KiLL MACers! 1999
07/08 /1999      
マッカー
   悪魔 の沼
【番外篇】
 
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  テキサス・チェーンソー大虐殺  
It don't worry me
It don't worry me
You may say I ain't free
But it don't worry me
 これは、ロバート・アルトマンの『ナッシュビル』という映画で、キース・キャラディンが唄ったもの。同映画において、この人が唄った"I'm Easy"は、アカデミー主題歌賞をとっているけど、この歌はそんなに有名じゃない。というより、正確には「あまり知られていない」。なんで、そんなものを、わたしがおぼえているのかというと、当然、映画を観たからであるが、それよりもなによりも、かつてサントラ・シングルを持っていて、そのB面が、キース・キャラディンによる、この"It Don't Worry Me"だったからである(ムカシは、キース・キャラダインだったんだけどな……ま、いっか)
 ──なぁんて、ナンでこんな話から始まるのかというと、知ってる人はみんな知ってる、(株)ベクターから『マイクロソフト Office 2000 アップグレード』のお知らせが来たからであります。そりゃ、イロイロと、からめ手からめ手で、右も左もマイクロソフト環境になっているのは、そうだし、それを「自由じゃない」とか言うくそったれどもの感覚もわからんでもないのだけど(もちろんホントはケーベツしてる)、ま、「それでもかまわない」と──。むしろ「早えぇとこ、やってくんな」という気分であります。そういうことです。
 そんなことをつらつらと、思っていたら、この曲と映画を思い出しました。
 事実上、ストーリー解説が不可能なこの『ナッシュビル』という映画は、1975年の映画です。信じられないくらい素晴らしい映画でした。ビデオ屋に置いてあることは、ほとんどないでしょうが、奇跡のようなフィルムでした。日本公開は翌年の4月でした。わたしにも、そういう若い日がありました。そういうことです。
 その1976年に制作されたのが、かのトビー・フーパーの『悪魔の沼』という映画です。本朝でも公開はされたのですが、「ほとんど無視」という扱いだったと記憶しています。『サイコ』のベイツ・モーテルを彷彿させる宿屋にいろんな客がやって来ます。ところが、そこのあるじが、ちょっとイっちゃってて、大鎌でばっこんばっこん殺しまくり、沼に住む、ペットの人喰いワニの餌にしてしまうという、なんとも恐るべき(というか、とんでもない)話です。もう、ほとんど、絵に描いたような「B級ホラー」なのですが、それだけでは済まない、理知性と計算性がかすかに見えてしまうのが、この映画が歴史に残らなかった理由なのかも知れません(ビデオ屋には、まずないと思う)
 わたしが、最初に、この「KiLL MACers !」を始めようとしたときに考えたのは、この『悪魔の沼』でした。そういうことです。いや、そういうことなんだよ、がはは。

 さてさて、「番外篇と謳っているからには、レイアウト話のいくばくかもあろう」とご期待の方には、実に申し訳ない。いや、ほれ、昨年8月に復活してから、もうじき1年なのですよ。しかも、わたしにしては、異常なほど、高頻度の更新で……。「もう、いーかげんにしとけよ、オマエ」という声が上の方から聞こえるような気がします。前の「番外篇」のときは、形とか、まわりの話(tableやCSSや色のこと)をしました。だから今度は、内容の話をしましょう。だから、期待した方々には「すまん」のひとことを申し上げておかねばなりますまい。
 野ざらしの「スタイルシート入門/助走」も、なんとか、CSSがトラックに入ってきたようだし、CSS2とか、そこいらのことを見ながら、ゆっくりとやるつもりです。お許し下され。
  アルフレッド・ガルシアの首を持ってこい  
 いつもは、これでも(わはは)構成とか、そんなことを考えて書いているのです。だからといって、イイモノができているとは、自分でも思えませんが、単にマッカーへの悪口三昧とか、よくある「日記文章」にしているつもりだけはありません。
 だってねえ、「マッカーへの悪口」なんて、最近は、道端でも聞くようになったもん。かの腐れマシンに「けーー、かっこわりー」とか言ってる男の子や、「はぁ〜、マックはデザインがいいもんねえ〜、死ねやボケ」と言ってるアベックの男の子とか、ホントーに、複数回、体験したもんです。「じゃあ、わたしが、いちいち書く必要はないかな」というのが、正直なところです。
 ほれ、これだけ何年もやってきてると、なんだか、正面から罵倒したりするのも、「もう、いいかげん気恥ずかしいものがあるなあ……」とか。でも、やるけども。

