| いや、実は、それでもいいと思うのだ。コトバなんて「乱れててなんぼ」の世界かもしれないと、本気で思ったりもすることがある。ところが、ことコンピュータ用語がニホンゴ化されるときに、きわめて尋常ではない様相のまま発生し、それが受け入れられることが多々ある。ちょっとカンベンしてくんないかなあ……とか思っても、世の大勢には抗し得ない。しかし、その原因は分かっている。要するに「心の乱れ」なんだな。 | |
発音について![]() そういえば、去年 Windows 95 の開発コードネームとして有名になった Chicago のことを、「シカゴ」じゃなくて「チケイゴウ」と面白がって呼んでいたことがあって(ホントはそんな発音じゃありませんよ)、かなりにうっとうしいヤツを見るような視線を感じて、楽しかった。 ISDN ![]() 統合サービス・デジタル通信 (Integrated Service Digital Network) のこと。日本だと、 INS ネット64が有名。 DKNY ![]() Donna Karan New York (ダナ・キャラン・ニューヨーク)のこと。ファッションのブランド名です。去年まで、このロゴ入りTシャツを着た人間が、ごろごろいたでしょう? 読み方 ![]() config.sys は、「コンフィグ・シス」。 autoexec.bat は、「オートエグゼク・バット」と読みます。 Win95 になって、もはやあまり聞かれることがなくなりましたが、まだまだ、このファイルたちをいじって、トラブルが発生したり、解消したりということもあるようです。 |
■パーソナル・コンピュータが■「パソコン」になる風土 まだ「ミニコン」は納得できた。これが「オフコン」になるとかなり違和感を覚えたが、それもじきになれた。かつて報道などで、クレイ2のことを「スパコン」と言っていたのは、かなり気持ち悪かった。さすがに、これは普及せず、みんなきちんと「スーパー・コンピュータ」と呼ぶようになったが、そのクレイ自体が買収されてしまったのだから、「スーパー・コンピュータ」という概念自体が、地盤沈下しているのであろう。 しかし、しかしである。「パソコン」だけは、いまだに我慢ならない。すでにして完全に普及してしまったが、なんでまた、パーソナル・コンピュータの「パ」と「ソ」と「コン」を抜き出して平気でいられるのか、その精神構造が理解できない。 長いようならPCと呼べばいいのだし、わざわざ「パーソナル」なんてコトバをくっつけないで、ただ単に「コンピュータ」と表現して、何か問題でもあるのだろうか? この期に及んで。 まさか、「パソコン」が英語だとでも思っている人はいないだろうが、どの外人の発音を聞いても「パーソヌ・カンピューラ」にしか聞こえないものを「パソコン」とあえて表現するからには、なんらかの強い意図があってのことだろう。いっそ「パーコン」と呼んだ方が、潔くていいと思うのだが、それだと「パーなコンピュータ」とでも、感じてしまうのだろうな。 ひとことで「風土」というと語弊があるかもしれないが、この「パソコン」というコトバには、強烈なイングリッシュ・コンプレックスという土台があると思う。そういう風土を持つ国にわれわれはいる。前の戦争に負けたことだけをその原因にしているのではない。それに加えて、テクノロジー導入段階において、極端なレトリック上の変容を与えるのが、この国の得意技なのである。 海の向こうからのものを導入することに実に寛容なこの国の人々であるが、なんのかんの言っても、やっぱり「知らない新しいモノ」は恐い。その恐怖心を和らげるためにとられる方策が、用語の圧縮であったり、単語の変換であったりする。 それを容認しているうちは、この国の技術がグローバルに受け入れられることはないのではないか……などと、うっかり思ってしまうくらい、この「パソコン」というコトバは気持ち悪い。 とある雑誌に、「パソ・ハラ」という単語が載っていた。「テクニカル・ハラスメント、デジタル・ハラスメントとも言う」と表記していたから、「パーソナル・コンピュータ・ハラスメント」のつもりなのだろうが、それで「コンピュータ」は、いったいどこ行っちゃったの? そういうコトバをヘーキで使えるのって、かなりに醜悪であるし、頭がウルトラ悪そうな感じがする。 ■何でもホームページと呼ぶのは ■もうやめてくれないかな 最近、似たようなカンジを受けるのは、WWWページ、ないしはウェブページのことを、何でもかんでも「ホームページ」と呼ぶ風潮である。 普及の初期段階でよくある誤解なのだが、ウェブページの第1頁めのことをホームページと言うのであって、どれもこれもすべてをホームページと呼ぶのは、明らかに概念上の誤りである。それでも、ここまで普及してしまったので、もはや取り返しのつかないところまで来ているのかもしれないが、最低限わかっている人だけでも、きちんとコトバの正確な意味で使うべきだと思う。 一般雑誌記事でもはなはだしいものは、ホームページをHPと略号化して表記してあったりする。もしもわたしが、ヒューレット・パッカードの広報の人間だったら、そういう雑誌には絶対に抗議を入れるな。 ちょっと前に NHK の BS2 でやっていたインターネット特集の番組では、最初にきちんとことわって、一貫して「ウェブページ」と呼んでいた。けっこう好印象を得たが、一般紙を見ていると、依然として「ホームページ、ホームページ」のオンパレードだから、世の潮流は、「間違いなんて気にしない」ということなのだろう。 そういう風土、というか、どこか、テクノロジー分野の外来語に恨みでもあるんじゃないかとしか思えない昨今である。 このごろでは「ナイター」は姿を消し、「ナイトゲーム」と言うようになったし、「マネージャー」と表記する出版物はほとんどなくなり(まだまだ、残党はいるようですけど……)、「マネジャー」と書くようになった。それでも、ことコンピュータに関しては、いまだに「パソコン」だし、何でもかんでもヘーちゃらで「ホームページ」と呼ぶ。 ちょっとなんか、カンジ悪いなあ。 ■もしかしたら英語とPCが ■すごく恐いのかもしれない
前述したように、おそらくは英語が恐いのに加えて、テクノロジーに対する恐怖心が加算されて、このような用語の曲解や変容が発生するのであろう。反論も承知である。 たとえば「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」を「日米安保条約」と略すように、英語でも、North Atlantic Treaty Organization を NATO と表記するじゃないか……と。 はい、そのとおりです。ただし、それを「ナトー」と書いたり読んだりしたら変でしょ? そういうこと。それに、 NATO は「ナトー」じゃなくて、「ネイトウ」と発音するのがホントなのだから、話はなお複雑なのである。用語の使用をきちんとしようとして、「ヨーロッパのネイトウ軍が、なんたらかんたら……」とかいう話し方をしようものなら、「いけすかねえヤツ」と思われるのは必至だ。 こういう例は、英語というものに対する、ちょっとした抵抗感からくる(特に発音上の)問題だと思われる。 さらなる反論。 たとえば ISDN は、きちんと「アイ・エス・ディ・エヌ」と発音しているじゃないか。 SCSI は、「スカジー」であれ「スクージイ」であれ、アメリカの連中とほぼ同じように発音しているじゃないか、というもの。 これらの略号が、比較的正確に利用されているのには理由がある。それは、そのままだと、あまりにも日本語として発音しにくいので、ちゃんとした規範を参照しているだけのことだ。それでも適当な発音がないときは、単純にアルファベットを読んでいるだけのこと。 ISDN を「イスドン」と発音する人間は(多分)いないし、コンピュータ用語ではないが、 DKNY を「ディクニイ」なんて発音する人間も存在しない。ニューヨークのデパートのお姉さんだって、電話で「イエス。ティズ、イズ、ディー・ケイ・エヌ・ワイ」と言っていた。それでも、 DKNY が「ダナ・キャラン・ニューヨーク」と、日本人にも認識されているのに対して、 ISDN が「統合サービス・デジタル通信網」だときちんと認識されているかというと、かなりに疑問だ。 