1976 Formula-1 Championship Race In Japan
スポーツニッポン社が難航する交渉の末にようやく漕ぎ着けた、初の F-1 日本グランプリは1976年10月24日に富士スピードウェイで開催されました。

ホンダ初参戦時の第1次 F-1 ブーム、'87年のホンダ復帰からの第3次ブームだけが、大きく取り上げられがちな日本のMortorsport史上で、国産のF-1に、日本人ドラーバーが乗って日本GPを走ったのは、この'76年のKojima Engineering のKE007 、続く'77年のKE009 だけです。

76年は、Championshipの1位、2位が、最終戦まで僅か3point差の大混戦の年でした。

シーズン序盤には37Point 差迄リードを広げていた、デフェンディング.チャンピオンでポイントリーダーのニキ・ラウダは、ドイツGPの大クラッシュで瀕死の重傷を負い、再起不能とまで言われながら、イタリアGPに包帯をしたままで4位入賞と奇跡の復活をとげ、『不死鳥』と呼ばれました。そのフェラーリのエース、ニキ・ラウダとマクラーレンの新鋭ジェームズ・ハントの2人の争いが日本で決着するというファンには夢のような状況でした
その上、Fー1 史上で異彩を放つ、タイレルの6輪車:P34がデビューしたのも76年で
後に、フェラーリ最後のワールド・チャンピオンとなるJody Schekterの豪快なドリフトも見ることが出来ました。

'78年も4月の開催が決まっていた日本GPは、'77年の観客に死亡者を出した事故の為か、その後の不可解な処理等の為か中止となり、 '87年迄fanの期待も空しく10年も日本GP は開催されませんでした。
f-1 in japan
JAF主催の国内のJAFグランプリと重なる為、Japanese Grand-Prix 名称は、使用の許可が出ず『 F-1 Championship Race In Japan 』として開催されました。
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