| KiLL MACers! 1999 |
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04/22 /99
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K i L L M A C e r s ! |
広報担当より
かの蒙昧なる、iMacを「すいはんき」と呼び、かの愚劣にして、ボードに餅がへばりついている、力Mac G3を「ポリタンク」と呼ぶことが、予想以上にウケているようで、たいへん喜ばしい。みんなそんな風に、どこか居心地の悪さを感じていたからなのであろう。うれしいなあ。もっと、いっぱい、売れてくれると、もっと、うれしいなあ。 わはははは。 だってさあ、「あなた、もしかして、すいはんきかポリタンクをお持ちですか?」と一言聞いた相手が「はい」なんて言おうもんなら、もうそいつのことは、ニンゲン扱いしなくてもいいんだもん。こんな楽なことはない。 たとえば、ちょっとコンピュータでも買って、インターネットでもやってみようかしらん、と思った人間が、うっかり、すいはんきを買ってしまうこともあるであろう。理由はどうだっていい。見た目がよさげだったからとか、簡単そうだったからとか、ノータリン業界の一員だったからとか、いろんな理由があるにちがいない。状況も、環境も、何もわからぬまま、地獄の坂道を一歩踏み出してしまった人は多いかもしれない。それらの人々をも、「マッカー」と蔑んで呼ぶべきであるかどうか、いまもわたしに、そう問う質問は多い。 あえて、答えよう。 それらの、一見、被害者とも思える連中も、まさしく「マッカー」なのである。 その判断に関しては、「思考停止」とまでは言わないことにするとしても(実際はそうなんだけど、Windowsマシン買っちゃった人だって、似たようなもんだ)、完全に一般とは異なる仕様のものをあえて選択するからには、それなりの覚悟が必要とされるに決まっていることではないか。それを「知らなかった」では済まされないぞ。この一歩が、うすらとんかちな一歩であるために、数々の辛苦を生み出しているということに、自覚的でないから、その本人にも、またまわりにも迷惑千万な状況を生んでいるのである。 たかだか数十万程度のものにすぎないくせして、それを購入した「自分の判断は正しい」と、未来永劫、思い込みたいがゆえに、そこに異常に執着するのがマッカーどもである。みじめなくらい、しみったれのクサレ根性である。そう、これを妄執と呼ぶ。その妄執にへばりついたままの腐敗思考をなんとかして、まともなものに見せようと厚化粧を施す時にとられるのが、いつもながらの「パクリじゃーん」や「ええ、マイクロソフトは悪者ですとも」という発言である。ばかなのだ。 いわく「パソコンなんて自分に一番あったものを選べばいいんです。選択肢の自由があるのがいちばんなのです」と、よくいるプーチャカピーのマッカーどもは、5億回ぐらい、飽きもせずに、繰り返す。どの口がゆーとるんじゃ、ボケ! そーかい、そーかい、は〜そーかい。わりーけどよー、いま、いちばん「選択の自由がある」のは、Windowsだろうが、Linuxだろうが、さらにはBeOSだろうが、なんならOS/2だって(わはは)走らせることのできるマシンではないのん? そりゃあ、あほたれどもが後生大事に捧げ奉るクサレ林檎マークのワンボタンマシンだって、いっぱい、いろいろとOSさんは動くことでしょう。ただ、わたしがここで言っている「選択の自由」の対象とは、「現実的で経済的な要請を満たす」ものだってことぐらいは、さすがのマッカーにでも理解できるだろう。 それとも、ハードとソフトをいっしょに売るなんてえ、今世紀半ばまでの方法論が、未来永劫、乞食の餌をついばみながら、生き延びるとでも思っているのか? おっとぉ。プロローグのつもりが、また調子ぶっこいて、書きすぎちまったぜ。 わりーね、わりーね、わりーね・でーとりっひ、でござんす。 千年王国の夢
