新聞発表によると、サン・マイクロシステムズによるアップル・コンピュータの買収騒ぎは、同社の会長スピンドラー氏の事実上の解任によって、頓挫した模様。なおも、赤字続きに加えて、大量レイオフを行ったアップル社の経営は不安定とされ、ユーザーの間にも不安感が広がっているという。その革新的な技術と先見性によって確固たる地位を占めたマッキントッシュは、このまま消えてしまうのだろうか?本原稿は、「FMVファミリー創刊No.1」に掲載されたものの、元となっているテキストである。部分的に、掲載時のものとは異なる部分があるが、基本的には変わらないものと考える。また、特にこの原稿は、数ヶ月前に自らの手によって書いたものであるのにも関わらず、現在では、その意見にまったく賛同できないようになってしまっている部分も多々ある。 |
|
|
ジョン・スカリー John Sculley。ペプシからアップル社会長へ就任。会長職を退任後、現在はLivePicture社のCEOをつとめる。 |
■Macにすべきか、■Winにすべきか。 昨今のコンピュータ・ブームとも呼ぶべき流行によって、圧倒的な数の「ビギナーユーザー」が生まれたようである。その大半は、Windows 95のユーザーであるが、それに影響を受けるように、日本ではマッキントッシュのユーザーが増えている。 本誌の読者も、コンピュータ購入にあたって、富士通のDeskPowerにすべきか、あるいはやっぱり、Macにしようか……などと悩んだくちではないだろうか。それぞれに要求されている状況もあり、またパーソナル・コンピュータは、完全に趣味の分野のものとする割り切り方もあるので、一概には言えないが、もしもあなたが、DeskPowerを買ったのなら(おそらくは、だから本誌を読んでいるのだろうが)、かなりの部分で「仕事」というものが、頭をかすめていたと思う。 会社で使っているのと、ほぼ同じようにデータの使いまわしができる。疑問点やトラブルが起きても、質問する人間がまわりにいる。……などなど、会社での利用している自分を前提として、購入を決定した部分が大きいと思われる。 しかし、仕事というものへの密着度という点では、実はMacの方が、かなり強い。 デザイン・出版・音楽、これらの分野において、事実上、この日本においては、Macでなければ話にならないことの方が多い。最近では、そうでもなくなりつつあるらしいが、Macユーザーは、そうやすやすとWinへ「ころんだりしない」ので、依然として、マーケットはMacのものだ。 この現在へ至るMacの流れを作ってきたのが、アップル社の元会長スカリーである。現在のアップル社のことを理解するには、ここから始めなければならない。あまりにも遠回りの説明のようだが、実はこの時に現在の状況を生む萌芽がすでに存在していたのである。 ■オープンからの離別 ■DTPへの選択 実は、アップルが危ない、と言われたのはこれが始めてではない。 シェアからすると、10%そこそこのマシンと、その他大勢(MS-DOSからWindows)とを比べることからして、すでに変な話なのであって、もともとが特殊なマシン環境を提供するのがアップルという会社なのであった。 その話を以下でしよう。 IBM系マシンは、その構造をオープンにすることによって(IBM自身は少々マーケットをさらわれてしまったが)、IBM互換機を出す「コンパチメーカー」と呼ばれる大船団を作り出し、これが現在の大マーケットを生んだ。 かたやアップルは、8ビットマシン「AppleU」でのオープン路線を変更し、先進の構造と、最新の技術を投入した「Macintosh」の仕様を公開しなかった。「マックのソフトを使いたいなら、マックを買え」という、商売的には、19世紀的な方法論を使ったのである。 当然、収益が先細りになることは明らかで、ここでアップルの創立者をも追い出して、スカリーがとった戦術が、マーケットのピンポイント攻撃であった。一例をあげると、当時注目を浴びていた、デスクトップ・パブリッシングという新マーケットを創造し、それへの対応を重点的に行った。実は、この表現は歴史的に言うと、「修正主義的な表現」による歴史なのであるが、物事をわかりやすくするためにあえて行うことを許していただきたい。 ともかく、これでMacは、パーソナル・コンピュータの世界から「足を洗った」わけだ。 本来、パーソナル・コンピュータは、「多方向に多目的性を有する存在」であって、必ずしも、「ある道具」であることをよしとしない。 ワープロのために買ったつもりが、データベース用の端末として利用されたり、ゲームのために買ったつもりが、いつのまにかプログラミングに使っている、というのが、PCの本来の姿である。