上段の教科書


2001 年 3 月 1 日現在


始めに

私は特に上段が得意というわけではありません。稽古においても、上段を取ることは殆どありません。しかし、池袋剣志会の活動の中で、上段を取られる方が入会されたり、昔の教え子が高校などの剣道部に入ってそこで上段を遣うようになったりと、大勢ではありませんが上段を構える方々が居られます。また、私が所属し審判員も務める、豊島区剣道連盟および区の教育委員会が主催する剣道大会においても、大学生を含め試合において上段を取る選手を見かけます。しかしながら、誠に残念なことに、立派とまでは言わないまでも基本を踏まえた構え、そして攻めを理合を含めて実践されている選手を拝見したことがありません。極言すると、早く相手に竹刀を当てて一本欲しいだけ、といった風潮が見受けられます。

一方、高段位の審査において上段で審査を受ける先生方をあまり見受けません。何故でしょう。歴史的問題を含んでもいますので何とも論評できませんが、試合を離れて上段の意味合いを基本から指導されている先生が少ないことが問題ではないかと考えています。剣道は競技である、そして試合規則、審判規則と細則から演繹すれば旗を揚げざるを得ない場合もありますが、上段は構えを含めなんとなく「野放し」のように感じています。

私の師匠は、現在埼玉県上福岡市で「剣道右武館」の館長をされている、範士八段 松井貞志 先生です。先生が七段当時のことですが、「この前試合で相手が上段を取った、従って、それに相応して自分も自然に上段を構えた、もう少し研究したいからおまえ上段を取って相手をせい」、とのことでほんの短い期間でしたが稽古をさせて頂きました。上段同士の長い稽古の中では、先生の上段からの面を抜いて、面を打つなど幸福冥利の技が出たこともあります。

このような背景で、ぜひとも競技本位ではなく、一つの完成された構えとしての上段を遣うため、上段からの技といった実践以外の心構えを中心にして、基本的なところをぜひ書きたいと思って公表しているものです。ご批判を含め、各先生方のご意見を承れば誠に幸甚です。


構えについて

剣道においては構えということが、非常に重大な位置を占めています。構えには心構え、身構えがありますが、身構えは心の持ち様を言っているため、表現も抽象的になりがちでなかなか解りづらく、修行の過程において、それぞれが良く工夫をしながら、体得して行かなければなりません。一方の身構えは、自然体での提刀、帯刀、蹲踞の構えから、いざ竹刀を持って、如何に相手と対峙するか、言い換えれば、形を整えて、相手からの働きかけ(攻撃)に対処し得る様、十分な用意をすることと、自らが攻撃をするために、姿勢を整える二つの要素から成っています。宮本武蔵は五輪の書の中で、上段、中段、下段、右脇、左脇の五つの構えを示し、最善の構えは、結局、中段に帰するとして大将の位、ともいっておりますが、それぞれの状況において、柔軟に構えを使い分ける事も、必要としています。また、いずれの構えであっても、構えると思わずに、切ることと思え、とも諭しており、剣道において上段をとる場合の心構えとして、この「切ることと思え」は、とても重要な事です。

上段の構えは、「名人の位」ともされ、相手の攻めに対しても動じない気位で、臍下丹田に力を込め、相手をのみこんで圧倒し、頭上より見おろした気持ちで構えなければなりません。別称を、「天の構え」とも「火の構え」ともいい、すなわち、相手を焼き尽くすような、強い攻撃的な構えなのです。


上段の構え方

剣道では、中段の構えが常に基本です。上段をとる場合においても、先ず正しい中段に構えてからの話です。正しい中段とは、足の踏みようとして、両足の爪先を真っ直ぐ前方に向け、両足の左右の幅は、ほぼ中に足が一つはいる程度とし、その前後の位置は、右足の踵を左足爪先の線上に出し、踵から踵まで一足長ないし一足長半とします。左足の踵は自然にあげ、右足の踵は軽く踏みます。身体の重心は、やや前かがりに両足の中心にかけ、両膝は自然に曲げて、踏み切りやすい様にします。この時身体は右自然体になります。剣先は、相手の咽喉につけ、目は、相手の目に注ぎながら、体の全体を見ます。臍下丹田に力を入れ、首筋を伸ばし、肩に力を入れず、腰を入れて安定させます。

