奈良時代の政治


平城京

 710(和銅3)年、元明天皇により平城京が開かれた。当時の都の人口は約10万人と推定されている。 この時期、朝廷の支配領域は広がり、東北の防衛拠点として多賀城、西の防衛及び外交のために太宰府が置かれた。 遣唐使も定期的に派遣され、大陸の文化が日本にもたらされた。 しかし、律令制の根幹であるはずの土地公有の原則は、723(養老7)年の三世一身法と743(天平15)年の墾田永年私財法でくずれていった。

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