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ちょっと前まで、コンピュータを触っている人間は、どうしようもない変人ばかりだと思われてきた。実際、そうだった者も多かった。やがてコンピュータを使うことが、あたりまえのことになってくると、どういう風に使うのが、カッコいいのかをみんなが見まわし始めた。ちょっと横向き気味で「コンピュータなんて道具にすぎない」と言っている人間が酒場のカウンターにもちらほらと見えるようになってきた。かなり気に食わないから、そいつらをいじめてやろうと思う。 |
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コンピュータ雑誌: 1996年は「ビギナー向け雑誌」と「ビジネスマン向け雑誌」が多数創刊され、「初心者」をターゲットにした書籍が多数刊行された。比較的小さな書店でも、コンピュータ関連書籍の棚が作られるようになり、コンピュータ雑誌や書籍は、すでに市民権を得たようである。ムズカシイのは、中級向けの雑誌を探すことで、だいたいの場合、ユーザの方が、先にいってしまうか、編集部が妙に成長してしまうか、どちらかである。本誌の、売れ行きはどうかというと「かなりいい成績」(編集長談)だそうだ。とりあえず、おめでとう。 |
■ほんとうに ■コンピュータは道具か?
1996年は、ビギナー向けPC雑誌が多数発刊され、そしてまた多数、衰退した年として、記録されるかもしれない。原因は、1995年のWin95発売からこっちのビギナー層の増大にあるといわれる。実は、ほんとうの需要はそこにはないのではないか。 素晴らしいことに、というか、恐るべきことに、というか、コンピュータ・ユーザは、本人がそう思うと思うまいと、1年ほども利用していれば、必ずや「ビギナー」から足を抜けて、ほとんど「アッパー」ユーザへと変貌を遂げてしまうのである。 たとえば「いやあ、ぼくなんて、ワープロしか使ってないから……」とか、あるいは「インターネット使って遊んでるだけだから」とか言っている人だって、何がしかのトラブルを踏み越え、さまざまな困難を克服してきているものだから、それまで何も触ったことのない人にしてみれば、とんでもない「できるユーザ」に見えてしまうのである。 実際、そのように見ていたし、また、そのように見られもしていた。 知らず知らずのうちに、まるで上級者扱いされるようになると、ほんとうに自分が「まるで上級者」であるかのように誤解し始める。正確には、「自分が利用するコンピュータの、自分の利用形態において、上級者となった」だけであって、必ずしもコンピュータの上級者になったわけではない。 だから、新しくエントリーしてきたユーザに対してとりうる態度は、具体的ではあるが局所的で、すべてが有益であるとは限らない。むしろ、無益なことも多い。このため、どうしても、各論から離れて、総論へと走りがちになるのは仕方のないことだ。 そのときに用いられる錦の御旗が「コンピュータなんて道具なんだから」というセリフである。要するに「そんなに怖がることないですよ」という精神論なのだが、エントリー前の人間に対して使うのは、まだわかるとしても(本当は良くない)、既にPCの利用を始めたビギナーに対してもこのセリフを吐く人間が、あまた存在する。 いわく「コンピュータは道具であるから、使っても使われるな」といった発言が、雑誌に舞い、書籍の背や帯を飾る。「へへへ」と哄笑しながら、その雑誌や書籍を閉じる。数ヶ月もすれば、その雑誌の名前は書店の店頭から永久に姿を消し、書籍は棚から外される運命にある。 利用を始めたユーザが欲しいのは、そんなものではないし、そういった精神論が有効性をなんら発揮しないことは明白なのである。 「包丁は道具なのだから、怖がることはない」なんて料理番組を始終放送していたら、その番組のスポンサーは、「いいかげんにしろよ」と言い出すことだろう。「包丁は料理を作るための道具であって、その利用形態をあれこれ考える必要はない」とする料理番組も、本当は失格である。素材に応じたその包丁の使い方や、包丁自体のメンテナンスも込みで料理であることを提出しなければ、まともな料理情報とは言えない。 まともに包丁を使っている人ならわかるだろうが、包丁がその調理方法を教えてくれることもあるのだ。