vol.10 特別寄稿「教えない」

(あづ姐のダンナからの寄稿より)

嫁はんが少林寺をやりたがっている。
ぼくは、多少の経験があるので、嫁はんを教えることになった。
といっても、何も教えていない。
むしろ、教えることを自分で戒めている。
嫁はんが興味をもっていそうなことについて、アドバイスするだけ。
基本から教えようなんて、さらさら思っていない。

例えば、ウチではこんな感じ。
ホームページに抜き技に関する書き込みがあった。
ぼくが帰宅すると、ネクタイをはずす前に「抜き技って何?」と聞いてくる。
ほんじゃ、握ってみて、といくつかの抜き技をやってみせて、何のためにこの抜き技があるかを説明。
この間、5分。だから、あっという間道場なのだ。

あるいは、「切小手って何だ」と来る。
何回か掛けて、掛けられ役になって誘導し、おしまい。
これまた、あっという間。

実は、あっという間の方が、もっとやりたい、もっとやりたい、という欲求がわき、イマジネーションがわくのだ。
寝ても覚めても、技のことを考えることになる。

これは、ぼくの経験からきている。
一方的に教えられると、疑問が起こる余地がなくなってくるのだ。
疑問を持ち、仮説をたて、イメージする。
これがないと上達はしないし、まずは楽しくない。

ちょうど、ぼくの場合は、今、やっているラグビーがこれだ。
全体練習はするけども、少林寺のようにていねいな指導者はいない。
そこで、自分でビデオをスローで何度も見たり、ラグビー雑誌のグラビアからも、手の使い方や、体の使い方を研究したり。
寝ても覚めても、プレーをあれこれイメージしている。
これは、楽しいし、これで掴んだことって、確実に自分のものになっている。
自主トレも、自分でメニューを考えて、必要な体力を養っている。
自分で必要と感じるからだ。

教える時に注意したいのが、教えすぎないこと。
注意どころか、絶対にしてはいけないこと、と言っていいかも。
教えすぎるのは、単なる自己満足で、相手の自発性の芽を摘み取ることになるのだ。

目下のところ、嫁はんの課題は、うまくいった感覚を身につけるために、数をかけること。
あっという間道場では、反復練習はしない。なんせ、あっという間だから。
この問題をどう克服するか。
嫁はんは、自ら練習会を企画した。

教えないということは、技の上達だけでなく、もっと大切なものを養ってくれるのかもしれない。

教えるから、相手は教わる。
教えないから、相手は学ぶ。

どっちがいいか・・・。