■vol.15「ばあちゃんの置き土産」(2002年9月) | |
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9月1日、私の母方の祖母の葬式に行った。 祖母は96歳で老衰。まさに大往生、天寿を全うした。 しかも、自宅で家族に看取られての死だから、人としてこれほど理想的な死に方もないだろう。 穏やかな、温かい葬式だった。 私はこの2年間、実家とは音信不通だった。 両親や育った環境をどうしても受け入れられず、つきあいたくなかったからだ。 要は私は子供の頃、親に相手にされず、甘えられず、認められず、導かれず、寂しかったのだ。 私の心の中には"親にかわいがってほしい子供のままの私"が取り残されていた。 そのことを自分で認められたのが2年前。 以来、実家との関係を断ち切り、自分でその子を抱きしめながら、 「あんたは悪くないよ。寂しかっただけなんだよね。かわいそうだったね」 と慰め、認めてやるのに一生懸命だった。 そうしながら、表では着々と自分達だけで自分達家庭の歴史を積み上げ、親がなくてもやっていける自信を培っていた。 親のことを思いやる余裕など、とてもない。 それどころか、親を思い出すたびに、感情がこわばってしまっていた。そして、 「どうせ向こうは、私と縁が切れてせいせいしているんだろうに」 と。要は恨み。 しかし、本当は "赦し"という気持ちが必要だ、ということは、自分でもわかっていた。 もし、自分がこの先、もっと精神的に成長したり、世界を広げていきたかったら、特に親に対しての赦しの気持ちがないとダメだな、と。ただ、できなかっただけで。 これを何とかしなきゃな、と思っていたところ、祖母が亡くなった。 葬式には、ダンナも「行こう」と言ってくれたので、家族6人ででかけた。 色々緊張はあった。 でも、親兄弟や親戚に会えるのが、正直、心のどこかで嬉しかった。 また、親兄弟にしろ、親戚やイトコにしろ、私達の迎え方が普通。 ごくごく普通。私に何か抱えるものがあるなど、全く気づいていないということだ。 昔、私は、この人達のそういう普通さを、ひどく無神経で、人の心を土足で踏み荒らす真似に感じていた。 誰が相手でも同じような態度だし、誰もが一様に同じ態度だし。 相手の微妙な心理など到底読み取れているとは思えず、だから、私はいつも、踏み荒らされる恐怖から、オドオドびくびくしていた。 でも、今の私には"みんな普通のおっちゃん、オバちゃんやの"というぐらいで、懐かしいだけだった。 むしろ、歩く姿に足腰が悪そうなのが見てとれたりするので、大丈夫かな、と心配したりして。 不安定に揺れるものは、何もなかった。 私は、ちゃんと心も強い大人になっている自分を認めた。 帰りの車の中で、ダンナと「いい葬式だったね」という話をしながら、私は、親や子供の頃のことを、 「まぁ、いいか」 と思っている自分がいることに気づいた。 まぁ、いいのだ。 この気持ちを、どう説明すればいいのかよくわからないが、とにかく、もういいのだ。 そして、思ったのは、 「自分が親に甘えた気持ちを持っていたのも、悪かったんだな」 ということだった。 子供の頃に甘えさせてくれなかったんだから、今、甘えさせてくれてもいいじゃないか――そういう気持ちが、確かに自分にはあった。 当然の気持ちだと、許していた。 以前は、そこまでは意識していた。 今回、初めて、その気持ちが自分の中の確執を長引かせていたんだな、と思えたのだ。 ここを意識したら、凝り固まっていた気持ちが、すーっと溶けるのを感じていた。 葬式から2週間後、明石からダンナの両親が遊びに来た。 ダンナも留守の時、尊厳死協会に登録したい義父と、そんなのはイヤじゃと拒む義母に「どないしたらええと思う?」と相談される私がいた。 ダンナは男二人兄弟の次男。 その嫁は、普通だったら、親族の中で一番発言権がないし、アテにもされないだろうに。 でも、二人は、半年に一度は孫の顔を見に来てくれ、私達を旅行に連れていってくれる。 義母は、ふだんから「落ち込んだで、あんたの声を聞きたなったんや〜」と私に電話をくれる。 そして、こんな大事な相談まで。 自分が、そういう風になったんだな〜、と思って。 いつの間にか、そういう役回りを期待されるようになってたんだな、と。 で、そういうのも、ああいうのも、みんな、そんなものなのだ、と思えた。 理路整然とした解説などできない、よくわからないけど、これでいい、ということだ。 こんな風に思えるようになったのは、死んだばあちゃんのおかげ。ばあちゃんが死んだおかげ。 ばあちゃん、最後に助けてくれてありがとうね。あの世で楽しく暮らしてね。 | |