それは、素材別に分類された包丁に限らない。きちんと包丁を砥ぎ、きちんとした使い方をし続けていれば、最も合理的で、最も美しい切り方を包丁自体が導いてくれるようになる。 道具に導かれるような利用形態は、実際にあるし、またあってもかまわない。それを「道具に使われる」としか表現できないような人間は、その道具すらまともに使えていない人間であることを告白しているにすぎない。包丁は、料理を作るための道具であるが、「包丁は道具にすぎない」と言って調理している人間の料理がおいしいものであるわけはないと思う。 コンピュータは、道具ではない。コンピュータには、「使われても」かまわない。 ステップアップを目論んでいるPCユーザには、そう言ってあげるべきだと思う。また、ステップアップなど毛頭考えてもいないユーザにも、そう言ってさしあげたい。コンピュータ自体が目的的に変容を遂げる様相を体験することが、「コンピュータを知る」ための最も正統な方法論であることを理解してほしいと思うのだ。 なにやら、うっとうしい表現で申し訳ないが、要するに「口先だけ気持ちのイイことを言っている宗教の勧誘に騙されるようなマネはしないでね」というコトを言いたいだけなのである。 |
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出版・デザイン・広告: この3ジャンルすべてで、筆者は経済活動を行ってきた。したがって、半分以上自分のことだから自信を持って言うが、「出版・デザイン・広告」の人間は、ホンキで「低レベル」の経済活動しかできない人間がほとんどである。可哀相だが、人類としてコスト・パフォーマンスが低いのである。 |
■「クリエイティヴ」な ■「連中」の妄言
道具とコンピュータを考える際に、いつも問題となってくるのは、ハードウェアとソフトウェアのことである。そして、ハードウェアとソフトウェアのことを考えると、いつも出てくるのは、マッキントッシュという機械とOSの問題である。本誌読者には、無関係のことのように思われるかもしれないが、しばしご堪忍を。Mac OSは、ハードウェアおよび各アプリケーション・ソフト等とともに、デジタル・パブリッシング分野、イメージ・クリエイティヴ分野、あるいはサウンド・ミュージック分野では、「最もふさわしいオペレーティング・システム」と言われる。そのたたずまいや存在形態が、クリエイターの創造性を最も刺激する環境……なんだそうだ。 ふざけたことを言うもんじゃない。 たかだかコンピュータの環境のせいで、その御大層な「創造性」とか「独創力」とやらが左右されるようなクリエイティヴ意識なんぞ、どの程度のモノなのか、たかが知れているではないか。中華包丁を買えば、中華料理が得意になり、おいしい中華料理が作れるようになると思い込むのと同レベルの発想である。 もちろん、伝統的な中華料理の調理作法に応じた、最も合理的な調理形態が望めるのが、中華包丁であることは、事実である。しかし、中華料理が作れるから、中華包丁を使うのであって、中華包丁を使うから、中華料理を作れるわけではないことなど、明らかである。個人的には、決して「形から入る」という方法論を否定する者ではないが、デザイナーとかクリエイターとか呼ばれる連中が、何の深い考慮もなく、マッキントッシュを使っているのを見ると、ペティナイフでジャガイモの皮を剥くのにも苦労している人間が、中華包丁を手にして嬉々としているように感じられて仕方ない。 実際の話で言えば、中華包丁はかなりに万能であって、さまざまな調理形態に対応できる柔軟性と利便性に優れている。だから、中華だろうが、日本料理だろうが、フランス料理だろうが、なんでもかんでも中華包丁で調理しようとしてできないことはない。しかし、実際にそうやっている人は、数少ないだろう。その調理に応じた包丁を準備した方が、物理的にも楽であるし、現実的であるからだ。 道具に導かれるように、利用するというのは、クリエイターもどきの連中が、マッキントッシュを選択することとは、完全に異なることを理解してほしい。それしか使えない連中のどこが「創造的」で「独創的」なのか、教えてほしい。マッキントッシュのソフトウェア環境のどこがどのようにクリエイティヴ志向なのか、印象批評ではなく、具体的に説明してほしい。