コメント:三柴丈典氏
近畿大学の三柴と申します。保原先生から重厚な報告をいただいた後に恐縮ではありますが、コメントレジメを別途配布いたしましたので参照の方、お願いいたします。ここでは要点のみ報告いたします。
労災の予防、補償という問題は広いのですが、ここでは予防分野を中心に、特に自主管理、自己責任という視点を中心にコメントさせていただきたいと思います。その際、先例という意味でドイツの議論を参照して申し上げたいと思います。
自主管理(最近ではresponsible careなどの用語も使われる)ということは、我が国でも昔からずっと言われておりまして、特に目新しい議論ではありません。ドイツではSelbstverwaltungと言われまして、一般に「本来国家が有する管理権限・責務を国家ではない団体等が譲り受けて行う管理」といった趣旨で理解されております。我が国でこの用語が用いられる場合、「現行法令が努力義務として、ないしは訓示的に定めている内容や、それに関連しつつもそれを超える内容を、各事業場がその実態を踏まえた上、自主的に取り組むことを意図するもの」といった趣旨で理解されているようです。自主管理がいいのか悪いのか、そして我が国の労働現場に適合するのか、という問題をこれから考えていきたいのですが、労災予防・補償分野には一つの特殊性があります。逆に、他の分野との関連性といいますか、一般性・相対性というものもあります。
最初に特殊性ですが、労災には何といっても被害の当事者が労働者本人であり、民事法でいう危険負担の「危険」と異なり、riskの意味の「危険」を労働者本人が負担する、という点があります。そういう意味でも、例えば民事法にいう過失相殺の規定、法理がそのままあてはまるか、ちょっと疑問であります。また、ドイツでは、労災保険料の負担は全額使用者負担ですが、ビスマルク労災保険法における成立過程では当初、労働者に保険料を負担させようという議論もありました。しかし、そのようにはなりませんで、制度の誕生以降、現在に至るまで使用者全額負担であります。この点では我が国も同じですが、ドイツにおける労災補償の予防・補償担当機関は、一括して労災保険組合がやっておりまして、労使同数が参加して自主的に運営しており、その特徴として、国家法令と同様の効力を持つ労災予防規則を策定する権限を持っている、という点が挙げられます。フランスにも予防と補償を一括して行う社会保障金庫というものがありますが、予防規則までは策定していないと聞いております。
また、ドイツでは、各事業レベルでも、労災予防の監視、ルール形成等は、法規(経営組織法など)の根拠を得て、従業員代表委員会(Betriebsrat)が「権利」として直接担当したり関与したりしています。そしてそれはあくまで「権利」であって、「義務」ではありません。しっかり活動していないからといって、委員会自体が責任を問われるわけではなく、使用者の労災予防・補償責任が免責されるわけでもありません。ILOの策定した労働安全衛生マネジメントシステムのガイドラインでも、使用者による安全衛生確保の全責任負担が明記されております。
いずれにしても、労災の予防・補償分野の特殊性の一つには、労働者本人が被害を被るものである上、その被害について完全な原状回復が困難であることを前提にしなければならない点が挙げられます。
次に挙げられるこの分野の特殊性としましては、労働安全衛生問題が技術的に難解であることがあります。知り合いの連合大阪の安全衛生担当者によりますと「労働者側が仕事をしながら、複雑な労働安全衛生問題を勉強することは困難」と言います。これがドイツではどうかといいますと、法令上、労働者側も必要資料や教育研修などが使用者の費用でまかなわれることになっており、労働者側も使用者の負担で労働安全衛生の勉強ができることになっております。
そういう前提がある中で、我が国の労働安全衛生法4条では、使用者の行う労災防止措置への労働者の協力義務が規定されております。また、安全配慮義務に関する裁判例では、川義事件2審において、労働者にも一定の安全配慮義務があることが明言されています。安西弁護士によれば、自己保健義務といわれるものがそれに当たるか、と思います。労働者でも、自分の身は自分で守らなければならない、ということですが、しかし、やはりその前提が整うことが必要ではないかと思います。
他方で、労災予防・補償分野の一般性、ということを考えていかなければなりません。労災問題、とりわけ労災予防問題は、組織論、行動様式論的問題に関わる問題であり、労務管理論(HRM)、労働法制一般等との関連で幅広く捉える必要があります。たとえば、過労死についてもリストラ整理解雇との関連性を指摘する文献があります。それから、そもそも我が国の労働安全衛生法は、経営危険を背負う「事業者」との概念を用い、彼を名宛人とする規定を基本としており、経営と安全衛生との関連性については、立法趣旨に組み入れられている、と考えられます。それから、労働安全マネジメントシステムが近年、一定の動きを見せておりますが、これも「安全衛生システムを経営体制内に組み込むこと」である、と理解できます。これらは経営問題として労働安全衛生を考えるということです。また、労働時間と労働災害との関わりをどう考えるか、という問題もあります。ドイツにおいても、法的判断の中で、双方の関連性を認める、認めないとの立場がいずれもありますが、これは労働環境という文言をどうみるかということに通じます。日本でも、労働安全衛生法の立法経緯の中で、労働基準法の姉妹法である、ということが明言され、これは、労働基準法が定める労働時間規制を含めた様々な労働条件規制と労働安全衛生が一体であること、を意味しています。また、労働安全衛生法66条において、健康診断で問題となった労働者に対し、労働時間短縮を含めた諸措置がなされなければならない、と書かれてあったりもします。さらに、有名な電通事件判決では、使用者のなすべき安全配慮のための注意義務の内容として、長時間労働防止が明言され、システムコンサルタント事件判決では、裁量労働的な労働と過労死との関係性について言及されております。一方で、賃金制度、雇用形態と労働安全衛生との関係については、日本では一般に認められていません。たとえば、歩合給のせいで働きすぎて病気となった場合も、その故に使用者に責任が認められない、というのが原則ではないか、と思われます。
これらの問題を考えると、労災と雇用慣行との関連性についても、深く考えていかなければならなくなります。自主管理、という用語自体は、手をかえ品を変え、繰り返し喧伝されてきていますが、実効性は今のところあがっておりません。労働者についてもなかなか当事者意識が芽生えておりません。これは日独共通の問題ではありますが、特に、日本では今日まで行政主導でやってきており、そのお陰もあって、かなりの成果を挙げてきてはいますが、今後もそれを続けるのかどうか、そして仮にそのスタイルを変えるとした場合、果たして日本の行動様式に合っているのか、改めて考えてみなければならないと思います。
行政だけで手におえるのかは、判断を誤ると労働災害の発生につながるものであり、非常にシビアな問題であります。日本人の特殊性という議論もあります。
最後に労災予防政策、労災補償政策の今後ですが、予防分野については、以上述べてきたところである程度尽くされていると思われますので、ここでは行政主導の労災補償制度についてのみ述べます。同制度は、今のところ、特に職務関連疾患等の分野で補償の範囲が狭い、という問題があると考えています。他方で、民間に任せて信用できるかどうか、という問題もあります。これについては、一案として労働者にも一定の保険料負担をさせて、同時に政策決定により参加度合いを高めた上で、グレー部分の補償を広げ、同時に労働者も当事者意識を高めるということが考えられるのではないでしょうか。近時、労災保険の民営化議論がなされていますが、それ自体には賛成できないものの、この機会に、現行制度が持つ問題点についても、労働者の自主管理の視点から考え直す必要はある、と考えています。