PCに「本来の姿」などというものがあるのかどうか、というのはまた別の問題なので、ここでは深く触れないが、要するに、単一目的を果たすために購入し、それで完結するのでは、ただの「マイコン付電子レンジ」となんら変わりない。 スカリーの戦略は、どういうものであったかというと、「Macのソフトが使いたかったら、Macを買え」という論理を敷衍して、「DTPをやりたいならMacを買え」というふうに進めたのである。 この戦略は、かなり有効で、「危ない」と言われたアップルがかなり盛り返してきたのもこのころである。もちろん、この方法論は、印刷・デザインの分野に留まらず、音楽・映像などのアミューズメント分野にも適応し、さらにCD-ROMという媒体を普及させる原動力ともなった。 |
|
アップル社の「ようこそ」広告。 IBM-PCの登場に対して、パーソナル・コンピューティングの世界への参入を歓迎したもの。PC分野で先行する、アップル社の余裕と、マーケットの広がりに自信をもっていたものと言われている。この後、マイクロソフト社の快進撃が始まるとは、当のIBMもアップルもまだ知らなかった。 |
■先進的であること ■進歩していくこと それを成立させるのは、もちろんMacの先進性にある。しかしそれだけだ。 技術のブラッシュアップが必要とされ、大マーケットへの対応が必要とされるときに、アップル社は、常に「そこにいない」。先進的であることを標榜するためかどうかはしらないが、もう次の方向を向いているのである。 PCであることを捨て、単なる道具に成り下がったMacが、いかにその内容を誇ろうとも、意味を成さない。「Windows 95なんて、Macintosh 89だ」とする広告をアップル社は行ったが、その間、Windowsが進化するのをただ観ているだけだったことを告白しているに過ぎないではないか。IBMがパーソナル・コンピュータに進出したときに、アップルが行った「ようこそ」の広告のような潔さと、余裕と、自信など、微塵も感じられない。 正直に言って、Windowsの最初のヴァージョンはすさまじく「ひどかった」。あれでまともに仕事をしている人がいたとは思えない。それがWindows3.0になったころから、合衆国では「Macが落ち目だ」と言われだした。それでも、いまから考えるとまだ、Windows3.1のベータ版だったような気がする。 そして今度のWindows 95の登場である。 かなりの革新と多くの剽窃、それでも、その新しいものを作った努力だけは評価したいと思う。内部的には、まだまだ問題も多く、本当の32ビット・アプリケーションで仕事をしたいのなら、Windows NTか、OS/2を使うことを薦める。しかし、パーソナル・コンピューティングの分野を、山頂近くから裾野まで、格段に広げたという意味では、どんなに評価してもいいと思う。 そんなふうに、進歩していくことを前提としているのがWindows環境である。それでは、進歩、あるいは進化にとって、もっとも必要なものは何か。それは、質ではなく量である。 かくして、巨大マーケットを擁するWin陣営は、さらに進化してゆく。それは、必ずしも先進的ではないかもしれない。しかし、その変容が約束されているのだ。 |
|
新規格 現在、PowerPCを搭載するマシンの標準規格であるCHRPが進められている。これが成功すれば、Win陣営に対抗できるMac陣営や、OS/2陣営が成立する可能性もある。しかし、あまりにも遅すぎた、というのが正直な感想である。 |
■次の一歩と ■新たな戦略 もう、ご存知の方も多いだろうが、Windowsの次期ヴァージョンは、「Windows 97」となる模様である。これがまた遅れて1年繰り下がったりしようものなら、Windows 98となるから、日本電気のPC-98用のWindowsを購入するときが大変なことになる。「98用の98を下さい」とか、あるいは「うちは98じゃないんだけど、いま95が動いているんで、こんど98を導入したいんですけど」とか、秋葉原や新宿西口の店員さんの苦労が、いまから、しのばれる。 だから(というわけでもないだろうが)、おそらくは「Windows 97」は、1997年中になんとしてでも出荷されると思う。実際、本来のヴァージョンナンバーからすると、Windows 95は、Windows4.0で、こんどのWindows 97は、Windows4.1といったところだろうから、それほど遅れるとも思えない。たぶん、16ビットアプリケーションの大幅な「切り捨て」が行われるだろう。 対するMacは、MacOSの新ヴァージョンが控えている。またMacOSもハードウェアも、両方のライセンスを他のメーカーに供与するオープン戦略を進めていくという。 MPUであるPowerPCの更なる強化と、それに対応した新OSのパフォーマンスが上がれば、新しいMacは、再び「パーソナル・コンピューティング」の世界に帰ってくるかもしれない。 おそらくまだ、Macはなくならない。 もしかすると、アップルコンピュータ社が数年後に消えている可能性はあるが、最低限、MacOSはなくならない。現在その先進性を要求される世界が開けてきたからだ。 |
