| KiLL MACers! 1999 |
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04/06 /99
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いッただきま〜す
このところ、つまんない話題が続いたので(他に何があるんじゃという意見は無視する)、食事の話をしよう。こないだ、鱸(すずき)の塩焼きを食べた。おいしゅうございました。円谷選手じゃないので、感謝の言葉はここまでにしておくが、この鱸というのも、いわゆる「出世魚」と呼ばれるものである。ちっちゃいとき(といっても30センチ以下であるが)は、「せいご」。それから、「ふっこ」になって、でっかくなると「すずき」と呼ばれる。鮮度が良ければ、刺身とか、あらいに向いている魚である。「出世魚」なんて、まるで、どこぞのOSとか、マシンみたいだが、あれは、「出世」とは呼ばんと思うぞ。「出世魚」に失礼であろう。 この鱸の皮も、季節を感じさせるおいしさを持つので、個人的には塩焼きが好きだ。なかなかにでっかいので、まるごと買うのは勇気が要るのであるが、頭やアラは、たいへんおいしい潮汁になるのでオススメである。奉書焼きにするほど手の込んだことは、できないが、塩焼きでじゅうぶんにごちそうである。アラを椀物のだしに使ったり、かなり充実感のある贅沢な食事になる。 そういえば、大昔に「そんなことあなたは言いますが、包丁をちゃんと研ぐのは難しいのですよ。あなたにはできるのですか」というようなメールがバカ女からやってきたことがあった。たぶんこの女は、三枚おろしも、まともにできないのに違いあるまい。もちろん、包丁研ぎなど、モノリスに触れても不可能であろう。 わたしは、「それ」を「できる」だなどと言ったりはしない。そんなもん「できる」のが「あたりまえ」だからである。もちろん「三枚おろし」や「包丁研ぎ」なんて、できなくってもかまやしない。プログラミングなんて、できなくってもかまわないのと同様である。そのかわり、食事について、語るのは、一切辞めることだな。これは、食べ物の好き嫌いのある人間が、料理について論評したり感想を言ったりする権利が、まったく存在しないのと同じ権利構造である。 おかずの話
果たして、人間は「どこまで、ご飯のおかずとして許せるか」という話をしましょうか。もっとも、「よくやる」持ちネタみたいなもんなのですがね。たとえば、「ラーメン・ライス」。これを受け付けない人もいるでしょうが、サルマタケを食うのに比べれば、すでに認知されてますよね、たぶん。だって、うちの近所のラーメン屋は、ランチタイムだと、ライスサービスですから。 さて「焼きそば・ライス」というのも、それほど強い抵抗を感じる人は、実は少ないんじゃないかと思います。「焼きそばパン」なんてものがあるくらいなんだから、ノープロブレムでしょ。「焼きそば定食」なんてものがあるって話だって聞いたことがある。 それと同じ文脈で、「スパゲティ・ナポリタンとご飯」。これは、もちろん、大丈夫でしょう。お弁当の脇に入ってたりするくらいだから、あたり前田のクラッカーですね(失礼)。 そのむかし、池袋駅にスナックセンターという立ち食いコングロマリットみたいなもんがありまして、ここのスパゲティとピラフのコーナーが好きだったものです。わたしは、もっぱらピラフを注文していたのですが(トマトソースがかかってたりして微妙にうまかった)、ほとんどの人が、スパゲティでしたね。んで、注文する時に、「ミート!」とか「ナポリ!」とか言って注文するのが、実に奇妙で楽しかったものです。「とんでもねえ注文のモンクだなあ」とか笑って、それを聞きたさゆえにわざわざ池袋まで行ってたりしたもんです。「ナポリって、どーゆう喰いモンなんじゃい?」ってかんじですよ。 おっと、閑話休題。 さて、次は「お好み焼きとご飯」。これは関東の人間は、完全にアウトでしようが、関西の人間には当然の組み合わせ、というところ。たぶん、関東の人間は、粉を食うためにお好み焼きを食べてるんで、そういう印象になっちゃうんでしょうな。でも、おかずとして成立することは「事実」なのであるからして、オーライでしょう。そもそも、そのお好み焼きの「質の問題」だって説もあるにはあるのですがね。 そして、ここからは、ウルトラ・ディープ・ゾーンに突入致します。 知人の父親がおりまして、この人というのが、とにかく「ご飯がなければダメ」という人でして、んで、やったのが、「チャーハンとご飯」。いや、嘘じゃなくて、ホントの話。焼飯をおかずにしてご飯を食べていたのだそうです。 ここまでは、なんとか我慢して、信じることができるのだけれども(そ、そっかなあ……)、次は、ちょっと超絶。 そのお父さんは、「カレーライスとご飯」というのも、やるそうなのです。いや、マジで。「カレーライス」をおかずにして、お茶碗のご飯を食べるんですと。 [問題]──以上の話を、コンピュータ関連のたとえ話として、表現し直してみよ。 罵倒の有効性
とまあ、ここまで、前回の続きのような「たとえ話」ばっかだったので、「うーん、ここは、何のページになっておるのじゃ?」状態だったのだけれども、ま、つまんなきゃ、読むのをやめりゃいいだけのこった。よくわかるのだよ。 「そんなの、好き嫌いの話であって、自分が必要なら、それでじゅうぶんじゃないか」とか「使ってるマシンやOSごときで、その人間性を判断するのは、ジンジョウではない」とか、そういった、ちょっと、「弱い」感想は。 「柔らかい肉はうまいんだから、自分が満足しているんだから、それでじゅんぶん」とか、「食べ物の嗜好で、その人間性を決め付けるのは、異常だ」とか、そういう連中とおんなじだと繰り返し言っているではないか。「じゃあ、おどれは、一切発言するなッ」と言ってるだけのことじゃないの。ここは。 たしかに、「カレーライス」をおかずにして、ご飯を食べているお父さんは、かなりに一般からは、オーヴァドライヴしていると思う。しかし、肉を喰って、第一声で「やわらかいいぃ」なんて、腐れ発言するようなバカ女に比べれば、実に、まっとうだと思うぞ。「思考停止」に関しては、この二者について、その決定的な違いを認識し得ないのなら、発言すべきではない。 無駄な発言ではあるかもしれないが、あえて、繰り返す。 なぜ、その、マッキントッシュとかいう蒙昧なマシンを「選択したのか」、まさに、その瞬間のことを胸に手を当てて、思い出してみろ。 それが、いまの自分のさまざまなる困難と、悪癖と、さらには、諸般の弊害を生み出していることに、気が付かねば、思考する物体として生きる意味はない。したがって、マッカーは、存在する価値はない。 でも、ま、ここは、最近、ほとんど、マッカーは来なくなってるけどね。 あ〜、いい湯じゃ。
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