2003年2

2.20 (Thur.)
 昨日は帰りに「戦場のピアニスト」。

 感動してというよりは、恐ろしくて涙が出た。共感するにはあまりにも悲惨さが大きすぎる。必死に生き延びるピアニストの恐怖と苦しみ、悲しみは、甘く浸れるようなものでは到底なかった。
 彼を助けたドイツ将校が逆に捕虜となって、やがて収容所で命を落とすという悲劇的な運命も、もうひとつの主題にみえる。しかし、銃や戦車やガス室で簡単に殺されていった大量の人々がひとりずつ、このようなエピソードを背負っていたはずなのだ。
 
 全編を流れるショパンはほんとうに美しかった。しかし、それよりも耳にいつまでも残っているさまざまな音がある。

 ゲシュタポから身を隠すために、赤ん坊の口を塞いで窒息死させてしまった若い母親が嘆く「Why did I do it?」のリフレイン。
 ナチスの将校が、ユダヤ人をひとりずつ銃で指しながら呼び出していく「du , du,...」の声。
 伏せた頭の上で撃鉄をはずすカチリという音。
 撃ち殺された人だけが残るゲットーに戻ったシュピルマンを包む蠅の羽音。

 ドイツ将校に見つかり、「お前は何だ?」と聞かれたときのシュピルマンの答え。「Ich bin...」と言い、「Ich war, 」と過去形に言い換えて、「ein Pianist.」とつぶやいた。私なら、あの状況でなんと答えることができるだろう。

2.12 (Wed.)
 広報の原稿もほぼ仕上がり、気持ちに若干のゆとりも出たこととて、神谷美恵子「若き日の日記」(みすず書房)読了。
 角川文庫版の「神谷美恵子日記」におさめられていない、医学修行時代の日記。読み終えて、とても美恵子さんが身近な人のように思えてきた。彼女の悩みや葛藤は、私にも非常に親しいものであったのだ。

 ただ、今の私なら、学問と文学をあんなに苛烈に対立させはしない。もちろんあれほどすぐれた方だから、後年、その葛藤もみごとに克服されたわけだけれど、彼女の若い日の時代が許せば、また、誰かの手助けがあれば、もう少し早く、楽に、のびのびと活動できただろうと思う。しかしその苦悩の意味はもちろん、私が浅薄に判断すべきものではない。
 なんだか当時の美恵子さんの肩をだきしめたいような気持ちになった。

 今朝は内田百間の「阿房列車」をもって家を出る。迂闊にも電車の中で開いてしまい、何度も吹き出しそうになって往生した。
 こういうものを書きたい。

 人の心をもてあそんで喜ぶということは、なんと言っても悪趣味だ。少なくとも粋じゃない。

2.11 (Wed.)
 建国記念日でお休み。
 家電製品などを揃えに、車でコジマへ。エアコンのスペックに詳しくなった。

2.7 (Fri.)
 D論発表会。あと1年。身の引き締まる思いがする。
 去年の発表よりは、全体的に質が高かったように思う。私も1年、死ぬ気でがんばれば、もしかして、博士号が取れるかもしれない!
 よーし。がんばろう。

2.6 (Thur.)
 理学部広報のインタビュー、Kさんにも、SS先生にもほめていただく。
 特にSS先生は絶賛。「すばらしい内容です。ただ話を聞くだけではなく、自分の研究内容とクロスオーバーさせていくのがおもしろく、読みやすかった」とのこと。

 はっはー! やったぜ。

 今の私にしかできないこと。今の私にしか書けないものを書いたということがうれしい。
 もちろん、塩谷先生がおもしろく、わかりやすく、熱心にお話くださったからである。先生に喜んでいただけたのがほんとうにうれしい。

 先日のU先生宅でのパーティーを思い出す。やはり教授、助教授という立場にたてる人というのは、どこかほんとうに優れたところがあるのだ。欠点もあるかもしれない。しかしそれを補って、Professorの人格をつくりだすものとは、いったいなんだろう。

 文は体を表す。SK先生の文章、U先生の文章、SS先生のメール、それぞれに暖かく、魅力的だ。ひきかえ、巷に溢れるへなちょこな言葉の、なんと貧しいことだろう。

2.3 (Mon.)
 土曜日、スペースシャトルのコロンビア号が着陸間際に空中分解した。もうすぐ帰還というときの、目の前での悲劇。NASAは、経費と7人の命をはかりにかけたのだ。家族の思い、猛烈な熱の中が襲ってきたときのクルーの思いを考えると、あまりにやるせない。
 あんなに命をかけて、夢を追っている人たちがいるのだ。私は何を恐れて、何を惜しんでいるのだろう。

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