|
ビル・ゲイツ Bill Gates。言わずと知れたマイクロソフト社のCEO。その歴史と、ヴィジョンは、著書である『ビル・ゲイツ未来を語る』に詳しい。そのヴィジョンが信じられない人でも、上質のSFだと考えるとかなり面白い内容。実際、それを本気で現実化しそうなところがもっと恐い。 |
■インターネットの大海■マーケットの爆発 コンピュータ・ムーヴメントとでも呼ぶべきものが、うねりをあげて動き出した。 ご存知の「インターネット」である。 これもまた、インターネットのエンドユーザー利用を促したのは、Mac環境の方が早かったようだ。理由は簡単で、Windowsシステムのネットワーク環境に対する整備が遅れていたからである。 マイクロソフト唯一の死角とも呼ばれていたこの部分も、Windows 95の発売によって、なんとかMacシステムに足並みをあわせることができるようになった。 よく「インターネット、インターネットと、世間はなんだか騒がしいようだが、それがどれだけのインパクトをもたらすものか、理解できない」という人がいる。では、以下のように言い換えてみよう。「電話、電話、と世間は騒がしいが、それがどれだけ役に立つのかわからない」……これは、実際に電話が普及する直前にされた発言である。 現在、事業を営み、現実の生活を行うのに、電話がなくては話にならないように、21世紀は、インターネットなしでは、事業も、個人的生活も成立しないようになる。これは、脅かしでも、単なる予想でもない。賭けてもいいが「確実な未来」である。絶好調のシンボリルドルフの単賞を買うより、さらに「鉄板」の賭けであると言っていいだろう。 インターネットが本格的に普及するためには、まだまだ「インフラストラクチャ」の整備が遅れている。合衆国でさえ、そうなのだから、いわんや本朝をや、である。しかしCATVのインターネット参入が、先の連邦議会で承認されたので、これから先は怒涛のようなインターネット活用の未来が待っている。 現在、28,800bpsとか64Kbpsとか言われている回線速度であるが、ケーブル利用が始まれば、この100倍の高速「情報ハイウェイ」が登場することになるのだ。 まず流通が変わる。マスメディアが変わる。そしてさらに、商品自体も変化する。インターネット上の情報自体が、立派な「商品」として流通するようになるわけだ。 現在、8,000万人と言われるインターネット人口は、2年後に2億人を突破するという。その1%が、インターネット上のWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)の情報ページにアクセスしただけで、200万人。さらにその1%が、購入する商品を考えただけで、すでに2万人のユーザーを擁することになる。 それまで、たとえ画期的な商品であっても、マーケットサイズを考えると、投入した資本に見合うだけの収益が上がるとは思えない場合、その「画期的な商品」が市場に登場することはなかった、か、あるいはほとんどまれであった。 それが、潜在的マーケットと、そのスケールメリットを生かして、「画期的」「先進的」な商品を、しかも安価に提供できるようになるのだ。 ここにきて、世界はアップルを待っている。 マーケットを視座に据えたマネジメントという点では、現在のアップルは、「劣悪」すら通り越している。しかし、その技術の先進性は、他を圧する可能性を持っている。スケールメリットをじゅうぶんに考慮して製品開発に望めば、MacOSが死滅することはないだろう。 ■立ち上がる帝国 ■大海にして激戦地 無論、マイクロソフトを旗頭とする陣営も、このマーケットをただ見ているだけではない。 それまで、Windows 95のオプションとして「Plus!」にしか入っていなかった。インターネット用のアクセスツール「インターネット・エクスプローラ(Internet Explorer)」をヴァージョン2とし、しかもフリーソフトとして配布しはじめた。 これには、現在のところ事実上の標準であるネットスケープ・コミュニケーションズ社の「ネットスケープ・ナビゲータ(Netscape Navigator)」への対抗策という意味合いが大きい。