| KiLL MACers! 1999 |
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08/17 /1999
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K i L L M A C e r s ! |
ポツダム宣言受諾
1945年7月、ベルリン郊外ポツダムにおいて、トルーマン(米)、チャーチル(英)、スターリン(ソ)の三者が会談し、7月26日、米英中三国共同宣言として発したのが、「ポツダム宣言」と呼ばれるものである。なんでまた、ここにソ連が名を連ねていないのかというと、1943年11月27日の「カイロ宣言」(米/ルーズベルト、英/チャーチル、中/蒋介石)と、1945年2月11日の「ヤルタ協定」(米/ルーズベルト、英/チャーチル、ソ/スターリン)のことを知っていないと、話にならない。「ヤルタ協定」ってのが、秘密協定だってことぐらいは、知ってるでしょ? そういうことです。ま、知らなきゃ知らないで、それでもいいけどね。でも、だったら、「8月15日って、いったい何の日のなの?」と言ってる若人のことをバカにする権利は一切ないね。わたしは、そう思うよ。
というわけで、8月15日は、その「ポツダム宣言」を受諾した日なのでありました。これをもって、敗戦記念日としているのでございます。 まあね、負けちゃったんだから、仕方ないよね。 だったら、次は勝たなきゃね、というのが、わたしのスタンスです。日清日露を合わせりゃ、まだ2勝1負なんだから、そう捨てたもんじゃないよ──とかね、わはは。別に、戦争じゃなくてもいいのは当然なんだけど、それを経済に特化したりすると、かつてのこの国の「繁栄」のようなものになるというわけです。もっとも、水道の蛇口(国防)は、海の向こうに握られてたんだから、あたりまえといえば、あまりにも当然のことなのですが。
負け戦
せっかく耕した畑を陵辱されて奪われてしまったのは、この国も、林檎電脳公司もおなじことです。だったら、「次に勝つための方策」を考えなきゃ、そりゃあ、ニンゲンじゃないでしょ。奇妙な一時的「繁栄」のごときものに酔っぱらっているなんてえのは、マッカーどもの、暗く、陰惨な未来を告げているだけのこと思うけどな。「思う」と書いたけど、これは確信だわな。
ウォズニヤクが言うように、ソフトウェアのアドヴァンテイジを追求しなければ、あの会社とその信者どもに延長する時間軸は存在しないでしょ。それとハードウェアとの融合的形態を目指すのであれば、マーケティング的には「ニッチ・マーケットをターゲットとしている」と言わざるを得ないのは当然のことじゃないの。 その無様なインターフェイスを整理し、ワンボタンマウスを撤廃し、完全にマルチタスクに対応し、ノータリンで運動神経のないマッカーどもを排除し、たとえば、Linuxのスキンとして対応するような、一見「国辱的」とも思えるような方策を踏まねば、次の、いくさも、負け戦だね。パーフェクトに。
太平洋戦争
1992年12月に開始された「NHKスペシャル」の6回シリーズ、『ドキュメント太平洋戦争』は、何度か再放送されて、それからここ数年、オンエアされていない。ビデオが文藝春秋社から出てたような記憶があるが、まず入手困難であろう。また、この番組を書籍化したものが、角川書店から出ていて、現在は文庫化されている。
ホントのことを言うと、「毎年8月には再放送せい!」と強く訴えたいのであるが、ま、そうもいくまい。でも、ホントにいい番組だったんで、あえて書いておく。NHKは、総合の深夜で、昔のものの再放送とかを最近よくやってるので、幸運にも、その情報に触れることがあったら、是非観ることをおすすめしたい。また、角川文庫の方も、とても素晴らしいドキュメントになっているので、興味のある方は、お読みいただきたい。 どのように、すばらしいのか、とか、どのくらい、がびゅーんとくるのかとか、そんなことは書いていると、このページ表示時間に差し障りがあるほどの分量になるので、あえてひかえておくが、「とにかく、すごい」とだけ言っておく。この番組のせいで、わたしは、泳ぎも、潜りも一切せずに、サイパンでクルマのハンドルを握っていたのだ。 そのシリーズの第2回のタイトルが、「敵を知らず 己を知らず」というものだった。マッカーには、このコトバを捧げたいね。合掌。
言語速度
向こうのペーパーバックを読んで、こっちの単行本を読むと、「なんでまたこんなにカサが増えるんじゃ?」と思う。実際、分厚いものでも1冊なのに、翻訳となると、文庫で2冊とか3冊とか、そこまで増殖してしまう。
どんなに上手な翻訳者によるものでも、日本語化されると、物理的文章量は増えてしまう。こればかりは、どうしようもないことなのだとおもう。 実際は、経済的な要請によって、そのような形態で出版されていることも多々あろうかとは思われるのであるが、それにしても、あまりにも、「ふとりずぎ」である。 日本語というのは、ほんとーは、そういうものなのだろうな、と、そう思う。 契約に関わる法律文書でも、同様であるから、おそらくは言語の本質に関わる部分なのだと思う。んでもって、物理的分量が多い、ってのは、その読解に時間がかかるのは必然で、俊敏な反応を必要とされる局面においては、「不向きな言語」と言われても仕方がないのかと、そんなことを考えたのである。 こないだの戦争に負けたのは、こんなことも理由のひとつかな、などと考えながら、インターネットのバーンズ&ノーブルで購入した本を読んでいた夏の日の話である。
スタイルシート(CSS1)等に関する質問は、常時受け付けておりますが、御質問の際は、具体的な御自分のページのURLを書いていただけると幸いです。
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