フラメンコの成り立ちと歴史

 

フラメンコは、アンダルシア地方という、特殊な地方から200年ほど前に発生した。
アンダルシア地方は、イスラム勢力が最後まで守った砦である。
よって、その文化には、イスラムやユダヤの影響が色濃く残っている。
アンダルシアは一時期、スペイン帝国の最盛期にアメリカ発見によるバブル景気で潤った事もあった。
だが、200年前には元の貧しい乾いた土地の広がる荒野であったろうと思われる。
その、貧しい生活の中から生まれた心の叫びが、フラメンコである。

フラメンコの語源は、はっきりしないが、多分、おおもとは差別用語であったろうと思われる。
ジャズがそうであるように、今は芸術として確立されている為に問題なく使われているが、多分当時は、「やくざモノ」「乱暴モノ」といった意味だったようだ。

辛いアンダルシアの民の中で、もっとも辛い生活をしていたのが、ジプシーたちであった。
そもそもジプシーとは、インドから西に流れてきた放浪民族である。
彼らは一部族ほどの人数で、定住しない。
ジプシー語も、インドを語源とする。
しかし、アンダルシアのジプシーたちは、いわゆるジプシーとは一線を画している。
スペイン語で、彼らの事を「ヒターノ」という。
彼らは、ジプシー語ではなく、スペイン語を話し、アンダルシアに定住している。
アンダルシア社会の構成員となり、その貧しい階層の一員であった。

その、階層の文化から生まれたのが、フラメンコである。
当初は、伴奏も無い心の叫びの歌と、はだしの踊りであったと思われる。
皆、辛い生活をしていたから、その歌や踊りへの共感も大きかったであろう。
フラメンコには、生きる喜びや快楽を歌った歌、そして、悲しみや苦しみの歌がある。
一昔前まで、フラメンコアーティストの殆どが、ヒターノであった。

商業的に、店などでフラメンコを見せるようになったのは、19世紀の後半になってからである。