■ vol.30 「削る」(2002/1/4) | |
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あけまして、おめでとうございます。 今年も、忘れたころにやってくるコミュニケーション・ジャーナルをよろしくお願いします。 新年といえば、「抱負」。 今年は、あれをしよう、これをしよう、などと毎年思うわけですな。 糸井重里氏が運営している「ほぼ日刊イトイ新聞」というホームページでは、レギュラーメンバーが今年の抱負を語るコーナーがあるんです。 ちょっと変わってるのが、「逆抱負」なんです。 つまり、"今年はこれをやろう"ではなく、"今年はこれをやらない"なんですね。 この発想っていいですね。 実は、ぼくは常々、削ることはすごく大事なことやと思ってるんです。 余分なものを削っていくということですね。 例えば… ・楽しいことをしよう、ではなく、嫌なことはしない。 ・ いいことをするのではなく、やましいことはしない。 ・ 正しいことを言おう、とするのではなく、ウソは言わない。 ・ 好きなことをしよう、ではなく、嫌いなことはしない。 等など。 これは、ぼくの持論ですが、人間は、元々、楽しいことをやろうとするし、いいことをしようとするし、正しいと思ったことをやろうとするもんやと思うんです。 子供を見ていると、放っておいても、楽しいことをやろうとするし、自分にとっていいことをしようとしているように思うんです。 特に、2才や3才くらいまでは、それが顕著で、意識と無意識が分かれてないように思うんです。 思いと行動が一緒なんですね。 それが、小学校に入る頃には、「学校に行きたくないけど、行かなあかんし…」などと、意識と無意識が分離してくることが時々出てくる。 おとなになると、もっとひどいですよね。 自分でつくった世間の常識のようなものに縛られて、嫌なこともやってしまう。 で、「いつかは自分の好きなことをやるぞ」という思いを胸に、日々、嫌なことをやっている。 意識と無意識がいつも分離してるんですね。 意識と無意識が一致しているのは、何も幼い子供だけにしかできんことやないと思うんです。 例えば、楽しいことや、正しいことをやろうとすることは、人間が元々もっていることやとすれば、あえて意識的にやろうとせんでも、それを阻んでいることを削った方が理に適ってますよね。 つまり、意識すべきは、好きなことをやることではなく、「嫌なことはやらない」ことやと。 嫌なことをやらなくなった結果、残ったものが好きなことになると思うんです。 でも、「嫌なことはやらない」と意識したところで、全部が全部、それを押し通すことはできませんよねぇ。 そんなことしとったら、ぼくなんか、即、会社をクビになってしまいますわ。 で、ぼくは、嫌なことをやったことを、後悔するようにしてるんです。 「つきあいやとはいえ、嫌なことやってしもた」と。 後悔することが、ぼくにとっては、削る作業なんです。 毎日、多少なりとも、嫌なことはせざるを得ないんですけど、その都度、後悔して削っていくんですね。 不思議なことに、毎日、こうやって削っていってると、嫌なことに対してむちゃくちゃ敏感になるんですよ。 で、このままいくと、ぼくは、社会に適合できなくなるか、愉快な人生を送れるかの、どっちかやと思うんです。 ぼく自身は、愉快な人生を送れると思い込んでるんですけどね。 さあ、今年も削って削って、削りまっせ〜! | |