■ vol.21 「魂を込めんかい!」(2001/03/21)
今月末に埼玉県川越の隣の鶴ヶ島市というところに引っ越しすることになりまし
た。
いろいろと探して、ようやく希望通りの部屋が見つかりました。地元の不動産屋
の担当はごっついええ人やったんですが、物件を管理しているのは、新宿にオフ
ィスを構える大手の不動産屋。この担当者が頼りないやつなんです。
こっちは、気持ちよく新しいところに入居したいので、いろんなことを細々と確
認します。ところが担当者は、面倒臭いので、言葉巧みにその場で曖昧にすまそ
うとするんです。ぼくの雷が落ちてからは、ビビりながらやっているようですが。
なんで、一所懸命やらんのじゃ。
魂を込めんかい!
その日、引っ越しの準備等でバタバタしていたので、夕飯は家族全員で近所のラー
メン屋に。
子供用のイスによちよち歩きの子供二人を座らせようとしているところに、アルバ
イトとおぼしき店員が、子供の目の前に「お待たせしました」と言って、熱々のラ
ーメンを置こうとする。
なんちゅう鈍感なやっちゃ。危ないがな。
その後、とり皿を頼むと「わかりました〜」と言って、そのまんま。なんで、そん
なボ〜ッとしとるんじゃ。
魂を込めんかい!
魂を込める、というのは、今の時代には流行らんですね。でも、ごっつい大事なこと
やと思うんです。
スポーツの世界では、一時、「根性」だの「気合」だの、精神論が流行りましたが、
今はむしろその弊害の方が取りざたされています。
でも、やっぱりぼくは、根性も気合も大事だと思うんです。
ただ、順番が問題ですね。
今までは、技術修得のプロセスで根性や気合を求めていました。
うまくできないから、コーチや先輩が何度も何度もやらせる。フラフラになると、
「気合を入れろ」「魂を込めんかい」と怒鳴られる。
こういう場合、やり方がわからんから、何度やってもできんのであって、コーチは
その問題点と対策をわかりやすく伝えてあげんといかん。人に言われて根性なんか
出るわけない。
こういうことが弊害として最近言われ始めてるんですね。
じゃあ、魂を込める、なんちゅうのはどこで必要なんでしょうか。
最初です。
つまり、魂を込められるかどうかは、要はやる気の問題です。やる気の度合いが高
いか低いかは、その人のモチベーションに関わってくる。
だから、どういうモチベーションに基づいて、今、その場にいるか、あるいはその
場に入ろうとしているか、ということを最初に確認することが、魂を込められるか
どうかに直結すると思うんです。
大学の入試なんかでも、学力よりも、「なぜこの大学のこの学科を選んだのか」と
いうことを、本人が徹底して深めるプロセスがあった方がええような気がします。
学力や能力なんかは、魂を込めることができたら、あとからなんぼでもついてくる
もんやと思います。
で、最後はやっぱり根性なんです。最後の踏ん張りは根性があるかないかにかかっ
てくる。回りが「根性や」なんか言わんでも、最初のモチベーションが高ければ、
放っといても頑張ります。
・最初はやる気。「なぜ、それをやるのか」
・技術修得は合理的に。「なぜ、それができないのか」
・最後は根性。「あきらめたらあかん」
こういうことを常にループさせることが大事やと思います。
冒頭の不動産屋の担当者やラーメン屋の店員は、なぜ、この仕事をしているのか、
ということを振り返ってないんやと思います。
ところで、じゃあ自分はどうなんや、という問いが当然のようにわきあがりますが、
残念ながらすべてのことに、魂を込めることなんてできていません。
ただ、魂を込めることと、適当にやることは、できるだけ明確にするように心掛け
ています。
「魂を込める」…響きはしんどそうな感じがするけど、実は気持ちええんやけどな
あ。
(三浦伸也)
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