「眠れる獅子を起こしてしまった」とか、「ビル・ゲイツを刺激しすぎたのではないか」とか、コンピュータ業界では言われたりもしているが、「事実上の標準(デファクト・スタンダード)」戦略と言えば、マイクロソフトのお家芸であり、それをやられてしまったのでは、マイクロソフト(ビル・ゲイツ)も黙っているわけにはいかなかったたのだろう。 また、マイクロソフトのネットワーク構想である「msn」も、方針転換し、インターネット接続サービスへ向かったようだ。さらに自社の技術をインターネットでの利用に向けて、少しずつ方針転換してきているようであるし、「眠れる獅子」とまでは言わないが、パーソナル・コンピューティングの巨人を動かすに足るものがインターネットにあるのは事実のようである。 インターネットというすばらしいマーケットは、豊富な栄養と快適な環境にあふれた大海であるが、またある意味で、21世紀の覇権を求めて、各企業がしのぎを削る「大激戦地」であるとも言えるだ。 |
|
NC NCに似た規格のインターネット用端末を、近くマイクロソフトも発表するという。なんと600ドルぐらいになるらしい。 |
■ネットワーク・コンピュータと ■Javaの登場 戦乱の時代には、必ず思いもかけぬところから伏兵が登場する。 ほとんどだれもが、今川か、武田が天下を獲ると思っていたところに、織田信長が登場し、あっさり京へのぼってしまった。 NHKの大河ドラマは好きだが、その話ではない。大河ドラマ並みの話が進行しつつあるのが、コンピューティングの世界なのだ。 企業向け大規模データベース管理ソフトの分野で、圧倒的な地位を占めているオラクル社が、まったく新しい構想のマシンを打ち出してきた。 それが、「ネットワーク・コンピュータ」=「NC」である。このほとんど余計なものは付属させていない約500ドルのマシンは、インターネットに接続し、その端末として動く。ソフトはその都度、必要なものを必要なだけ、サーバーから持ってきて利用するから、何ギガバイトもあるようなハードディスクは必要ないという。 同様の構想の下に、バンダイは「ピピン・アットマーク」というゲーム専用機のようなマシンを発売、ソニーもこれに続く他、現在各社が、次世代の家庭用PCとして、このNCに注目している。 これを現実のものにしたのが、サン・マイクロシステムズ社の新技術「Java」である。単純に言えば、Javaは、開発用のプログラミング言語に過ぎない。しかし、ネットワークでの利用を前提としてして開発されたため、インターネットでの活用に最も適切な言語として認められている。 実は、マイクロソフトもインターネットでのJava利用を簡便なものにする「Javaスクリプト」のライセンスを取得。次世代のインターネット標準言語として、すでにJavaは認知されてしまったわけだ。 このJavaとNCのコンビネーションが、インターネット利用のさらなる可能性を広げるとして、現在のコンピューティング環境は、インターネットの中でも特にこのJavaを中心に動いている。現在、経済界が、注目しているのも、このJavaによる業界の激変を予想してのことなのだ。 もちろん、異論もある。 いわく「ハードが安くてコスト的に元が取れるわけがない」、「ハードが安くても通信費が馬鹿にならないのならそんなものを使う人間はいない」、「通信環境の整備が不十分なのにまともに使えるわけがない」等々である。そんなことは、オラクルも、サンもとうに検討済みだ。もしかしたら、JavaやNCで儲けるつもりなど、はなからないのではないか。 JavaやNCが広がれば、当然、サーバー用のワークステーションが売れる。それは現在、圧倒的なシェアを誇るサンの売り上げとなる公算が高い。また、サーバーのサービスは、大規模データベースを前提とする。それは、もちろんオラクルの独壇場となる可能性が高い。勝ちは誰か? 当然、サンとオラクルである。 ■PCからNCへ ■高度な「棲み分け」は可能か すべてのPCがNCに変わるだなどと誰も思っていない。ごく高度な形態で、PCとNCは、お互いの棲み分けができるであろう、というのが大方の予想である。果たしてほんとうにそうであろうか……というのが正直な感想である。パーソナル・コンピュータが、限りなくワークステーションに近づいてしまったように、「NCがNCの顔をしたまま、徐々にPCのほとんどを取り込んでしまう」ということはないだろうか。そうなれば、WinもMacもない。もちろん、NCの完敗という可能性も依然強く残っているが……。 実は、マッキントッシュというハードも、MacOSも、歴史から確実に消える。しかしその時は、Windowsも存在していない可能性が高いのだ。 (FMV Family No.2, 1996 / SOFTBANK Corp.) |