北海道旅行記(1983年夏、利尻島・礼文島)



学生時代に夏休みを利用して東北に出かけた。

青森まで来て、「さてこれからどこへ行こうか」と思いながら青森駅前をぶらぶら歩いた。
学生の夏休みだ。金はないけど時間はたっぷりある。
とりあえずその日に宿泊したユースホステルで、予想外の展開が待っていた。

ユースホステルは、今は利用者は少なくなってきたものの、安く宿泊できるので、貧乏旅行には最適だ。
他の旅行者と情報交換したり、宿のオーナー(通称「ペアレント」)がその土地の見所を教えてくれる。
翌日の目的地が同じ人達がその場でグループとなることもしばしばある。

そして、その日の夜の宿泊者の中に、丁度北海道旅行を終え、これから東京へ帰るところだという男がいたのだ。
聞けばその人のJR(当時国鉄)キップは東京発の北海道ワイド周遊券。
私が持っていたのは東京発の東北ワイド周遊券だったのである。

彼の周遊券の有効期間があと2週間あったので、すぐに頼んで交換してもらった。
こうして思いがけず、北海道旅行が始まったのである。


富良野へ


当時はまだ青函連絡トンネルは工事中で、青函連絡船に乗った。
移動中には時刻表を入念に調べ、「ユースホステルの旅」を読みながら次の目的地を検討する。

できるだけ旅費をかけずに(つまり車中泊が多く、食事の回数も少ない)、しかも面白そうな所ばかりを集中的に訪れる私の旅行スタイルは時として過酷であり、しかし若さの特権として強烈な思い出として今でも鮮明に記憶に残っている。
30代も半ばになると、もうあんな旅行はできない。

函館に着いたのは深夜だったと思う。
そのまま夜行急行に乗り、札幌に到着したのは朝5時過ぎだった。
早朝の閑散とした駅の構内で背中を伸ばし、簡単な食事を済ませると、また列車に乗り富良野に向かう。

富良野到着は朝9時30分。
富良野は北海道のちょうど中央部にあることから、「北海道のへそ」などと呼ばれており、面白いことに北海道の中心を示す碑が
近所の小学校の中にある。
ここで、私と同じような格好でうろうろしてる青年と会った。
特に目的もなく北海道を旅行しているらしく、私が稚内から利尻・礼文に行くのだと話すと、稚内まで一緒に来ることになった。
富良野のラベンダー畑を見たかったのだが、ピークは7月らしく、すでに終わっていたので富良野を起つことにした。

その日の夕方、2人で銭湯に行き(車中泊続きだからね)、旭川から夜行列車で稚内へ向かった。
4人掛けの座席にはあとから2人の女子大生が座ったので、朝まで4人でトランプをしたり、青年の郷里(三重)の方言で笑わせてもらった。
「すごく疲れた」は「もんげ疲れた」。「ものすごく疲れた」は「もんげばりぼり疲れた」というらしい。(本当に日本語か?)
自転車は「けったマシーン」というらしい。「チャリ」とは言うけど「けった」とは。しかも「マシーン」とつく所がかわいい。


 

利尻島

早朝に稚内(わっかない)へ到着。
記念写真を撮って、彼らと別れて単独で利尻島へのフェリーに乗る。
フェリーで2時間ほどで利尻島に到着すると、港には異様な光景が待っていた。

約20人はいただろうか。
学生らしき男女が横3列くらいに並んでおり、リーダーの男に合わせて歌いながら奇妙な踊りを全員で踊っているのだ。
「かっこいい奴がー、かっこいい奴がー、船でやーって来るー」

そう、これこそが当時の利尻ユースホステルの名物で、テレビにまで紹介された「かっこいい奴」というフェリー送迎儀式なのだ。
なんとユースホステルの受付にはレコード(もちろん歌詞と振りの解説つき)まで置いてあり、あとで夕食後に宿泊者全員がこの特訓を受けるのである。

このユースホステルでは利尻富士と呼ばれる山に深夜から登頂し、頂上でご来光を拝むというツアーが有名だった。
利尻富士は意外と標高が高く、来光時にはちょっとした雲海が見られるらしい。
私がユースホステルに到着した頃、丁度深夜登山グループが戻ったところだった。
結構ハードな登山だったらしく、登山メンバーの中に苦労を味わった者同士の独特の連帯感が生まれ、アドレス交換をしている。
この日は近所の散策や喫茶店で本を読み、1日を終えた。

夕食後、食堂のイスとテーブルをかたづけると、新入り全員にぞうきんが渡され、ぞうきんがけレースが行われる。
4レースほどやって、負けた4人は北海道の生き物の形態模写をやらされる。(セミとかカニとか)
ユースホステルお約束のこんな罰ゲームと歌をいくつか歌った。
(北海道のユースホステルではどこでも必ず吉田拓郎の「落陽」を歌う。中には「落陽踊り」という振り付けもあるらしい)
(斜里ユースには「円盤踊り」というものもあるらしい)
そして、問題の「かっこいい奴」の練習が10回くらい繰り返された。
車中泊続きで疲れていたので、このようなミーティングが終わったらすぐに寝てしまった。

前日深夜からの天候が思わしくなかったので、不運にも翌日の利尻登山ツアーは中止となった。
港で見送りの儀式を終えると仕方なく、自転車を借りて島を1周してみた。
小さな島なので、外周を1周するだけならば2時間もかからない。
それでも、ところどころで海岸で遊んだり、地元の人と話してたりするとすぐに1日が終わる。

夕方、ユースホステルに戻ると、その宿にすでに1週間宿泊しているという男性と話をした。
旅行代理店に就職してまだ3ヶ月というその男性は、利尻ユースホステルに連泊しているうちに「自分探し」の旅行にはまってしまったようだった。
当初は5日間の滞在予定だったのに、すでに2日オーバーしているという。
しかも会社には無断欠勤だったので、まるで運命の選択をするかのように悩んでいた。

利尻島3日目、島抜けして礼文島に向かう。
滞在していた島から出ることを彼らは「島抜け」と呼んでいた。
昨日の男性は悩んだあげく、会社に電話して辞職を伝え、そのまま利尻ユースホステルのヘルパー(お手伝いのバイト)になってしまった。島の魅力が人の運命を変えてしまった瞬間である。
フェリーに搭乗する時、ヘルパー達や連泊者全員と握手をする。
握手してくれた人には涙を流している人までいる。(おそらく独特の「別れ」の雰囲気のせいだろう)
昨日までは自分もフェリーの見送りに港でみんなと一緒に「かっこいい奴」を踊っていたのに、今日はついに船の上から眺める人になってしまった。
「あんなくだらない踊り」なのに、もう2度と踊る機会はないと思うとなぜか寂しい。
島に残る連中が羨ましく思った。
フェリーが港から離れ始めると、「かっこいい奴」はいよいよボルテージを高め、歌声は絶叫と化していく。
この日に島抜けしたのは5人。みんなデッキで踊りを見ているうちにますますフェリーが離れていく。
その時信じられないものを見た。

ユースホステルの旗を持っていたリーダーが、そのまま海に飛び込んだのである。
立ち泳ぎしながら旗を振り、まだ私たちを見送ってくれている。
やられた。
不覚にも5人とも涙を流してしまい。気がつくと手を思いっきり振りながら絶叫している。
ズブ濡れのまま港に引き上げられたその男は間違いなくこれまで見た中で一番「かっこいい奴」だったと思う。

(利尻編終了、礼文編は近日公開)


この続きは次回にアップします。お楽しみに。



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