 かつて、コンピュータ関係の広告作文屋をやってまして、そのときは、もちろん「クライアントが気恥ずかしくなるくらい、持ち上げる」文章ばっか書いていました。ジツハ、それはそれで、気持ちいいんです。基本的に、マーケットが広がってくれることこそが、当時の、第一課題だったからということもあります。だから、チョーチンどころか、祭りの松明やら、夜間撮影用サーチライトまで持ち出したような文章だって書いたことはあります。それはそれで、よかったのです。
 たとえば、「企業べったり」やら「マイナス面無視」のライターを罵る連中が、いますでしょ? もちろん、アッタマワリィくせして、てめえに文章が書けるつもりでいるノータリンの理系バカどもですが(だいたい、こーゆー連中は、どいつもこいつもサッカー好きだったりするんだな、高確率で。たかだか観客のくせして、てめえのことを「サポーター」なんて呼べてしまうような爆裂ドアホどもです)、ああいうのは、当然、ほとんどマッカーですね。
 あえて、経済理論とか、文学理論とか、そういう比較的「ブンケー」モードを排除して書きますが、この世紀において「観察者問題」が、最も怒涛の転換を起こしたことは明白です。ハイゼンベルクの「不確定性原理」からこっち、「絶対の観察者」なんてえものは、もういない、と認識した上で文章を書くことなんて、当然デショ。
 量子力学の世界のメタファーをすべて現実世界に対応させるべきではない──と、わたしも、当然そう思います。しかし、最低限、わたしは、それを認識して文章を書いています。そのつもりです。
 うわあ。鬱陶しい文章だな(比喩も難解だし、てへへ)。
 いかんいかん。最近、「笑い」が少ないから、こんなことになるのだな。
 うん。これは、反省しておきます、です。
  アリスは、もうここには住まない  
 前回「マッカーつれなのふりや」は、一部で、異常に好評であった。
 もうそろそろ、いいだろ、と思って、あの「見出し」群を出したのだが、PANTAのことを好きな、「すでにしてジジイと呼ばれているであろう」方々が、こんなにもいたのか、と、今回の反応を見て、びっくりした。
 かつて、弦楽四重奏団をバックにして、「ステファンの六つ子」を聴いたことがある。間奏ののち、2番になると、ドラムの音とともに緞帳が上がり、PANTAは、高らかに唄った。今も記憶に残る。中央大学のライヴも見にいった。「校門のところでモメた」とPANTAは言った。会場はウケた。新宿ロフトにも並んだ。ドラムの人(だったと思う)のお母さんが危篤で、その人は実家に帰ってしまい、予定していたバンドとしてのライヴはできなくなった。それで、PANTAは、ギター1本で、ステージに立った。「母親のために帰るのも、母親を無視してライヴをやるのも、どちらも、ロックだと思う」と、PANTAは、言った。
 今も記憶に残る。
 新宿を好きな理由は、山ほどある。
 今から思うとうっとうしい、ツバキの「ロンドンナイト」だってあった。「カンタベリーハウス/ビバ館」には、ノーミソが抜けかかったばかったれ連中が、騒ぐは、始発を待つは、で、だらだらしていた。伊勢丹そばのRadioCityには、休日前のデパート娘を物色している「若人」がわんさかいた。他のディスコでは、文化女子の連中を狙って「文化の日」と称している鬼畜どもが、床を這っていた。まだ、コマの前のたまりには、水があった時代の話である。
 でも、そこで、PANTAを観たんだから、それだけでも、新宿は素晴らしい街だ。そう思う。
  高所恐怖症  
 もう忘れましたが、数年前に、結核になりました。
 それが、わたしの、いろいろなことを変えたと思います。
 幸いに幸いが重なり、結核は、完治しました。
 その後に関しては、イロイロと説明するのがメンドーなのでやめておきますが、要するに「カラダのバランスは、いったん崩すと、回復が難しい」ということです。
 わたしなんて、いつも「5年早い」と言われ続けているのですが、さすがに結核になったときは、「5年後に流行るでえ」などというジョークは、言えませんでした。でも、ほんとに、「結核流行」なんて、ホントに、そうなっちまったんで、とりあえず、驚いている今日このごろです。
 でも、とりあえず、「ここを書いてるから」、元気です。

 
 そう、「番外篇」のラストは、こういう風に、シメたかったのですよ。

スタイルシート(CSS1)等に関する質問は、常時受け付けておりますが、御質問の際は、具体的な御自分のページのURLを書いていただけると幸いです。
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