MAという名の自由空間


 もうWBを楽しむようになってから3年もの月日が流れます。WBにはいろんな楽しさがあって、極限まで空戦機動の技術を競うH2H、大きな戦いの流れの中で一つの役になりきって楽しむ大型シナリオイベント、部隊の連携技術を競う部隊戦など、いろんな楽しみ方があります。

 しかし、3年もWBをやってきて、私がいまだもって一番愛しているのは実はMA(Main Arena)なのです。

 よく、「大型イベントの緊張感を一度経験してしまうと、緊張感の無いMAなんてつまらない」とか「毎日毎日、MAで殴り合いを1年もやってくるといいかげん飽きてくる」などという感想を聞くことがあります。

 しかし、本当にそうなのでしょうか? MAは緊張感の無い場所なのでしょうか? MAは単純な繰り返ししかなく、マンネリなのでしょうか?

 私はそうは思いません。実はMAを楽しむと言うことは、人生を楽しむと言うことと同様の深い味わいがあるのではないかと思っております。


 その一方で、MAにはさまざまな論争があります。ネットゲームという性格上から、必ず出てきてしまう論争ですが、私もそのような論争に巻き込まれたり、あるいは傍観したりする機会が多々ありました。しかし、その中でいろんな意見を聞いていると、どうも腑に落ちない、一見筋が通っているようで矛盾しているような感じを受けたこともあります。

 しかし、冷静にMAという空間の性質を分析すると、それらの議論の問題点が解き明かされるような気がしてなりません。そして、その鍵は「自由」というキーワードにありそうです。

 今回はそんなMAと言う空間について、ちょっと掘り下げてみたいと思います。


MAは自由だ!

 MAは基本的に自由です。2$/hの課金だけ払えば、ログオンして何をしようと勝手です。そこには、軍隊組織にあるような上下関係や、やりたくもないミッションを強要されたり、無茶な作戦命令が出るようなこともありません。基本的に自分が楽しみたいように楽しめば良いのです。

 ですから格闘戦が好きな人は出かけて行って格闘戦を楽しむでしょう。爆撃が好きな人は爆撃して基地を取ろうとするかもしれません。中には撃墜されることに快感を感じて、撃ち落されるのを楽しみに出撃する人もいるかもしれません。

 基本的には何を行うのも自由です。もちろんゲームとして好まれない行動は制限されるようになっています。スタッフはそのような状況が発生しないようにシステム上で制限をかけています。

 例えば味方を撃墜することはできません。味方を撃つとその被害は自分に戻ってくるようになっています。味方の基地を攻撃することもできません。スタッフはシステムでもって最低限の制限を行い、ユーザーに不必要な「行動上の制限」を与えないことに腐心しております。これはWBというゲームの文化、またはポリシーとも言えます。

 このことは逆に言うと、システム上許されることは何をやってもかまわないということになります。したがって、ゲームシステム上許されることは何をやっても許されます。ありとあらゆる行動が、個人の自由とされているということです。

#もちろんFEハックなどの行為はゲーム自体を逸脱したものであり、許されないものであるということは言うまでもありません。


自由の中で

 このような言葉があります。「真の自由とは、自分の考えで行動を決定することだ」。

 MAというのは自由な場です。しかし、そこを自由たらしめるのは、「自分の考えで行動を決定する」ということが必要になります。

 実は自由を楽しむということは、非常にぜいたくであり、かつ「楽しむ資格」を要求されることなのです。

 あらゆる行動が許される中で、全てを受け入れて、自分の意思で行動を決定する。もちろんそこには自分なりの目的や目標、哲学などが出てくるでしょう。もちろん逆に、自由が故に自分の行動に制限が出てしまうことがあります。

 しかし、「自由を楽しむ」とはそういうことなのです。そして、それを受け入れられたとき、「自由」とは本当に素晴らしく楽しいものであると気付くはずです。

 世の中にはいろんな楽しみがありますが、WBのMAのような「自由」を提供してくれる場というのはそうたくさんはありません。それだけに、私はこの「自由」を謳歌できるWBのMAという場を愛しています。


人それぞれの目的

 MAでは皆自由に楽しんでいます。おそらくその目的は「楽しさ」を得ることではないでしょうか。もちろん「楽しさ」の定義は人それぞれですから、百人いたら百様の楽しみ方があるでしょう。

 まず自分が何を楽しみたいかをはっきりさせることです。格闘戦を楽しみたい人はそれを楽しめば良いでしょう。編隊戦及び連携を楽しみたい人はそれを極めようとするでしょうし、K/DやStreakを目標にしたり、爆撃や基地の奪取を目的にする人もいるでしょう。もちろん言うまでも無く、何を目的にするかは自由です。

 ゲームを始めた時点ではただ離陸して戦闘空域を飛んでいるだけで楽しいでしょう。しかし、より深く楽しむためには何か目的・目標を立てるべきです。そうするとこの「自由」が俄然楽しくなってきます。

 目的がなければただ闇雲に飛んでいるだけです。これは人生に非常に良く似ています。目的の無い人生はその日をダラダラと生きるだけのものになるでしょう。そして、「何か楽しいことが無いか」と待望するような日々になります。しかし、「楽しさ」は自分で見つけるものです。自分で「目的」を見つけてそれに向かって突き進めば、人生は非常におもしろいものなのです。

 当面自分が目指すべき道、楽しみたい事柄が見つからない人は部隊に所属してみるのも良いでしょう。おそらくは各先輩が自分の楽しんできた道のりを示してくれるでしょう。その示された道が自分にあっている(楽しめる)と思えばそれに従ってみるのも良いですし、新たに自分のやりたいことが見つかったらそれに向けて進んでみるというのも一つの方法です。


