マッカー
黄昏 のあがき


Sorry, Only for JAP. & IE.


 
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述懐
 うわあ。一年ぶりじゃないか。
 更新する興味を失って、ほとんど停止状態だったこのページには、それでも、いまだに、無知蒙昧のマッカーさんたちから、心温まるくっだらないメールをいただいているのであるが、当然、ほとんど、ずーっと無視し続けていた。なぜに、興味を失ったのかというと、その理由は明白である。当のマッカー連中が「いまは少数派になってしまった」という言説を使うようになったからである。なんとも「やっと」なのだけど。自らの偏執な側面を自覚するだけではなく、圧倒的な経済的側面をもかすかにでも理解するようになって、やっとあたりまえの「現状認識」ができるようになったからである。
 このページ・コンテンツにおいては、「だったら、どうしなきゃいかんのか」ということに対する、数々の「解答」を書いているのであるが、所詮、ばかったれには、理解できないのであった。
 おお、そうじゃ、「ばかったれ」で思い出した。

蒙昧の露呈
 こないだ、こんな低脳メールがきた。

  どもども!HPみて笑ってしまいました。(爆)
  MSのウィリアム・ゲイツって誰ですか?(笑)
  ・・・・・ひょっとしてビル・ゲイツじゃぁ〜〜??
  いや!まさかね・・・御宅みたいな熱狂的MSユーザーが
  自分の使ってるOSのCEOを間違える事などないとおもいますが・・・・(爆)
  それとも・・MSの新しいCEOなんですか?ウィリアムって人は??・・(爆)

 知識がないことは、恥ずべきことではない。経験は、多大なる知識と良識を与えてくれると思う。しかし、知識すら獲得する手段をとれずに、なおかつその無知蒙昧ぶりを他に対する論拠とするのは、「ノータリンのマッカー」という理由だけでは許されない。
 まあ、もっとも、若いうちなら、仕方ないとおもうこともある。
 いま、「七輪」や「五徳」のことを前提とした文章を書いても、理解されないのは、当然ではないか。しかし、しかし、「ビル」が「ウィリアム」の愛称であることすら知らないというのは、「エンジンブレーキ」と言われて「そんなのありません」と答えるのと同じくらい、無知の発言ではないか。
 このメールをよこしてきた「ばかったれ」は、ビル・クリントンを、ウィリアム・クリントンと別人だと思うのであろうか。この程度の人類として最低限の知識すらないような連中を促成するのが、かの「わんボタン・マウスでもおっけーよ」のうすらマシンが大好きなノータリンどもの典型である。

どあほメールの典型
 なんでまたこんな、うすら馬鹿の文章を引用したのかというと、ここに多くのマッカーに顕著な典型が見られるからである。
 (1) HP
 おそらくは、「ホームページ」のことを表現しているのであろうが、まず第一に、インターネット上のウェブページのことをなんでもかんでも「ホームページ」と呼んで、なんの疑問も感じないのが、ばかったれの表象である。もちろんこれは、現在のニホンジンの多くに見られる誤用であって、それが「慣例」となっていることも承知の上である。しかし、用語の使用にあたって、なんら自分の判断力を利用することなく追従するのが、まさにヒャクショーのヒャクショーたる由縁である。なんとなれば、「HP」という略称を当然のごとく盲従し使用しているからである。
 そもそも、概念的におかしい用語利用である「ホームページ」を「HP」なる略号で表すなどというのは、馬鹿の自乗である。すでに書いたことであるが、コンピュータに関係する場所で「HP」という記号を使うのは、「ヒューレット・パッカード」のことを指すに決まってる事実ではないか。
 (2) (爆)
 おそらくは、「(笑)」の援用で、「爆笑」のことを意味したいのであろうが、こんなものをなんの疑問もなく使って、あたりまえでいられる精神というのは、間違いなく、低脳の証左である。生きていて、恥ずかしくないか。
 (3) ・・・
 なんと「中黒」である。「中黒3つ分」として用いられることが多いみたいだが、これは、おそらく「リーダ(…)」のつもりなのであろう。書籍等で見たリーダの使い方を低レヴェルで真似たつもりなのであろうが、そもそも、その文字としての意味合いが異なる。頭の使い方すら知らない連中である由縁だ。
 実は、この誤用は、多くの場所で見受けられる。それで、平気でいられる文章を書いている輩は、その時点で、ノーミソが腐っていると判断されても仕方ないだろう。
 まあ、もっとも、こういうスカタン文章を書くてあいは、マッカーに限らず、数多くいるのであるけれども、マッカーに顕著であることは、事実である。文章を書く資格のない連中が、ヘーキで言説を述べるようなことをしているのである。

ださださの周辺
 ちょっと別の話。
 こないだ、近所の本屋に行った。なんかしらんが、iMACの特集の雑誌が平積みだった。確認すべきことがあったので、ぺらぺらと読んでみた。となりで、年の頃なら二十四、五歳のあんちゃんが同じ雑誌を手にした。わたしは「だっせーの!」と言って、その平積みに雑誌をもどした。そのあんちゃんは、びっくりしたようだった。うちの近所は、カメラマンとか、デザイン関係とか、そういう、「何も自分で判断せずしてマッカーに成り下がる」うすら馬鹿が多い地帯なのであるが、たぶん、そのあんちゃんも、その一員なのであろう。
 iMACのあの、だささとインチキ加減が、なんともヘドがでるくらい嫌いだ。いまどき、15インチのぐるぐるに丸まったディスプレイをどこが作っているというのだ。曲線を多用したそのフォルムは、ディスプレイ表面の歪曲をごまかすため以外の何ものでもない。
 フロッピー・ドライヴを搭載しなかったのは、明らかなる白旗であることぐらい、ばかにでも分かる。これによって、物理的互換性のほとんどは、退けたのだから。要は、ぶら下がって生きるしか道はない、と判断したマシンなのである。
 うーん、これに関しては、もうちょっと書かなきゃならないかもしれない。というのも、マシンとしては、ある程度以上「イイ」マシンなのだ。要は、それを、盲追して購入しちゃうような「知性が爛れた」ばかったれマッカーが、まだ存在することにある。
 この周辺の話については、また項を改めて書くことにしよう。「カミング・スーン」じゃけんね。
 
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