そのような説明や解説、または選択理由が提出されたことは、極めて少ないし、あったとしても、とんでもない思い込みが大半である。 はっきり言ってしまうが、出版・デザイン・広告等々の、一般的には「クリエイティヴ」と呼ばれる分野の人間たちが持つ認識能力は、ことコンピュータに関して、あまりにも低レベルなのだ。その低レベルの連中が、自分を満足させるためにとった「最も気持ちのイイ選択」がマッキントッシュという環境であったにすぎない。 そういう「低レベル」の連中と同じ分野で経済活動を行う人間として、自戒を込めて申し上げるが、Windowsユーザは、そういう連中のことを考慮に入れる必要はない。「マッキントッシュなら楽だ」とか「インターフェイスがいい」とか、聞いた風なことを言っている『マッカー』がいたら、きちんと無視してやればよい。ハードウェアとソフトウェアとのより高度な融合利用形態を目指して生まれたその出自も、販売政策として、そういう『マッカー』連中をターゲットに絞った段階で、地に落ちた。 たとえば、そのたわけた発言を可能にするマシンを使って、どういう仕事にどのくらいの効率で作業しているのか聞いてみればいい。信じられないほど、非効率なまま利用しているのがわかるだろう。また、インターフェイスうんぬんと言い出したら、ではなぜ、QWERTY配列のキーボードを使って平気でいられるのかを問いただせばよい。 もしも、「コンピュータは道具にすぎない」とする発言が可能であるとすれば、それには「マッカーならば」という条件が付随する。「出版・デザイン・広告等」の「クリエイティヴ」とか言われる「低レベル」の連中だからこそ、ああいうマシンしか使えない自分を正当化する発言を多く行っているのだ。たまたま、この島国で、発言や発表の機会を多く持っているだけのことにすぎない。 ま、本誌読者ならば、そんなことが気になる人は少ないだろう。それに、いかに低レベルの業界と言っても、徐々にマッカーは駆逐されつつあるからだ。 |
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右クリック: 1ボタンなどより、2ボタンマウスが使いやすいのは、当然であるが、同じ右クリックでも、Win95とOS/2では、いろいろと操作体系が異なる。趣味の問題もあると思うけれど、現在では、Win95の右クリックから「送る」とか「クイックビューワ」ができないとなると、正直に言って困る状態になってしまった。 |
■マッカーがパーフェクトに ■だめな理由
しかし、それでも、意識しにくいところで、それなりのデメリットをWindowsユーザが受けていることを知っていてほしい。WinとMacの両方に対応しているソフトの価格は、ほぼ同じである場合がほとんどだ。マーケットサイズが、圧倒的に違うにもかかわらず、同じ金額を払っている。それはつまり、マッキントッシュ用ソフトの開発費用を、Windowsユーザは面倒見てやっていることに等しい。世界マーケットでは誤差同然の、独自仕様のために、高い金を払わされていることが多いのである。 ソフトウェアは、そのスケールメリットが最も効率的に望みうるマーケットであって、それゆえにマイクロソフトは、20世紀後半において、驚異的な飛躍を成し遂げることが可能であった。そういったスケールメリットの加速を急激に減速させる要因が、マッキントッシュによって与えられている。実際には、かなり減ってきているのだが、それでも、まだまだ、WinとMacの両対応のソフトウェアは多い。 もっとも、Windowsユーザが開発費用を肩代わりしていると言っても、本当は、それ自体はたいしたことではないし、それはあくまでも、ソフトベンダーの判断である。問題は、マッキントッシュ用に開発したものを、ほんの少々の変更を加えただけで、「Windows 95対応」と謳って発売しているソフトが多いことにある。 これが、Win95用にまともに移植できていればいいのだが、ほとんどの「マック上がり」のソフトは、感心できない出来である。画面から受けるイメージや、インターフェイスの異同はもちろんであるが、それくらいのことは、まだ許容範囲だ。 最大の問題は、ほとんどの「マック上がり」のソフトウェアが、マウスの右クリックに対応していないか、対応していてもおざなりなものであるということにある。