語尾上げノススメ

■はじめに■
 本日よりわたしは語尾上げ普及推進派に転向することにした。語尾上げ普及推進派に転向した以上、これからは語尾上げの素晴らしさを謳い上げることで、語尾上げ撲滅という幻想に囚われている人々を語尾上げ派へ改宗させるよう努めていきたいと思う。


■卓越した責任転嫁能力■
 自分がよく知らないことを質問されて、答えに窮した時は誰にでもあるだろう。しかしそんな時でも語尾上げさえあれば問題は一気に解決するのである。

 たとえば、「EU加盟国は全部で何カ国か?」と聞かれたとする。
 ここで、もし仮に正確な数字を知らなかったとしても、臆する必要はまったくない。そう、語尾上げさえあれば。あてずっぽうで構わないから、我々は次のように思いついた数字を語尾上げで答えればよいのだ。

「15?」

 この時、間違っても「15」などと言い切ってはいけない それでは自殺行為だ。発言の全責任が自分の肩にのしかかってきてしまうからである。

 そうではなく、このような場合は語尾を上げて結論を棚上げしてしまうのである。
 これにより我々は、ミスを自分一人で背負い込むリスクをヘッジすると同時に、とりあえず答えてはみるけれど決して断定はしていないのだから、もし違っていても深くツッコまないでね、という非責任地帯(レスポンシビリティ・ヘイブン)へと速やかに避難することできるのだ。

 さらにうれしいことに、語尾上げは言外に「そうだと思った」と含みを持たせられるため 万一それが正しかった時には始めから当然知っていたかのような顔をすることもできるという特典も付いてくる。責任は回避しつつ、成果は自動的に手に入る仕組みになっているわけである。なぜこんな便利な語尾上げを嫌うのか、わたしには語尾上げに反対する人々の気持ちがまったく理解できない


■競争から共生へ■
 もちろん語尾上げのメリットはこれだけに留まらない
 自分が話していることが相手にちゃんと受け入れられているのか、不安になる時は誰にでもあるだろう。しかしそんな時でも語尾上げさえあれば問題は一気に解決するのである。

 たとえば、中途半端に仲のいい知人から「最近何かCD買った?」と聞かれたとしよう。その瞬間わたしの頭の中は高速回転を始める






(最近買ったCD、それはミニモニ。自宅や通勤途中のウォークマンなどTPOを問わず常にパワープレイであるところのミニモニ。しかしわたしは中途半端に仲のいいその知人の音楽の趣味を知らない。趣味が合わなかったら、もしミニモニなんて言ってしまって、知人に妙な目で見られたら、なかんずく思いっきり引かれたら!)






約0.3秒の間に以上のことが脳裏を駆け巡った結果、わたしは次のように答えるだろう。

「ミニモニ?」

 これはすべて言葉に出してしまうと、ミニモニ(のCDを買ったんだけど、別に変じゃないよね?流行ってるし君もきっと好きだよね)となるわけだが、もちろんそんな野暮はする由もない。括弧内は大胆に省略だ。もう「ミニモニ?」で十分。
 専門家の中にはこの用法を、自分の言っていることが相手にちゃんと伝わっているかな?と確認しているのだ、とみなす方もいらっしゃるようだが、これは確認なんて生易しいものではない。

 わたしに言わせればこれは共生なのだ。
 「ミニモニ?」と語尾を上げてやるだけで、知人は間違いなく「ああ」とか「へえ」などのような肯定表現で答えてくれるのである。ミニモニという対象をわたしと共有し、ミニモニのCDを買ったというわたしの行為を好意的に受け入れてくれるのである。個の確立、価値観の対立など日本人がもっとも忌み嫌うものの対局に位置する言葉の桃源郷、それが語尾上げなのだ。


■弁護士からコギャルまで■
 ついでながら言っておきたいのは、「これよくなくなくない?」とか「マジやばくない?」、あるいは「カレシ」「クラブ」などのような、いわゆる抑揚平板発音のことを語尾上げだと思っている方がいるようだが、笑止千万である。

 抑揚平板発音とはただ単にイントネーションが違うだけで、そこには発言が間違っていた時の責任転嫁能力もなければ、自分の価値観を強制的に相手に是認させる力もない しかもこれらはすべて、ある特定のカテゴリーに属する人達だけが好んで使用しているにすぎない そんなものを我が愛すべき語尾上げと同様に扱われるなど断じて許されることではない

