詩歌で学ぶWBの世界

 人類の歴史において、WBは古くから親しまれていたことが知られています。そして、WBを題材にした文学作品も数多く残されています。

 今回はその中から、WBに関する詩文をいくつか紹介してみましょう。




dragしても ひとり

作者:尾崎放哉

ジャンル:俳句

解説:

 俳人尾崎放哉の晩年、肺結核の療養のため小豆島で日々を過ごしたとき、彼がWBにハマりまくっていたことは意外と知られていない。これはその時に詠まれた一句。


 昔GOLDは「連携の国」だった。6callも飛び交い、だまってdragしても必ず誰かがclrしてくれる。そういう以心伝心の存在する国であった。

 しかし、時代は流れた。多くの部隊がGOLDを出ていった。そして多くのエースも消えていった。今、国にいるのはまだ経験の浅い初心者たちと、言葉の通じないブラジル人ばかりだ。

 今furballの中で、敵が1機自分の6時に食いついたので試しにdragで吊り上げてみる。しかし、まわりの味方は下のほうにいるケムケム&瀕死の敵機に群がるばかり。

 しかたないので軽くダイブして距離をあける。前方から味方が2機やってきた。その下にもぐりこんでみる。

 味方はなぜか真上からまっすぐダイブしてHOをしかける。そんな角度&速度では弾が当たるわけもなく、更に引き起こしに失敗して2機とも地面に激突。

 気がついてみれば、相変わらず敵をdragしている自分がそこにいるだけだ。ああ、人生とは空しいものだなぁ。


 このわずかな一文の俳句の中に、これだけの意味が凝縮されている。時代の移り変わりと人生の無常、そして自身の孤独な闘病生活を、WBの1シーンに投影した傑作である。




代悲旧型機種搭乗者 於機種宛転闘技場
(旧式化を悲しむパイロットに代わりて)
Chinese Poem of Rolling Plane Set



此機性能真可憐 (この機体の性能、まさに憐れむべし)
伊昔最新高速機 (これ昔、最新の高速機)
旋回最速引込脚 (旋回最速、引き込み脚)
火力絶大20mm (火力は絶大、20ミリ)

今朝花落機種革 (けさ、花落ちて、機種は改たまり)
明朝花開復何出 (明朝、花開きて、また何ぞや出る)
年年歳歳馬力主義 (年年歳歳、パワーで劣り)
歳歳年年多銃多弾 (歳歳年年、火力に苦しむ)

一朝新機無誰識 (一朝、新型機出て、誰知るなく)
宛転人気能幾時 (宛転たる人気機種、よく幾時ぞ)
己見無我後継機 (すでに見る、我が後継機の無きことを)
更聞無我追加機 (更に聞く、その追加予定や無きことを)

旧機再不復戦場 (旧型機は、再び戦場に復らず)
新機常砲門不冷 (新型機は、その機関砲の冷める間もなし)
重戦翻弄如座鴨 (重戦に弄ばれること、座り込む鴨の如く)
終不能捕捉脱机 (ついに、この機を捕捉することあたわず)

列機既不応我乞 (既に我が叫びに、列機は応じず)
重爆迫己戦機顔 (敵重爆、戦闘機ヅラにてわれに迫りたり)
行逢新型長嘆息 (ゆくゆく、新型機に逢っては長く嘆息し)
但看動力急降下 (ただそのパワーダイブを見送るのみ)

WB 客人惜課金 (かのユーザーは課金を惜しみ)
毎月叛顔己通帳 (毎月、己の通帳から顔をそむけたり)
惟有旧型機大悲 (ただそこに旧式機の深い悲しみやあるのみ)
寄言円安在誰邊 (言を寄す、ああ円の安さ、今どの辺りにかある)

作者:偽 花花

ジャンル:漢詩

解説:
非常に珍しいWBを主体にしたフル漢詩。RPS導入の時期より推測して、年代は宋の前期ではないか。なお、作者の「偽 花花」なる人物はさまざまな時代に作品を残しており、作者個人の名前と言うより、左甚五郎のような名誉職名であったと思われる。




「春望」

羽破山河在 基地春草深 (羽破れて山河あり 基地春にして草深し)


作者:杜甫

ジャンル:漢詩

解説 :

唐代の大詩人・杜甫が詠んだ詩の一節。

敵機に追われて低空を逃げていた杜甫は、基地を目前にして山に激突。Ver.2.0から地形の起伏の激しくなったWBに無情を感じ、転げまわる機内からこの詩を詠んだといわれる。

動揺した杜甫は次のsortieで基地から即、離陸しようとしたが、今度は草地に足をとられGear gone。またもゴロゴロ転げ回ったという。

動揺する自身の心の動きと世の無常をわずか10文字で描ききったWB詩歌の大傑作。

余談であるが、草地に足を取られた記述より、杜甫は草木の深いGOLDで飛んでいたと予想される。




恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思いそめしか

作者:壬生忠見(みぶのただみ)

ジャンル:和歌

意味:
 あなたに恋しているのに(あなたを狙っているのに)、予想外に早く噂が立ってしまった(6callされてしまった)。人に気づかれようにしないと、思い(びっくりアタック)を遂げられないものなのだなぁ。

解説:

 平安時代、WBは貴族のたしなみであった。「恋」とはすなわち空戦のことであり、「色恋沙汰」と言えば、WBにおいてどの色の国から出撃するかというMAの戦いのことであった。

 この歌は村上帝の御時の天徳の歌合わせの、決勝戦の時に詠まれたものである。この時の出題(テーマ)は「忍ぶ恋(びっくりアタック)」であった。

 この時、判者に立てられた藤原実頼は対抗する平兼盛の歌と甲乙をつけられず、しかたなく御簾の中の天皇の御気色を伺った。しかし村上帝は普段から壬生忠見にびっくりアタックでやられており、しかも味方だったときは6callをしてくれなかったという恨みから、合わせの平兼盛の方の歌を支持した。

 この結果、負けた壬生忠見は傷心のあまり病の床につき、まもなく死んでしまう。このエピソードは、尾崎雅嘉の「百人一首一夕話」に詳しい。

 歌そのものもすばらしいが、そのエピソードからもWBをとりまく人間の感情が窺い知れる優れた一首である。



*これらの詩はfafa氏とtoshi氏より提供されたものです。ネタ提供感謝。

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