世間には、いろいろと問題も多くて、まるで鬼の首を獲ったかのように「21世紀は、2001年からなんだぞ。誤解してないか?」というたぐいの文章をよく見る。そりゃそーなんだけど、この問題は、そんなに簡単なもんじゃない。例えば、98年4月8日の毎日新聞の記事(Web上では、「今日のニュース」)とか、どっかの記事(「2001年の迎え方大研究・2001年か2000年か」)を読めば、いろんなことがわかるだろうが、読んでると、「なんか、もう、どーでもいーじゃん」という気になってくる。歴史的背景とか、宗教的問題とか、ショーバイ的思惑とか、ま、そんなのがいろいろあって、要は、「2000年から、21世紀ってことになっちまうんじゃない?」ということである。大方の考えは、21世紀は2001年からだけど、それはそれとして、新たな「千年紀」をお祝いしましょうや、というところに落ち着くのであろうな。「ミレニアム」を祝うという根底には、「ヤソさまの栄光は──云々」というところにあるのであって、それに文句を付ける筋合いじゃないしな。 みーんな忘れがちなんだけんども、「西暦」というのは、ほんとは「キリスト暦」なんだよな。だから「モハメット暦」だって、「ゴーダマ・シッダールタ暦」だって、「ソクラテス暦」だって、ほんとは何でもありのはずなのだ。もちろん「皇紀」もね。なんなら、「カール・マルクス暦」だって、まかり間違ってあったかもしれない。さらには、まだ、そう長くはないが、「ビル・ゲイツ暦」とか「スティーヴ・ウォズニヤク暦」なんてえのも、この世には存在するのかもしれない。 ぶはは。相も変らずのバカ話で、申し訳ない。 それはともかくとして、この「2000年じゃなくて、2001年だぞ」という表現に、我が身を振り返ってしまったな。「HomePageではなくて、WebPageと書け!」と言っているわたしの文章の構造と同じではないか……。やだなあ。でも、ここまで普及しているものに対してまで、そんなにゴネた文章を綴るのも、無粋なので、他の人が使うことには、比較的寛容なのである。意識的な出版社は、ちゃんと「WebPage」ないしは「ウェブページ」と表記しているようだし。 それでも、やはり、「HP」という省略した表記だけは、どうしても許せない。蒙昧なるマッカーの頭から生まれたものであろうと、確信している。これについては、かつて(といっても、98年9月)に、以下のような文章を書いた。
そもそも、概念的におかしい用語利用である「ホームページ」を「HP」なる略号で表すなどというのは、馬鹿の自乗である。すでに書いたことであるが、コンピュータに関係する場所で「HP」という記号を使うのは、「ヒューレット・パッカード」のことを指すに決まってる事実ではないか。
こういうことを、しつこいくらい、何度も書いているのだな、わたしは──とちょっとだけ、あきれたんだが、それは別の話である。この文章に対して、
今どき「HP」でヒューレッド・パッカードを思い出さなきゃならないほど、でかい会社でもないし、世間一般的に(つまりはほとんどのWinユーザーが)ホームページを「HP」と略すし
という、たわけマッカーからメールが来たことがあった。あまりにも、どあほの極致なんで、いままで引用することも避けてきたのであるが、いい機会なので、このばかったれを叩いておこう。 「でかい会社」であることが、その認知度に貢献するかどうかとか、そういった問題に関しては扱わないでおく。それでも、このばかは、とんでもないことに、ヒューレッド・パッカード社が、認知度の低い企業であると、判断しているのである。要するに狭い知識と認知能力しかないくせして、まともに口をきけるとでも、思ったのである。 たとえば、「GE」と表記して、「ジェネラル・エレクトリック社」を思い出せないニンゲンに、ビズネスまわりの仕事を任せられると思いますぅ? さすがのわたしでも、「DEC」とか「VMS」とか「PDP」とかいうコトバを知ってなきゃ、なんてことは言わない。「COMPAQ」を知ってりゃじゅうぶんだろ、とも思う(哀しいかな)。 しかし、いかなる用語であろうとも、その使用にあたっては、「HP」だろうが、「2001年」だろうが、立ち止まって、考える時間なんて、われわれには、ふんだんに与えられているのである。 そんなの、別に、たいした作業でも、労苦でもないだろお? なんで、やんないの。 マッカーになってしまう陥穽は、そういったことを意識しない(あるいは、できない)ところに潜んでいるのだと思う。 おれは、いまだに、いろいろ立ち止まってるぜ。これでも。 実は、このあと、続けて、「一部に好評な(わはは)」食事系のマッカー話を書くつもりだったのだが、ちょっと、序奏を書きすぎちまったなあ。わりいわりい。 んじゃ、また、"Coming Soon!"ってことで、ゴメン。 これでも最近は、更新頻度上げてるんだから、許してね。押忍!
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