 言っておくが語尾上げは抑揚平板発言などとはレベルが違う
 語尾上げはその責任転嫁能力や価値観の共有効果は言うに及ばず、弁護士からコギャルまで世代や性別を問わずあらゆる階層に支持されており、そのユーザーの層の厚さも抑揚平板発音なんぞの比ではないのだ(あの社民党の福島瑞穂氏も、社民党の田嶋陽子氏も、はたまた社民党の辻元清美氏も、熱烈な語尾上げ愛用者であることはよく知られている)。

 わたしの愛する語尾上げはただひとつ。相手に問い掛ける必要がまったくない状況下で語尾のイントネーションを上げて相手に問い掛けるコミュニケーション方法、この一点に尽きるのである。


■語尾上げを守るために■
 以上のように、ざっと見てきただけでも、語尾上げがメリットだらけの優れた発言形態だということは火を見るよりも明らかである。

 発言が間違っていた時の責任転嫁能力、発言が正しかった時のリカバリー能力、あやふやな自分の価値観を強制的に相手に是認させて価値観の護送船団を形成する効力、自分一人だけが異端扱いされる恐怖から逃れる効力、等々。

 これらを敷衍すると、語尾上げとは「和」である、と言い換えることもできる できるだけ衝突を避け、対立を避け、争いごとを避けようとする日本人の国民性に見事に合致したコミュニケーション方法なのだ。語尾上げが我々日本人の心をわし掴みにしたのは、もはや歴史の必然というべきだろう。



 その一方で世間には、語尾上げ撲滅を標榜する反語尾上げ連盟などという物騒な団体も存在すると聞いている。
 だが日本の風土に伝統的に根づいている「和」の象徴である語尾上げ文化の破壊などは言語道断であり、語尾上げを愛するいち市民としてこのような動きは決して捨て置くことはできない 反語尾上げ派の連中が引き起こしている無謀な闘争には一刻も早く引導を渡さねばならないのだ。

 そのためにわたしは語尾上げ普及推進派を代表して、まずは反語尾上げ連盟の即時解散要求を突きつける構えであるが、それが入れられない場合には、最終手段として「語尾上げ普及推進市民フォーラム21」を設立し、反語尾上げ連盟との全面抗争も辞さない覚悟であることを最後に付け加えておく


おわり



 というのはすべて冗談だが、今回は敢えて語尾上げ肯定派の立場にまわり語尾上げを擁護してみた。もちろんこれにはわけがある。実は『世に問う男』がネット上で行った調査の結果、語尾上げを否定する意見は目にすることはあっても、語尾上げを肯定する意見の方は、ついにその存在を確認することが出来なかったのである。

 ここでいう語尾上げ肯定意見とは、「言葉は変化するものだから」とか「まあそういうのもいいではないか」などのような消極的語尾上げ肯定論は含まない。なぜなら、これらの理由で語尾上げを肯定するのは単に多数派におもねっているか、あるいはその存在を許容しているだけであり、語尾上げを積極的に使っていこうぜ!という主体的な意志や強固な信念がまったく感じられないからである。

 私が不思議なのは、なぜ、これほどまでに語尾上げが世を席捲しているのに、「語尾上げはこんなに素晴らしい、だから私は語尾上げで話す」という積極的肯定意見が皆無に等しいのか、という点なのだ。



 すでに語尾上げ撲滅の胎動は随所で感じられるし、マスコミなどでも批判の声にさらされることが少なくない。ならば当然反対意見、すなわち語尾上げ普及を積極的に推し進めんとする意見が出てきてもおかしくないではないか。語尾上げ批判の意見ばかり噴出する一方で語尾上げ賛美の意見は皆無であるという状態はどう考えてもおかしい。これではまるで朝日新聞か筑紫哲也だ。

 したがって今回は実験的に語尾上げ賛美および普及推進論を展開してみた次第である。それと、最後に念のため断っておくけどこれはあくまでもフィクションなので私は

ミニモニのCDは買ってないし聴いたこともない

からどうかくれぐれも誤解なきよう。

おしまい。


2002.7.12