『日本人論第二十六部:仇討ち御赦免状』

 徳川三百年は体制的に見れば厳格な幕藩体制の中で盤石の身分制度が確立されていた。江戸城の将軍家を中心として幕藩体制が敷かれ庶民は
藩毎に士農工商、穢多、非人という社会階層が出来上がっていた。藩毎に施政が行われていたが、それはしっかりと中央の将軍家によって管理
されていたのである。江戸時代の後半になると参勤交代とかその他の種々のお達しで各藩への管理体制は組織的に強化されていった。中には加
賀藩や仙台藩の様に巨大な勢力を有した藩が将軍家に不満を持つこともあった。幕府にしてみれば謀反の脅威となりかねない潜在的な危惧を解
消する為にあらゆる難癖をつけて力のある藩の経済力をそぐことに奔走していた面も否定できない。                                   
 しかし、総じて国内の治安は安寧の域に達していたようである。私は、江戸時代の風俗や庶民感情については知りたいと思っている。自分が
江戸時代について仕入れた情報源を考えてみると、学校でほんの僅かに習ったこととあとは映画やテレビの時代劇によるものであり、はっきり
言ってその実体はほとんど知らないと言える。そのうち杉浦日向子さんの著作でも読んでみたい。                                     

 私以外の人たちが江戸時代についてどんな感想を持っているのか分からないが、みんなきっとある決まり切ったイメージを持っているような
気がしてならない。なぜだか分からないが封建制度という身分制度下に生きていた庶民や下級武士達の生活感覚は思いっきり圧迫されていて逼
塞したイヤーな空気じゃなかったんだろうかとずっと思われているんじゃないだろうか。                                            
 なぜなら時代劇などを見ていると威張り腐った侍がやたらと目に付き、勧善懲悪としてパターン化された悪人はほとんど悪代官とか意地の悪
い老中なんかがなっている。映像を見ている観客は威張り散らしている武士そのものに悪のイメージを持っていないだろうか。帯刀しているか
ら余計悪人に見える。善人の側にいる侍はいつも居酒屋や長屋に気軽に入ってきて庶民達と平和な顔をしてニコニコ歓談などをしている。作為
的な時代劇の風景はいつのまにかそういう画一化されたパターンができあがっているようだ。                                        

 しかし実際はどうだったのかと言えば、侍は特殊な状況を除き滅多やたらに庶民階級とは交わらなかったと思う。当時武士は威張っていたと
いうよりも侍独自の威厳を保っていたという方がふさわしい。侍を侍たらしめていた気概とは武士道である。これは武家に生まれた者が生まれ
ながらにして躾けられる規範であり、自ずと町民や百姓とは一線を画した武家社会独特のものだったのである。その精神を象徴していたのが日
本刀である。私は一度だけ武家の子孫の家で日本刀を持たしてもらった事があるがその重さと刀身の品格に何とも言えない厳しいものを感じた
ものである。武家の気質は威厳である。威厳の源は、どんな場合に備えても主君のために死ぬ覚悟ができていたことからくるのである。特に日
本人には全般的に強く認められる気質であるが恥をかくこと、名誉を毀損されることを何よりも忌避していた。武士は汚名を着るよりは喜んで
死を選んでいた。見苦しさを人一倍嫌ったのである。従って「武士に二言はない」ということを生き様の上でも実践していたのである。     

 それは明治維新後の侍階級のエピソードを見れば分かる。幕府が解体して職にあぶれた武士達のもの哀しい物語がある。たとえば傘張りなど
の内職仕事をやむなくせざるを得なくなった時、仕事先には決して頭を下げなかった事などがある。                                  
 「武士は喰わねど高楊枝」という有名な川柳は端的にその当時の武士の気質を語っている。これを詠んだ人は侍に対して多少の嘲笑感がある
が、維新により身分制度が崩壊しても庶民が武士階級に抱いていた心持ちは悪くてもこの程度だったのである。                        

