KiLL MACers! 1999
05/23 /1999      
マッカー
   陰鬱 の地図
 
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  用字用語のこと    
 たとえば、シナを「支那」と表記して気分を害する人がいるんなら、なんとなく、控えておこうとか、そう思う。でも、そのニンゲンが、ほんとに、その由来とかをコミで、「やめてくんない?」と言っているのかどうか、ほとんどの場合、疑問である。もちろん、それが侮蔑的な表現方法として発生したとか、どーとか、そんなのはどうでもいい。一部の無関係なばかったれに対しては、「おめえーから言われるオボエはねえ」と言ったっていいとも思う。
 差別表現と呼ばれるものがまかり通ることで、一種「よくない環境」が蔓延することもあるとは思う。しかし、残念ながら、人類は差別的な存在であり(歴史のキョーカショとニュース見てりゃわかるでしょ)、それがよかろうが悪かろうが、文化の系列に属する用字用語を使ってしまう事実は認めねばならない。たとえば、「秦」あるいは「チャイナ」が、「シナ」になり、どのような理由があってか、それを「支那」と表記したがゆえに、「支那そば」は、本朝において、確固として存在するのである(かなり無理をしているが、ま、煎じ詰めればそういうことです。許して下され)。
 たとえば、飯田橋のBというラーメン屋ののれんには、「支那そば」という文字が、目にも鮮やかに表記され、風に揺れている。わたしが「あああ、今日は、Bのチャーシューそばを喰いてえなあ。あの、トーキョーオリエンテッドな支那そばを」という文章を書こうとした時に、この「支那」という用語は、まず辞書に登録されていない。そういうときに、思うのだ。「それはないんじゃない?」と。
 実際、「戦争は良くないことですから、戦争用語は、一切登録していません」なんてえ辞書は、役立たずのノータリンだと言われても仕方ないだろう。たとえ、その他は、パーフェクトなものであったとしても、である。それに類するような用字用語に対する判断は、蒙昧の決定と呼ばれるべきである。アカやマッカーの連中の方法論というのは、結局のところ、それとおんなじようなものなんだけど、それについて書くと鬱陶しいので、とりあえず、ここまで。
  放送禁止歌    
 5月23日の早朝に(22日の深夜とも言う──ついさっき、じゃねえか。ばかだね、ジツに)、フジテレビのNONFIXで、『放送禁止歌』という番組が放送された(たぶん、トーキョー・ローカルだと思う)。要するに、なぜいろんな歌が放送禁止となってしまったのか、その理不尽な構造と不可解な過去を探るドキュメンタリー番組である。多くの曲を単なる引用ではなくフルコーラスで放送する等、なかなかにいい番組だった。ま、その内容に関しては、深くは書かない。放送されたのが、ほんとうにいい曲ばかりだったので、あえて記録しておこうと思っただけのことだ。
 もちろん、『支那の夜』があった。昭和13年、渡辺はま子のヒット曲で、作詞は、当然、西条八十。で、そのヒットにあやかって昭和15年に作られたのが、長谷川一夫と、李香蘭こと山口淑子主演の映画『支那の夜』。そいでもって、その主題歌が『蘇州夜曲』でして、こっちの方は、言うまでもなく放送禁止でもなんでもない。
 あとは『イムジン河』もあった。いい歌だ。
 これは知らなかったが、『放送禁止歌』という歌もあった。
 それから、『イムジン河』を唄った人が、『竹田の子守唄』も唄った。これも、とてもとてもいい歌で、この歌が放送禁止だなんてことを知ったのは、比較的最近のことだ(「守りもいやがる盆から先は──」というやつです)。わたしは、いまだに、赤子を抱くと、『竹田の子守唄』と『五木の子守唄』を唄うぞお。
 番組の最後にかかったのは、有名な『手紙』という歌だった。「わたしの好きなミツルさんは……」という歌ですね。なにげに、いい歌なんだけどなあ。
 そして、わたしが拍手したのは、『悲惨な戦い』であった。かつてコンサートの時など、なぎらけんいち(現「なぎら健壱」)は、この歌を、なんやかんやで30分ぐらい唄ってたとかいう話を聞いたことがある。この番組では、そのシングル曲をフルでかけたのだよ、字幕付きで。感動したなあ。もちろん、わたしは、ドーナツ盤を持っているのであるが(わはは)、すでにして、プレイヤーを所有していないので現在は聴く手段がない。もっとも、なんどもなんども繰り返し聴いていたので、ほとんど、ソラで唄えるんですけどね。
  そういうこともあったっけ    
 自主規制が悪いとか、それが思考停止だとか、そういうことを言いたいわけではない。直視することから始まるのが認識であると言っているだけのことだ。あるいは、それが、娯楽であったりもするということだ。
 民間施設を「誤爆」したからといって、それが、どうした。
 人類史上、最初に民間人をターゲットにナパーム弾(焼夷弾とも言う)を降り注いだのは、米軍である。東京も大阪も神戸も、そして名古屋も。それが、どうした。戦争なんだから、文句を言うな。それが、「ニュルンベルク裁判」と「東京裁判」の最終決定である。そんなこと、みんな知ってるでしょ?
 くだらねえことに追従して「謀略新聞」と呼ばれたぐらいで、うだうだ言うな。
 どこをどう切っても、アカ日は「謀略新聞」だろうが? モンクがあるんなら、珊瑚礁の落書きを消して、元どおりにしてから、じぶんチの一面にのっけてみろよ。できねえんなら、きさまんとこは、何百年経とうとも、まごうことなき「謀略新聞」だ。

 たとえば、わたしが、いまだにこのページを存続させていることで、「傷ついたり、気分を害する」マッカーがいると仮定して、それに対して、わたしは、何の責任を負わねばならないというのか。
 大昔に大阪空港訴訟というのがありまして、要は、騒音の損害賠償裁判ですわな。もちろん、ある程度、その主張は認められ、賠償を行う決定がされました。しかし、建設決定後に、その近辺にやってきた連中に対しては、この賠償が適用されなかったのです。「危険への接近」などと申しまして、自分から近づいたものに対しては、司法は、その訴えの権利を認めなかったのであります。
 とまあ、ここまで書けば、あとは、わかるでしょう。
 これでも、理解できないのなら、何を書いても、意味不明なままだろうからねえ。



 今回は、ほとんど、コンピュータ話がなかったので、逸脱だと思われるかもしれませんが、ま、それは、それでいいです。直接表現を避けるってえと、こういうことになるという見本みたいなもんでしてね。ええ、そうです。あんまり、あのばかったれどもに密着したことは、書きたくないんですよ、今んとこ。いろんなニュース見てりゃ、わかるでしょ? いろんなことが。

  わたしは、かつて、あのような
  悲惨な光景を、見たことがない
  それは、十年以上、をも前の
  国技館の、話です
        ──「悲惨な戦い」


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