2003年12月

ちょっと言わせて

2004年1月25日(日)
【HP更新】
あれよあれよという間に今年2004年も最初の1ヶ月が終わろうとしているではありませんか!
HPを作っている以上、ある程度は定期的に更新した方が良いというのは分かっているのだけれど、我が家ではパソコンを置いているのは2階の部屋で、冬寒く、夏暑いという環境でして・・・
今もユニクロで買ったフリースのジャンパーを着て、腰にはマイクロソフトで貰ったフリースのひざ掛けを巻いてパコパコしているのであります。とは言え生来真面目な性格ですので、一応トップページ位は更新しようと時々変えたりしているのですが、サイトに転送するまでには至らず、ということが度々です。
言い訳になりますが、やはりアップするには一応ある程度の体裁を整えなければならないのですが、それをするまでにあちらこちらへと寄り道をして、はっと気が付くと夜中の1時2時に。そんなこんなでつい我がHPの更新は後回しになってしまうという訳なのです。
年の初め位はちゃんとやろう、って決心するのが相場なのに、こんなに開き直っているってやはり年の功ってヤツなんでしょうか、はたまた単に図々しくなったって事なんでしょうか!

【28年ぶりのスキー】
結婚前の私を知る人ならば誰しも、夏は海焼け、冬はスキー焼けと一年中真っ黒、コロコロの健康優良児風の私を想像する事と思いますが、25年前に夫と結婚して以来、一転真面目な主婦をしておりまして、すっかりシーズンスポーツとは縁が薄れておりました。
夫も定年を迎え、時間的にも余裕ができたのをきっかけに夫の友人に誘われ湯沢へスキーに行ってきました。
何しろ夫は35年ぶり位、私は28年ぶり位と、全く初めてに等しいくらいなので、事前準備は必でした。スキー道具は現地で借りるとし、ウエアの調達からですが、私は幸い娘のがあるので上だけは借りる事にして、下だけ買う事に。新宿のビクトリアなどを見に行ったのですが、なかなか良いものがなかったので、蓼科へクリスマス用品を置きに行くついでにウインタースポーツの本場諏訪の方で買う事にしました。蓼科の別荘は温まるまでに時間がかかるので、今回はネットで割引のお知らせがあった諏訪湖のほとりにあるホテルBENIYAへ泊まる事にして、いざ調達旅行へ出発ということに。
ホテルBENIYAは毎年諏訪湖で行なわれる花火大会を見るには絶好のポイントのホテルなので楽しみにして出かけました。部屋からの眺望も、ホテルの最上階にある展望風呂からの眺望も、諏訪湖を一望できてなかなかのものでした。お料理はまぁ、まぁでしたけどね。ネット会員限定の1泊2食で¥9,000ポッキリは安い方なので、贅沢は言わない、言わない。
諏訪のICのそばは大型店舗が沢山あって買い物にはとても便利な所で、夫はウエアからゴーグル、靴下までスキーに必要なものはすべて、私はスキーパンツと靴下を買って準備万端でした。

さて、湯沢へのスキーですが、東京駅から新幹線で1時間ちょっとであの「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」で有名な越後湯沢へ到着。本当に便利になったものです。宿泊は友人の健保の宿ですが、それがとても設備の整っている豪華なもので温泉の出るお風呂場から岩原スキー場や越後中里のナイターがきれいに見えるとても便利な所でした。
肝心のスキーの方ですが、最初は満足に自分で靴を履く事も出来ず、履いたが最後動きもロボットのように上手く動けなくなり、これから一体どうなってしまうのか、という感覚に襲われたのですが、スキーを付けて滑り出すうちに所謂「マッスルメモリー」っていうのでしょうか、2回3回と回を重ねるうちにすっかり思い出し、それに今の道具の進歩のお陰で昔よりラクに滑ることができて大満足!
ケガをしてはいけないから慎重にと思っていても、斜面になるとやはりスピードを出してしまっている自分がいて、思わず年を知れ、と心の中で叫んでいるのでした。
しか〜〜し、回りを見まわしてみたら、な・な・なんと、ほとんどのスキーヤーは私達と同年代と思われるおじさん、おばさん達中高年ばかりではありませんか!これは本当に大ショックでありました。まぁ、うれしい誤算と言うべきでしょうが。
湯沢高原に向かうゴンドラの中など、ガラガラに空いていて皆の顔が良く見られる訳ですが、それもどう見てもおじさん、おばさん。お昼に入った食堂でも、お茶をしに入ったレストランでも、回りは皆おじさん、おばさん!他に子供連れの若い夫婦がいるにはいましたが、スキー場に若者の姿はほどんど見かけませんでした。まぁ、時期が1月の学年末試験前ということもあるのでしょうが。心配していたボーダーも若者が少なかったので特に危ない事もなく、無事に2日を過ごす事が出来ました。
だが、帰京した翌日から右膝が痛いのであります。以前にもこの右膝にはトラブルがあったので、これもマッスルメモリーか、と思いつつ毎日バンテリンを塗って治療に当たってます。ゴルフやフラには差し支えないのですが、ジムでのエアロビ等運動は控えている為、このところめっきり体重がぁ〜〜!

【母のその後】
去年12月のクリスマス前に母は無事退院しました。とても元気で入院手術だったため、回復もとても早く、退院もすぐに出来ました。今後の治療として、化学療法をおこなうかどうかを患者サイドで決めて欲しいということでしたが、私達は勉強不足の為、結局結論は出せないままの退院でした。退院後、2回程病院へ行きましたが、最終的にはもっと体力が回復してから所謂抗がん剤の投与を受けるということになりました。副作用が強いと言われているのですが、数ある民間療法を試した結果最後にはデータのしっかりしているこの薬に戻るという人もあるし、ちょっとインターネットで聞きかじった勉強だけではとても分かるようなものではありません。副作用が全くないという人もいるようですし、これも運命ということで、私達非力な人間が簡単に結論付けられるものではないと思っています。今の母の様子は、2月からゴルフのレッスンを再開し、DOへも行き、桜の咲く頃には桜ケ丘でコースに再デビューするつもりのようです。