 その武士階級に対しての基本的な感情は敬意と信頼であった。戦国時代と違い江戸時代の後半になると武家に勇武の気風が著しく衰退したが
それでも武士階級は庶民の尊崇の的だった。今はまだまだ調べが足りないが、その当時の庶民階級の持っていた矜持の中には「武家を有した国
の民」としての誇りがあったのである。それは深層まで探れば皇国の民としての矜持とも言える。                                     

 もし、庶民が常時武士によってむごい扱いを受けていたのであれば体制が変わった瞬間に殺意の標的にされていたはずである。しかし、そん
な事件は維新にはほとんどなかったと言ってよい。あったのは思想的な齟齬から出た殺し合いである。しかし階級を原因とする報復などは一切
なかった。私は最近江戸についての見方を変えざるを得なくなっている。                                                          
  封建体制が自由主義の対極にある悪質な国家体制として位置づけたら、徳川三百年そのものが安定したまま継続したなどと言うことはあり得
ないことなのである。特に個人の幸福感については現代の感覚から捨象してはならないが江戸時代の人々は階級の区別に関わらずに総じて幸せ
だったと思う。何を基準として幸福と呼ぶかは大いに問題であるが、それでも現在の北朝鮮や中国などの共産圏独裁国家に比べたら江戸人(え
どびと)達は比較にならないくらい素晴らしい人生を謳歌していたのである。                                                      

 今の多くの日本人の悪弊は、歴史を考慮するときにその時代の正当性や必然性を現在の価値観を絶対的な物差しとして固定してしまうことに
ある。現在の価値基準から推し量って歴史の意味を読みとろうとする。特にその傾向は左翼史観に強く見られる。                       

 現今の日本人が疑いもなく陥っている馬鹿馬鹿しい歴史観の筆頭は、大東亜戦争に対する徹底した自虐評価である。大東亜戦争は日本が侵略
の意図なくしてやむを得ず選択した戦争であるが、敗戦のあとから日本国民はアメリカや共産圏諸国の手によって徹底した「自虐史観」を植え
込まれてしまったのである。すなわち日本悪玉説である。大多数の日本人が戦争を行った祖父の代は悪逆な日本人だったと思いこまされている
。このような断定は正当な歴史の評価を持つ視点からは決して生まれないものである。                                              

 左翼の連中がしたり顔で言う「戦争は人から人間性を剥奪して狂気に走らせ鬼畜の所業を行わせる」という指摘は特殊な場合だけである。総
論どころか各論的にもそういうことは起こらない。それを反日史観者達は執拗に言いまくるのである。私は森村誠一の小説のファンだった。彼
は陸軍731石井部隊の非人道性を描いた「悪魔の飽食」を書いた。それを読んだ時かつての私の反日意識は頂点に達していた。酷すぎると思
った。しかし、今の私はそのことに大いに疑問を感じている。森村は共産党である。森村が集めた資料の信憑性は、従軍慰安婦をでっち上げた
グループが使用した作為的な物と大差ないのではないのかと考えている。反日を煽る奴らが偽証的な資料をねつ造することが良く分かったから
である。歴史に対して冷静になれずに感情的な批判ばかりやっている稚拙な意識は時としてありもしない事実を作り上げる。それは過去と未来
に対する許し難い犯罪である。それが今の日本の大方の趨勢である。子供達は未来の礎である。その子供達の無垢の心に「自虐史観」を刷り込
む反日勢力は日本国最大の奸賊なのである。                                                                                  
 精神的な疾病を除き、一個人の人間が生きる規範や自己の存在感を保てなくなる事、つまり実存的なリアリティが希薄になってしまう状況と
はどのようなものであろうか。それはズバリ言って、個人が国家意識や民族意識から乖離してしまった時なのである。今の日本人は左翼自虐史
観論者達によって民族意識から分離させられてしまった。その結果日本史始まって以来の国家共同体の溶解が進んでしまったのである。自虐史
観論者の許し難い悪は国民の民族的な連帯感を消失させたことにある。                                                           

