持っている限り、答は必ず自分で見つけ るものだ。

子供に、部下に、後輩に、指導やアドバイスをしている際、言葉が多い なあと感じた時は要注意。教え過ぎだ。
人が持つすばらしい創造力の芽を摘まないために、自戒の念を込めて、 「教え過ぎは、ダメ、ダメ、ダメ」

(三浦伸也)

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