右クリックによる作業の効率化が可能になってこそ、Win95対応と謳うべきであって、そうでないものは、ただ単に「Win95でも動く」ソフトにすぎない。 「たかだかマウスの右ボタンひとつじゃないか」とか「キーボードと併用すればいいこと」などと思うのが、まさに「マッカー」であって、この一点によっても、決定的に非効率的なのがマッキントッシュ環境なのである。 中指を自在に使って右クリックを駆使するまでには、ビギナーでも、そう長い期間は必要としない。使い出せば、ますます、作業効率は向上する。いまとなっては、「ワンボタンマウスの方が混乱も少なく、シンプルでいい」などと言う発言ができる人間をむしろうらやましいと思う。よくもそんな状態のままで、我慢できるものだ。 |
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マッキントッシュ: このマシンとOSを出している会社アップル・コンピュータは、CEOが代わって、先ごろやっと赤字から脱却した。それがどういうことで、これからどのようになるのかは、いずれわかるだろう。この前と、さらにその前、この会社のCEOが交代したときの歴史と経済を調べると、想像できるようになっている。 その程度のことも理解できないで、へらへらしているのが「マッカー」と呼ばれる連中である |
■すっげえカッコ悪い ■システム マッカーの連中は、自分のマシンやシステムのことを、「かわいい」とか「かっこいい」とか言う。信じ難いことに、本気でそう思っているようだ。 その昔、初めて、マッキントッシュ・システムを見て、触れた当時、「なんてカッコ悪いマシンなんだ」と思った。その感想は今も変わらない。最近のシステムになってからは、そのカッコ悪さに拍車をかけ、「ダサイ」という、いまはもう古くなった言葉さえも似合わないほどに、「ダサイ」マシン環境になったと思う。 Windows 95を使い出したときにも、それと似た「ダサさ」をそこここに見て、暗澹たる気持ちになり、本気でOS/2とUNIXだけにしてしまおうかと思いかけた。ところが、しばらく利用を続けて、中指の右クリックを使い始めると、なんとか、操作が普通にできるようになってきた。この場合の「普通」というのは、「効率的に」という意味である。 だから、いまでもWin95を使っている。 中指もまともに使えないまま、マッキントッシュ・システムを使っている自分は、想像するだに、ウルトラ「カッコ悪い」と思うからだ。 本朝では、世界的にも異常なくらい、カッコ悪い「マッカー」が多い。それは「口先だけカッコイイふりをしている宗教」みたいなものだから、このさい言わせておいてもかまわない。しかし、そういったマッカー連中がすぐ口にする「コンピュータは道具なのだから……」などという言説には、耳を貸さないようにしてほしい。さもないと、いつまでたっても、マウスでずるずる引きずって操作していることに疑問を感じないような人間が増え、そんなソフトウェアがあたりまえだと思うようになる。もっとも、Win95のユーザでも、そういった発言を好んでする人間がいるが、もちろん、そういうのも、潜在的マッカーである。 包丁を使う以上、その包丁の砥ぎかたぐらいおぼえる。料理を作る以上、素材によって、両刃と片刃を使い分ける。その程度のことは、できてあたりまえのことである。合理的、効率的な利用のために包丁にアプローチするのは、「道具にすぎない」という態度とは、完全に異なる。それが理解してもらえるならば、「コンピュータは道具にすぎない」とする発言がなんの論理性も有していないことをわかってもらえると思う。 というわけで、言いたいことだけ言ってしまったので、今回でこの連載はおしまい。以上。 (FMV Family No.5, 1996 / SOFTBANK Corp.) |
TEXT : KAWANO, Mitsuo
テクニカル・コピーライター。著書に『60分でわかるイントラネット』『60分でわかるJava』(PHP研究所)。『できるビジネスマンのインターネット情報活用ガイド』(ソフトバンク)等がある。法学部を卒業後、出版社を経由して、コンピュータ関係ライターという「相互にほとんど何にも関連のない経歴」(本人談)を持つ。しかも卒業論文は、それらと全く関係の無い「19世紀美術デザイン」(本人談)とのこと。冗談じゃなくて、本当らしい。