 個人や家族が幸せなら国家意識や民族意識など必要ない、ましてや皇室など無用の長物だという思いこみが国民全体に浸透してしまった。個
人が個人として活き活きとした生活体験を持つためにはその国が過去から連綿として受け継いだ民族意識を人生の根幹に据えなければならない
のである。実に悲憤に耐えないが今の日本人はその根幹をすっかり見失っているのである。左翼や自虐史観論者達に私は真っ向から断言するが
、個人が真の誇りを持つ為には民族意識から離れた部分では無理なのだ。                                                          
 人間は正統な民族意識に則った状態でなければ人生を全うすることはかなわない存在なのである。これは思想ではない。これはアブラハム、
ヤコブの時代から民族に横たわる一貫とした真理なのである。                                                                   

 江戸時代の人たちが人間として開放されていた一つの証左を引き合いに出す。それは彼の時代には国が個人や集団の敵討ちを認めていたこと
にある。理不尽な暴力による恨みには、その正当性が認められれば幕府が「仇討ち赦免状」を発行し、堂々と報復ができたのである。まあ、そ
のためには様々な決まり事があったとは思うが、意趣返しは正当化されていたのである。左がかった感覚で物事を見る人に言わせれば「何とい
う野蛮な」という形容詞がつくであろう。復讐は野蛮ではない。実は人間の恨みは報復によってしか昇華できない場合がほとんどなのである。
しかしそれを超えた精神もあることは確かだが、それはきわめて少数である。人は己に巣くうダークサイドの部分を努めて見ないようにしてい
る。従って口では常識のように復讐は何の解決にもならないと言ってはいるが、一旦その人間が愛する人を殺された時、最初にかなぐり捨てる
のが「復讐ダメダメ倫理」なのである。人間の原初的な感情にはきれい事は通用しない。そういう点ではアラブ社会は正直である。彼らの社会
ではコーランに抵触しない限り復讐は正当化されている。有名な四十七士の場合は違っている。それは赤穂藩の主君が江戸城で刃傷を働いたと
いう悪事が前提となっているので、そのことに派生した仇討ちは幕府の公序から見れば認める訳にはいかなかった。しかし、この事件は武士道
精神から言えば太平の世の中で真の忠義に殉じたもののふ達の至誠の出来事なのである。彼らの処罰については幕府も思いっきり頭を痛めたに
違いない。ここでは武士道の誉れよりも公序を優先せざるを得なかったからである。                                                

 仇討ち御赦免状ほど人間性の根幹を捉えたものはこの世にはそうそうないのである。大事な家族や友人を恣意的に殺された時に人間が最初に
抱く世界感情は「復讐」なのである。この感情は時代を問わずに普遍的なものである。オウムの事件一つとって見ても指摘できるように法治国
家は復讐を認めないが、それは人間の根本的な感情を思いっきり無視している。人を三人殺した非道な奴でも加害者の権利ばかり先行して殺さ
れた側の人権は置き去りにされている。この不自然さは少年法にもはっきりと表れている。今の法曹界は魂のない人権が一人歩きしておりそれ
は無用な悲しみを招いている。                                                                                             

 現代日本人と江戸日本人を比較すると明らかに江戸日本人の方がはるかに立派で幸福な人生を生きていたのである。江戸時代は権力意識むき
出しだと思われていたお上が仇討ちを認めていたのである。こんなに平等な社会はそうあるもんじゃない。仇討ちが正当化される社会は真の正
義が通る社会でもある。国民の尊厳を認めない国家だからこそ仇討ちを認めないのである。                                           
 そういう観点で現代日本社会を見つめるとここは共産主義国家じゃないのかとさえ思えてくる。問題は国民不在の国家じゃなくて国家不在の
国民なのである。奸賊左翼に国家の本義が冒されている。現代は日本史上最悪の時代に突入しているのである。                         


                                                                                                               高橋博彦


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