他人の自由

 さて、MAは自由であると書きましたが、それは自分一人の自由を無制限に保障するものではありません。自分が自由であれば、他人も同様に自由です。

 あなたは格闘戦をしたいのかもしれませんが、相手は一撃離脱しかしないかもしれません。あなたは基地をとりたいのですが、味方はこれ以上戦線を広げたくないかもしれません。あなたは自分の所属している国を勝たせたいのですが、他の人はいっそ負けてリセットしてしまえと思っているかもしれません。

 自分の自由を認める以上、他人の自由も認めなければなりません。無制限に個人一人の自由を保障するために、他人の自由を侵すことは許されません。当然のことです。

 多くの場合、他人の行動に文句を言う人は、その行動の正当性・合理性をよりどころにします。しかし、WBはゲームであり、ゲームでの目的に意味など求めてはいけないのです。WBでは明確な目的など存在せず、各人が各々の楽しみのためにさまざまな目的を持ってプレイしています。その目的に意味などありません。

 そこに基地があるからCaptureするのであり、そこに都市があるから爆撃し、そこに格闘戦があるから戦いを求め、そこに記録があるからK/DやStreakを狙います。

 「遊び」とはそもそもそういうものなのです。

 このことがハッキリすると、WB上の様々な論争が実は無意味であることがわかります。

・VULCHは嫌いだ
 でも、攻撃されている基地から離陸する自由があれば、それを迎撃するのも自由です。
・BnZは嫌いだ
 あなたがドッグファイトをする自由があれば、したくない自由もあります。

・Gang Bangは嫌いだ
 強い方に付くのも弱い方につくのも自由です。

・どうして基地を取るのを手伝わないのか
 彼らは自分の楽しみのためにお金を払っています。きっと基地を取ることは彼らの楽しみではないのでしょう。現在の熱いFurballを維持するために、戦線を動かしたくないのかもしれません。

・どうして戦線を広げて自国の戦況を悪くするのか
 彼らは空戦よりも基地取りを楽しみたいのでしょう。同様にある国を滅ぼすことに楽しみを見出している人がいるかもしれませんし、それを実現するために自分の部隊を率いて団体行動しているかも知れません。個人の行動も自由なら、部隊で示し合わせた行動ももちろん自由ですね。


 これらのことにおかしいと主張することは、実は一方で自分の自由を無制限に広げようとし、他人の自由を制限しようとする行為に他なりません。

 他人の行動に対して文句を言う人は良く次のせりふを言います。

「そんなことして楽しい?」

ええ、きっと楽しいんです。


コミュニティとしてのMA

 上では、MAでは自分の行動も他人の行動も、基本的には自由であるということを書きました。

 その一方で、MAは人の集まりとしてのコミュニティの性質があります。

 個人の自由は保障されていますが、他人とうまくやって行こうと思うのであれば、もちろん更なる制限が出てきます。

 例えばあなたは基地を取りたいとします。普通はただそれを呼びかけても他人はなかなかついてきません。彼らには彼らの自由があるのですから、それに対して文句を言うのは筋が外れているでしょう。

 しかし、あなたが積極的に彼らと友人になり、そして「私と一緒に行動したら楽しいよ」ということを示すことができれば、彼らはあなたと行動をともにするでしょう。

 彼らと積極的に友人になるために、あなたは彼らに6callを与えたり、助けに行ったりする必要が出てくるでしょう。また、彼らの要請も無視できなくなるはずです。もし、これらがわずらわしいと思うのであれば、あなたは彼らと積極的に仲良くなることをあきらめる、すなわち彼らがあなたの行動に協力してくれることもあきらめなければなりません。

 要は完全に人間関係の問題です。人望があればその人の言うことにはしたがってみようと思うし、全然人付き合いの無い人が突然手伝えなんて言っても協力する気になりません。

 結局実社会での人間関係と何も変わらないわけで、このへんもMAのMAたる所以です。人間社会で他人とうまくやって行こうと思えばそれなりの制限が出てくる。というより、ある程度自分を律してでも他人とかかわって行ったほうが人間社会うまくやっていけるのです。


メガプレイヤーゲームの醍醐味

 さて、WBの楽しさの一つには、「メガプレイヤーゲーム」というのがあります。MAでは100人単位のプレイヤーが参加していて、交流を図ることができます。世界各国のさまざまな人が参加しており、通常のシチュエーションではこのような体験をすることは不可能です。まさにこれこそがWBの醍醐味と言えます。

 更に言えば、WBというコミュニティは数あるネットゲームのコミュニティの中でも非常に成熟したコミュニティであると言えます。これはゲームの難しさ、課金体系などWB自体の敷居の高さが起因しているのですが、図らずもこれがWBというコミュニティをGentleなものにしています。他のネットFlightSimと比較するとすぐわかるのですが、WBは他のゲームに比較して論争や喧嘩は非常に少なくなっております。

 このようなすばらしいコミュニティですから、ぜひとも他人と積極的に交流を持って行くべきだと思います。孤独に楽しむのもかまわないのですが、それではせっかくのメガプレイヤーゲームがもったいないです。まず他人の自由を認め、その上で積極的に他のプレイヤーと交流を持って楽しんでいこうではありませんか。

 WBというコミュニティがプレイヤー同士の交流に満ちた豊かなものになるか、あるいは利己主義が横行するギスギスとしたものになるかは、まさしくプレイヤーの姿勢次第であると言えます。そして、そのような状況の中で、WBというコミュニティをもっともっと楽しいものにするための鍵は、「他人を受け入れられる余裕」と「積極的にかかわりを持って行く社交性」にあるのではないかと思う私なのです。




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