エヴァンゲリオン完結編を見て
7月31日の追加文(8月2日一部改訂)
各ホームページでそろそろネタバレ解禁のようですので、感想文を追加します。
1.ミサトとシンジのキスシーン
アニメ映画「銀河鉄道999」のラストでのメーテルと鉄郎のキスシーンを想い出しました。
鉄郎はそのまま出発するのに、シンジは出発できないところがEVAらしいです。
キャラ設定として見ると、メーテルの「神秘的、母親的な女性」の面は綾波レイが、
少年を大人へと導く「憧れの女」的な部分を葛城ミサトが担当しているようにも見えます。
2.サードインパクトの儀式とセフィロト
このシーンはカッコよかったです。
このまま大団円に終わってくれればあと腐れなくEVAと決別できたと思います。
3.巨大レイとカヲル
あの巨大レイは驚きと、不覚にも笑いを誘われたため、ちょっとコメントしにくいです。
関連書籍コレクションの「エヴァンゲリオン限界心理分析」にも記述したように、レイをコタール症候群
だとすれば、「巨人妄想」がそのまま投影されたようで興味深いのですが、その線は難しいでしょう。
シンジが求めているもの(シンジを補完するもの)が投影され、形になった、のではないでしょうか。
まあ、「カヲルとレイは同じ」で、心の補完を手助けする不定形体と理解すれば前後のつながりも
説明できるのかもしれません。
4.ゲンドウの補完
まあ、ユイは当然としてもなぜカヲルがここに出てくる?
スニーカーが見えた瞬間、シンジだと思ったのですが、シンジは初号機の形で怒りの権化として
ゲンドウを頭から食いちぎるわけですね。(このシーンもテレビ放映できないですよね)
5.実写部分
映画館の観客を映す技法は何かの映画で見た覚えがあります。(割とよくある手法です)
観客を巻き込み、「自分自身の話として心して見ろよ」というメッセージですね。
アニメでの技法を尽くしてしまい、実写フィルムでも表現技法の限りを尽くすつもりなのでしょう。
余談ですが、先日のテレビ再々放送には実写による予告編も放映されてたのですが、挿入されて
いたセリフが妙に生々しく、これをベースに実写で映画を1本作ってみても面白いのではないでしょうか。
(個人的には「ラブアンドポップ」よりこっちの方が興味あります。)
6.キッチンでのシンジvsアスカ、そしてラスト
自分を愛してもらいたいから相手に尽くす。
誰もが感覚的にうすうす感づいていることだけど、こんな形で人間の本質を見せつけられるとは驚きです。
以下、ラストまでの展開は庵野監督vs某声優云々という話もあちこちで見ましたが、それだけで
片づけるわけにはいかないでしょう。
シンジvsアスカはお互いに生身の人間として、お互いの距離を命がけで計りあいをしているように
思えます。シンジはエヴァ搭乗時には初号機を使って、擬似的に使徒の首を絞めてきたわけですが、
本気で怒って、自分の手で直接生身の人間の首を絞めるのはこれが初めてです。
怖い話ですが、シンジはこれで初めて自分から他人との距離を計ったように見えます。
さて、アスカの側としては、自分が男に人形扱いされるのは絶対に許せない(これはテレビ放映時から
一貫しています)。
ラストでは「男にとって都合のいい女」なんてものは現実には母親以外には存在しないことを見せつけて
くれたわけです。
また、アスカの突然の包帯姿(まあ負傷したのは事実ですけど、あの時誰か治療なんかできた?)は
それまで無傷だった(テレビ放映では小さな絆創膏姿が1回のみ)ので、最後にサービス(監督の恨みか?)
と、第1話の綾波の包帯姿での登場シーンとの対比ではないでしょうか。
不思議ですが、エヴァ登場人物の負傷場所は片目、片腕、片足などが多いです。
「スキゾ エヴァンゲリオン」によると、これも庵野監督の持つトラウマのようです。
シンジの補完プロセスの中で、笑顔のシンジを中心としたクラスメートの写真が一瞬見えた時、「またもや
学園編でハッピーエンドか?」と思ったのは私だけでしょうか。
テレビ放映版26話での補完展開が苦→楽の順なのに対して、映画完結編では楽→苦の順になっており、
エヴァ全体として、どのような展開もありうるマルチエンディングとなっているように思えます。
要するに、「とりあえず残していた謎には一応の決着はつけた。心の補完と現実の選択は人それぞれです」
ということなのかもしれません。
なお、週刊「プレイボーイ」に「エヴァンゲリオン封印宣言」と題して完結後の庵野監督へのインタビューが掲載
されています。エヴァンゲリオンはすでに「終わった」作品になってしまったんですね。
「宴のあと」という気分もありますが、まだしばらくは「完結編の解説」も含めて話題が続きそうです。