| 9月に観たその他のテレビ | |
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初秋は 災害と特番のシーズン |
( Last Updated : 09/27 /98) |
| new | top | bottom | 09月13日(日)19:00〜20:54/テレ東(12)系 |
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「つぶれてたまるか! 温泉旅館生き残り大戦争」 | |||
| にゃお | 09/15 /98 | ||
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不景気、リストラ、金融不安、そんな事にはまーったく関わりなく、年中赤貧にあえいでおります私が1年半ぶりに国内超格安旅行に出かけて参りまして、とんでもなーく安易な運営の観光ホテルに泊り、ダニのいる部屋、ごみだらけの露天風呂、冷え冷えでベシャベシャの天ぷら、カラカラのお刺し身なんぞを供され、切れまくり珍道中から帰宅後、つけたテレビが「つぶれてたまるか!温泉旅館生き残り大戦争」 もう、ひとごとでなくみてしまいましたよ。経営者の視点じゃなく、利用者側から思いーっきりクールに……。 経営が思わしくないのは判る。でもね、どーしてこんなになるまで、って思っちゃうよ。現状から立て直すまでに泊まった客は不幸としか言いようがないよね。 予算がないから、手入れが出来ない。予算がないから節約だ、なんてそれじゃぁ息の根止めてるようなもんじゃないの。料理を何とかすればなんて安直に考えてるようだけど、要は人だよ。こんなお粗末なアイディアやサービスじゃどんなに努力したってリピーターになんかなんないよ。 見てるとやっぱり「つぶれてたまるか」っていう宿は放漫経営。経営者がほんとに頼りない。ブレーンってものを育ててない。儲かってる時に手を広げて、不況になったら打つ手無し、だもん。質素なのと不潔なのは同義じゃないんだよ。食事だって馬や鯨じゃないんだから、品数よりも味や出来立てに気を配って、ひなびた温泉宿だって充分やってるところはあるのにさ。 それにしてもこの番組の製作意図ってなんなんやろ? 他局でも文化人気取りの人たちが「ああしろ、こうしろ」ってテコ入れ大作戦ってやってるけど、とりあえずはテコ入れしてるのに、こっちは取材しっぱなしで悲惨な現状ばっか。こんなの全国ネットで流されちゃった日には、前にも増して客足は遠のくと思うんだけど……。取材費なんて貰ってるようにも見えないし、どんどんつぶれっててくれればいいと怒りながらも、最後には心配になってきちゃったよ。ほんとに消化不良の番組でありました。 そして再び、「天ぷら冷え冷え御殿」に泊まらされちまった私の怒りは、「天皇陛下もお泊りになられるお宿です」なんて訳知りに奨めた某旅行代理店の大馬鹿野郎に向けられていくのでありました。くっそー | |||
| new | top | bottom | 09月19日(日)21:00〜24:00/衛星2(BS11) |
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「黒澤明とその時代」 | |||
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全30作をゲストを交えて概観してゆく番組。要は追悼企画なのであるが、民放にありがちな「追悼番組」に堕すことなく、作品についての話に終始したのが、気持ちよかった。これまで意識して追っかけていたわけではないのだけれども、数作を除いて、ほとんど全部観ていたことに驚いた。「けっこう、クロサワ・ファンだったんだな、おれは……」と妙に感じてしまった。 本人による「自伝のようなもの」と称された『蝦蟇の油』と、佐藤忠男による『黒澤明解題』(両者とも岩波書店/同時代ライブラリー)の2冊を読めば、クロサワ作品と黒澤明については概観できる。特に、幼年期から『羅生門』までのことを綴った『蝦蟇の油』は、イイ話のオンパレードで、何度読んでもキモチイイ。特に助監督時代のエピソードの数々は、そのまま「映画にしたい」くらい素晴らしい物語になっていると思う。 特に大好きなのは、『姿三四郎』『七人の侍』『隠し砦の三悪人』。