特に、コンピュータ用語で、顕著だと思えるのは、ファイル名や拡張子の呼び方である。 DOSの時代に config.sys や autoexec.bat をどう発音するのか、というのは、ビギナーにとってかなり多くの人間がぶち当たる問題であったし、もしかするといまでもそうなのかもしれない。 問題、というほどのものではないが、OLE を「オーレ」と発音している人は、あまりいないと思う。やはりこれは「オー・エル・イー」と言ってもらった方がわかりやすいし、第一、「オーレ」なんて言われると、ちょっと気恥ずかしいものがある。あ、もしもいたらごめんなさい。しかし、多分少数派だと思う。 反対に、JPEG や MPEG は、比較的多くの人々の口にのぼることも多く、ビギナーでもちゃんと「ジェイペグ」「エムペグ」と発音している。そう読むことが、論理的に読みやすいからだと思われる。ところが、新技術が急速に普及すると、普通は、ヘンな読み方が広まったりすることの方が多いようなのだ。 |
日本語オンリーのページ![]() 欧文フォントで、日本語のページを見ると、イラストのような摩訶不思議なものがだらだらと表示されてしまう。漢字コードを半分ずつあてはめて表示するので、欧文フォントとしては、特殊文字のコードになってしまうということだ。 読めないだけならまだいいのだが、これが、表組み指定されていると、文字列の区切れが、ブラウザにはわからず、だらだらと横に長い「暗号文」として表示される。だから、せっかくのレイアウトも、ぐしゃぐしゃになってしまうのでした。 MIT ![]() あのトム・シュルツ(って言ってもわかんないか…… BOSTON って知ってる? あぁあ、じじいだなあ)の出身大学である、マサチューセッツ工科大学のこと。構内を歩いている犬でもノーベル賞の受賞経験があると言われるくらいすごい、メリケン合衆国のみならず、世界的技術分野の最前線に存在する大学にして研究機関の集合体。もしも、人生をやり直せるのなら、わたしは MIT で研究者になりたい。 「パソコン」 ![]() ここまで書いて、 FMV ファミリー本誌の表紙を見たら、「 FMV ユーザーのためのパソコン活用情報誌」と、しっかり書いてあった……ま、いいか。きっと、この文章の意図はわかってくれるだろう。 |
■なんとかして取り込まねば ■不安でしかたないのか
読み方自体は、問題にならなかったが、その意味内容について不安定なままの用語も多い。最近の例では、 Java がそうなのだが、「 Java って何の略なの?」という質問を何百回となく聞いたような気がする。コンピュータ用語の、特に略号のように思える単語に対して、なんらかの意味が反映されていないと不安で仕方がないようなのだ。 だから「 Java は Java ですよ」と答えても、なんとなく納得のいかない顔をしている。Java そのものを解説されてもよくわからないのに、そのコトバとしての生い立ちが不安定なまま放り出されたような気分になってしまうのだろう。 いっそ "Japanese Author Very Angry" だとでも答えれば、不安感はなくなるのだろうか。さすがに、それはないとしても、たとえば "Jointed Architecture of Variable Access" である、なんて嘘をついていれば、もしかしたら信用してくれるかもしれない。 そんなこた、ないか。 で、今回のタイトルに戻るが、要するに、英語がらみで、乱れている部分というのは、畢竟、精神的に乱れてしまいがちな部分がほとんどなのだ、ということである。 ニホンジンは、発音に弱い。だから乱れる。ニホンジンは、テクノロジーに強いことになっている。でもほんとは、弱い。だから乱れる。 そういうことだ。 恐がらなくったっていいのにね。 ■日本語オンリーのページが ■ちょっと気になる 最近、インターネットで、海外の資料を集めたり最新ニュースを収集しているときに、特に思うのは、とにかく英文ドキュメントのみのページがやたら多いということだ。 あたりまえだと思います? 