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方法論の誤謬 事実、このページでは、個人攻撃はしない。 マッカーにも、それぞれあり、必ずしもすべてのマッカーがマッカーではない、と思っている、わけではもちろんない。マッカーは、すべてマッカーであって、マッカーと呼ばれるものに対しては、いかなるマッカーであろうとも、その人格も人権も認めるべきではないと考えている。したがって、マッカーは、人ではない。よって、個別のマッカーを攻撃したとしても、それは「個人」を攻撃したことにはならない。繰り返しになるが、人格や人権を有する人間存在ではないからだ。 だから、以下の文章は「個人攻撃」ではない。 ![]() MacWEEK ONLINE Japanというインターネット・マガジンがある。これに、米国MacWEEKには、もちろん載らない日本版オリジナルのエッセイが定期的に掲載される。そのタイトルを『BOMB REVENGE』というこのうすらばか作文の書き手は、「藤本裕之」と自称している。 このドアホが、1月31日付けで、「CHILD IN TIDE」という一見、意味不明の文章を書いた。一読すればすぐに理解できるように、PC WEEK掲載の記事"Mac users wage holy war"を受けて(この記事の翻訳は、PC WEEK Wire、1997年1月23日号の「MAC ATTACKS! 怒りの聖戦」)、稚拙なタトエで、反論を試みたものである。 その際に、小学生低学年の感想文の形態をとり、ウルトラばか三昧の暗喩をおこなっているのであるが、この方法論をとった時点で、このドアホは、自らの立脚点の蒙昧さ加減を露呈させているのである。 コンピュータ関係ライターと呼ばれる人間は、よくこういうことをやる。それが、まるで自ら触る腐れマシン同様に「エレガントで、カッコイイ」方法論だとでも、思い込んでいるのだ。実際、比喩表現が有効に働く場合も多くあり、それによって理解を促す効果があるシチュエイションも多い。ところが、このバカは、さすが人間ではないだけあって、使ってはならない局面で、この方法論を採用した。それによって、自らが何の論拠もないタワゴトをだらだら書き連ねているのを告白しているからである。 その行為(きちガイ・カワサキとか、そういうマッカー教の腐れ信者どもの行動)に賛同すべき正当性有りとする発言をしたいのならば、正面切って論理を展開すればいいだけのことなのに、あえて、このような方法論をとっているのだ。なぜか? この藤本と自称するクサレ信者は、以前にも指摘したとおり、論理というものについて完全に理解できないノータリンなのである。よって、このノータリンは、論理展開をはかることを放棄し、たとえ話で誤魔化すという行為に及んだのである。 内容の稚拙 本人が当該作文でも表現しているように、「甘利屋さんのパンはおいしいかもしれないけれど、人気のあるメガネパンをあまり作らなかったり、あたらしいパンを作るっていって失敗したりして、けいえいがうまくいってない」から、業者を変更するというきわめて健全な経営的(言うまでもなく学校だって経営だ)判断に対して、「おいしいから」という理由のみで対抗しているだけの文章である。 それ以外の、論理的な根拠は、述べられていない。いや、有効な論拠を提示できないから、小学校低学年の文章でしか表現しなかったのである。 前回、「マッカー殲滅の論理」で、深くは述べなかったので、ここであえて述べる。自分の気にくわないことがあるとヘイトメールを出したり、それらを先導したりするキチガイ信者どもに、言っておこう。プラットフォームを変更しようとする導入担当者にヘイトメールなどを出す前に、なぜそういう事態を招いたAPPLE COMPUTER社に対してメールしないのか。 純粋な経済活動を行うにあたって、その判断を他者の好悪に委ねるような組織が、この世にまともに存在しているとでも思っているのだろうか? NASAが国家機関であるがゆえに、そのような意見も、判断の材料にせねばならないというのならば、それによって被る国家財政上のロスも容認するのが当然であるというのだろうか? そのようなマッカーどもが引き起こす犯罪的な行為を容認するような文章をみとめるべきではない。 文章中で、藤本というドアホが書いている。 「つまり甘利屋のパンがすきな人はきちがいだといういみだそうです」 事実、そうなのだ。あの宗教がかった連中は、みなキチガイなのである。 信心と支持と 信仰と弾圧は、必ずセットでやってくる。 モノゴトを支持する場合に、かなり慎重に行わねばならないことは、歴史を見ていれば明らかなのだ。人類は、それほど進歩していない。 書店で、平積みされたMac関連雑誌を見たら、必ず「だっせーの」と聞こえる声で言うようにしている。知人といっしょだと「まだこんなん出してんの? うひゃあー、ダッセー、ダサダサ」と言う。実際、本気でそう思っている。 それによって、さらにマッカーは、凝着を加速する。 だから、いじめてやるのだ。 なぜ、世間一般で「いじめ」という行為が、流行っているかのごとく思えるのかというと、この「いじめ」が楽しいからである。 「いじめをなくす」とか「いじめられない」ではなくて、いじめよりも楽しいことを提案できない世界に問題があることをなぜ理解できないのであろうか。しかしながら、このような一介のチンピラの意見は、尊重するに値しない。したがって、依然として「イジメは楽しい」のである。 「正当であるから支持する」という方法論が、徒論であることは、20世紀が証明してきた。そういうことも理解できないような輩は、駆逐すべきなのである。
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