
vol.14 「中国脱出〜イスラエル編−その3〜」
エルサレムからテルアビブの例の小太りおやじのホテルに戻り、イスラエルを発つ準備。
次の行き先はアメリカだ。
日本に帰国するのに、来た道をたどるのも芸がない。
ここまでくれば、そのままクルリと地球を回って帰国しよう。
あちこちと世界中を旅行、あるいは出張しているぼくだが、アメリカはまだ行ったことがなかった。
アメリカに行ってみよう。
とりあえず、ジャズ発祥の町・ニューオリンズに行ってみることにした。
テレアビブの旅行代理店を探し出して、チケットを購入。
「ちょうど明日、アメリカン航空のケネディ国際空港行きがあるわよ」と、カウンターのおばさんが手際よく手配してくれた。
ぼくは、翌日、テルアビブ空港に向かった。
これで、イスラエルともお別れだな、なんて感傷にひたろうかと思っていたら、とんでもないことになった。
イミグレーションを通ったまではよかったが、そのまま荷物の検査。
「まあ、湾岸危機の時期だから、こういう検査は厳重にするのも当たり前だろうな」と、この時点では、まだ冷静だった。
ところが、と〜ってもしつこく荷物検査をするのだ。
スーツケースの中身を全部出さされて、ラジオの電池もすべて抜かれた。
「まあ、テロが多い国だから、機械類の検査に神経質になるのも無理ないな」と、まだ冷静だった。
ところが、徐々に検査官の態度が変わってきた。
スーツケースをポンポンと軽く叩きながら、「珍しいシールだな。これ、くれないか」と言ってきた。
スーツケースに貼ってある、これまで使用した航空会社の荷物用シールのことだ。
いいよ、と返事をすると、お好みのシールをはがして、自分の胸にペタリとつけた。
どうも、態度がえらそうなのだ。
検査官は、何だかもったいぶるように、
「ところで、この国には何をしに来たんだ」と聞いてきた。
「サイトシーング」
「ほぉ、この時期にかい?」
「イエス」
「おまけに、片言の英語しかしゃべれないのに、ひとりでかい?」
「イエス」
「ほぉ〜。英語もしゃべれないのに、ひとりで観光かい」
もっと詳しく説明したいのだが、そこまで英語力はない。
ちょっと雲行きが怪しくなってきた。
このまま拘束されるということも充分に考えられた。
日本にいると、決してあり得ないようなことでも、それはあくまで日本の常識。
国が変われば、日本の常識が通用しないことはたくさんある。
飛行機の出発の時間がきた。
日本だったら、カウンターでチェックインさえすませば、出発時間までに飛行機に乗り込んでいなくても、決して出発しない。
以前、羽田空港では、ぼくは、よく放送で呼び出された。
チェックインをすませると、飛行機は乗客がそろうまで飛び立たないということを知っているので、ぼくは、トイレでウンコでもしながら余裕で時を過ごす。
そのうち、「高松へご出発の三浦さま〜」と放送がかかるので、おもむろに搭乗するわけだ。
ところが、ここはイスラエル。
ぼくを置いて、飛行機が飛び立つことは充分にあり得る。
「もう出発の時間だよ」と検査官に言うと、検査官はニヤリと笑って、「ちょっとクツを脱いでみろ」と。
クツの中から底まで念入りに調べられ、何やら金属探知機のようなものをクツに当てていた。
飛行機の出発の時間は過ぎた。
ぼくはかなり焦り出した。
というのも、隣で、アジア系の女性が同じように検査され、どうやら飛行機が出発してしまったらしく、泣き喚いていたのだ。
さらに、輪をかけてぼくが焦り出したのは、「靴下も脱げ」と言われたからだ。
そして、ぼくはとうとうパンツ一丁にされ、壁に手をついて、足を広げたポーズをとらされた。
検査官は、おもむろに金属探知機を肛門に当てた。
もう屈辱以外の何者でもない。
ぼくは、飛行機の出発時間よりも、このまま囚われた時のことを考えた。
イスラエルに日本大使館はあるのだろうか。
商社なら誰か日本人が、この時期でも駐在しているだろう。
何とか日本人を呼んで、事情説明をしなければ、囚われてからでは遅い。
そんなことをパニくった頭で考えていると、検査官から「服を着ろ」と。
ウッ。どっちなんだ。解放されるのか、連行されるのか。
どうやら解放されたようだ。
ぼくは、全速力で搭乗口まで走った。
もうギリギリのギリギリだった。
ぼくが席に座る前に、飛行機は動き始めていた。
席に座ってからも、まだイヤ〜な緊張感は続いていた。
いきなり両腕をつかまれて、身柄を拘束されそうな恐怖感がぼくを包んでいた。
早く、アメリカに入国してしまいたい。
そんな気持ちのまま一睡もできずに、飛行機はケネディ国際空港に向かった。
追伸:
この時期から3ヵ月後に、湾岸危機は湾岸戦争に発展した。
そして、11年後の今、アラブとイスラエルの間では、自爆テロ、それに対する報復が始まった…。
(つづく)