日本のページと比べるとわかるのだが、ニホンゴオンリーのページは、海外のページと比較して、どう考えても不必要なイメージを表示していることが多いような気がしてしかたない(自戒します)。 もちろん、画像であると、共通認識されうる部分が多いので、利用されやすいという意味もあるだろうが、だったら、その内容も英語で表記する方が正しい方法論である。 現在、ネットスケープ・ナビゲータで、海外のサイトを回るときには、表示を欧文フォントの状態で見ているのだが(その方がきれいだし、なにより読みやすい)、そのまま、日本語のページを表示させてしまうと、ちょっとぎょっとする。わけのわからない暗号文のようなものが、だらだらと見えてしまうからだ。 和文フォントを持っていない海外の人は、日本のサイトに来るたびに、この「暗号文オンパレード」を見せられているのかと思うと、かなり暗い気持ちになる。ワタシがガイジンだったら、こんな国の人間は、信用しない、と思う。 だからというわけでもないが、ホームページ(ウェブページの第1頁め)ぐらいは、英語にしておいていいのではないだろうか。別に、すべてを英語対応にせよなんて、言っているわけではないのだ。玄関先ぐらい、という意味である。 ■英語が得意じゃないから…… ■なんて、みんなそうなのに もちろん、なにがキツイと言って、情報を英訳することくらいキツイ作業はない。どうしても英文法を気にしてしまいがちになるし、かといって、あまりにもぶつ切れの簡単な英文にしてしまうと、「ばかの子ちゃん」だと世界中から思われはしないか……とか、考えてしまう。でも、海外の英語のページを見ていると、けっこうぐちゃぐちゃの英文を平気で書いているサイトなんか、山ほどある。メールにしても、イングリッシュを第一言語にしていない国の人間の文章に関しては、かなり寛容であるし、ちょっとやそっとの間違いは、相手も気にしていない。 これは、英文を読むときも同様であって、先日、 MIT の資料を読んだときなど、もう素晴らしいぐらい単語の意味が分からなくて、ドキュメントの半分以上を辞書引きしなきゃならない……とか思った。だが、おそらくは、辞書を引いても、翻訳支援ソフトにかけても、たぶん、この「わからない」という状態は変わらないだろうと考えて、途中でやめた。それでも、その中の他のドキュメントや、文書配置の構造とかになれてくると、不思議と「何に関する文書であるのか」ぐらいは理解できるようになる。正確には「理解できたような気分になる」。 それに、コンピュータ用語は、比較的見なれていたりして、視認識性が高いので、必要なデータや文章は、向こうから眼に入ってくる。 だから、テクノロジー関連のニュースは、海外のサイトで直接読んだ方が、早いし便利だ。 これは自慢なのだが、実は、英語は、話すことも聞くことも、極端にヘタくそなのである。いまだに、スチュワードやホテルのフロントに、まともに自分の英語が通じたためしがない。中1の「ニュープリンス・イングリッシュ・コース」に出ている単語ですら、わかってもらえなかったときは、ちょっと泣いた。それでも、読むことぐらいは、ふつう程度にできるのだから、自慢してもいいと思う。 それに、こと英文を読むことに関しては、インターネットのおかげで、かなり楽になったような気がする。 * タッチおじさんに「ホンマに簡単か〜?」と言われたら、たぶん「簡単じゃないよ」と答えるだろう。コンピュータのことも、英語のことも、同時に理解しようとしなければならないことが多いからだ。 といって、むやみやたらに恐怖したり、わかりやすいレベルに引きずりおろすのは、かえって、遠回りなのだと思う。 だから、「けっして簡単とは言えないけど、簡単にしたいなあと思って、前に進んだ分だけ、かならずその返りがあるのが、コンピュータの世界です」と答えようと思う。英語だってPCだって、楽じゃないけど、じゃあ、楽なだけですごいものって、この世にいくつぐらいあるのか聞いてみたい。 そんなものは、幻想だとみんなが理解してくれるようになれば、PCを「パソコン」と呼んでもいいような気がするのだ。 (FMV Family No.3, 1996 / SOFTBANK Corp.) |