もちろん、他の作品も好きなのだけれども、挙げたらきりがない。もっとも、カラーになってからの作品は、ぜんぶ、ことごとく、退屈だった。画面が、あまりにも「人工的」すぎるのが、ノレなかった理由だ。ま、仕方ねーやね。それでも『まあだだよ』は、かすかに好きだったかな。 中学1年生の冬だった。暖房がきいているのかいないのかわからないほどの映画館で、リバイバル完全版の『七人の侍』を観た。おもしろいとか、おもしろくないとか、そういうレヴェルの問題ではなかった。途中にインターミッションが入るのであるが、そのときに、映画館のロビーに出てみると、どこかが痺れているような気がした。痺れていたのは、頭だった。翌日、学校で掃除の時間に、箒を持って、立ち回りのマネごとをやっていたら、「どーしたの?」と女友だちに言われた。「きのう映画をみた」と話し出したら、どこかが切れた。脳が下痢をしたかのように、『七人の侍』の話をしていた。 時が過ぎて、勤めていた会社を辞めるときに、『七人の侍』のビデオをもらった。当時、クロサワ作品は、まだ、きちんとビデオやLD化されておらず、もらったビデオは英語の字幕付きだった(実際のところ、そのほうが、分かりやすい部分も多かった)。最後の合戦の直前のショットで、志村喬の横顔に、汗か雨か、水が流れ落ちる。観た瞬間に、画面が涙で歪んだ。中学生だった自分を、思い出した。杭を打ち込むかのように、数々の画面が、記憶に叩き込まれていた。 その中学1年生の冬、阪妻のリバイバルもいっぱい観た。白黒の画面で、おとなが刀を持ってあばれまくる映画を、大皿のカレーをかきこむように観た。『七人の侍』は、看板を見たらもう一度観たくなって、そして、また観た。個人的には、いろいろと、つらいことがあった時期なのだけれども、それでも、あの冬は、至福の冬だったと思う。 だから、わたしは、クロサワ作品のことは、カラー後の作品であったとしても、あまり悪く言いたくない。でも、白黒のときのような作品を観たかった、というのはホンネだ。 たとえば「映像のダイナミズム」とか、「テーマのヒューマニズム」とか、「画面のリアリズム」とか、そんなことばかり言われるクロサワ作品であるが、もちろん、そんなのは当然のこととして、その「ユーモア」について語られることが、あまりにも少ないと個人的には思う。だいたいにおいて、ベタなものも多いのだけれども、それをそう感じさせないユーモア描写が好きだった。 『虎の尾を踏む男達』(しかし、いいタイトルだな)で、大河内傳次郎扮するところの弁慶が読み上げるまっしろな勧進帳を、エノケンがちらりと見てからびっくりするダブルテイクのベタなシーンなんて、今回再見して思わず「うまいなあ」と言ってしまった。『七人の侍』で、入口の「ご冗談を」のシーンにしても、あとで菊千代のベタなシーンがかぶってくると途中からわかっていても、笑ってしまう。そもそも「菊千代」というネーミングの由縁自体が笑いになっている。それが、最後で志村喬によって「菊千代! 菊千代!」と連呼される胸に刺さるような名前に聞こえてしまうのだから、これはもうとんでもない。『用心棒』や『椿三十郎』にいたっては、「笑い」の立場から見れば、全編、ユーモアの塊である。それを、躍動感溢れる画面に昇華しているのだから、これはすでにして、人間業ではない。それに『隠し砦の三悪人』で、次々に繰り出される「難関」の数々は、ほとんどギャグの世界ではないか。 『隠し砦の三悪人』で思い出したのだが、クロサワ作品には、ところどころに人々の「祭り」のシーンが現われる。いつも、そこだけ、ちょっと、ズレたような感じがする。もちろんそのズレは、とても、いい印象として記憶に残ってしまう。でも、ぜんぶ、同じ「演出」なのだ。力強く、激しく、前向きな「祭り」である。これについて考察を加えた映画評論を、わたしは不勉強なので知らない。『まあだだよ』のパーティシーンも、同じ「祭り」だと思った。あのシーンを観て「ああ、もしかすると、クロサワは、もう一度、やってくれるかもしれないな」と思った。でも、それは、永久に、なくなった。 あの黒澤明も、あの三船敏郎も、もう、いなくなっちゃった。 ばかやろ。日本映画なんて、もう、どうにでも、なっちまえ。ちくしょう。ちくしょう。 | |||
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