一般的な諸手左上段は、(どちらの足が前に出ているかで、左上段・右上段と言います。諸手は言うまでもなく両手で竹刀を握っていることです)中段の構えから、相手の攻めを注意しつつ、左足を前に踏み出し、手の内を変えずに、竹刀を頭上にあげます。体はこの時、やや左自然体になり、右足の踵を自然にあげ、左足の踵は軽く踏みます。左自然体のためやや左半身になり、右足の爪先は多少、外側を向きますが、あまり開きすぎては、踏み込みに影響が出ますので、注意します。

中段から、上段に構える時は、相手の咽喉に附けている剣先が外れ、また、踏み込む場合の踏み足が、左足から右足に変化する過程ですので、中段での防ぎの体勢が崩れ、相手に対し隙を与える事になりますので、十分に間合いを切って、一気に構えなければなりません。また、上段を取るときに、相手の攻めとか間合いの関係で、右足を下げながら竹刀を上げる選手を見かけますが、上段を取る理法に叶いません。逆に、相手に上段を構えさせたくないと思ったら、間合いを詰めて、小手元が上がれば、すぐに打突をするぞ、といった剣先の動き、気構えをすると、相手はなかなか上段をとることが出来ません。

左拳は、額の前上約一握りの所で、なおかつ、左足爪先の垂直線上に位置します。竹刀は刃部を前向きとして、後ろ後方約四十五度に傾け、剣先は中段同様、正中線上に来るべきですが、左半身のため、僅か右に寄るのがより自然で、このため、竹刀を約十五度右に傾けます。

上段に構えるのが、安易に試合に勝つためという風潮があり、全日本選手権級の大会でも、立派な上段、いい上段、品のある上段を見る機会が少ないのは、上段をはじめから、正しく指導する先生が少く、勝手に構えて、初めから終わりまで、上段ばかりの稽古をしてきたのではないかとも思われます。試合でたまたま勝てたのは、相手が上段に対して、どう戦うか知らなかった、あるいは、相手に上段に対する備えがなかったから勝負に勝てた、と言うのが実状ではないでしょうか。剣道は、一つの芸ですので、構え、動きにたいして、品が要求されます。「雅(みやび)」と言っても良いでしょう。能の世界では「幽玄」といっています。西洋では「エレガント」と言います。品位の基本は、姿勢、構えですので、先ず癖のない、正しい上段の構えを身につけてください。


竹刀の握り方

竹刀を握る左手は、小指を柄頭いっぱいにかけて、上から握り、小指、薬指を絞め、中指は絞めず弛めず、人差し指、親指は軽く浮ける心持ちで添えるようにするのが基本です。小指については、柄頭に半分だけかける方法、小指を柄頭から外してしまい、柄頭を包み込むようにして握る方法もあります。上段の場合、間合いを盗み、遠間からの打突を行うときには、この持ち方が有効です。ただし、小指での絞める力が無くなりますので、打突の後、手首が死なないように、中指、薬指をしっかり絞めなくてはなりません。

右手は、中段と同じく、薬指、小指を絞め、両手とも人差し指と、親指の分かれ目が、竹刀の弦の延長線上にくるようにします。特に上段の場合は、両手を上にあげる関係から、横から持ちやすくなってしまいますので、注意をします。両手首を軽く、常に内側に絞めておく心がけが肝要です。両肘は張り過ぎず、窄め過ぎず、伸ばし過ぎず、ゆったりと、力をいれないで、相手を見おろすような気持ちで、おもむろに、大に構えます。この時、心の中で「参れ」と呟きます。


構えて攻める

大きく上段に構えたならば、「どこからでも参れ」、「突くならついて見ろ」という気持ちで相手を見据え、攻撃の一撃にかけます。常に、攻めて攻めて、攻め抜く攻撃一辺倒がそもそも上段に上げたときの心構えで、中段の場合の様に、攻防一致、攻防の妙は有りません。中段の場合は、攻める間合い、守る間合いを考え、攻めて良し守って良しの、いわゆる攻防一体の駆け引きを行いますが、上段をとった場合は、ここぞと言うときの一撃に全てを賭けるわけです。上段に構えたときは、基本的には間合いの攻防はありません。間合いを詰めることがあるだけです。従って、間合いを下がって切る様なことをするのであれば、その人は上段をとる資格がありません。下がったときは負けです。絶対下がってはいけません。相手が出てきたら、心得たとばかにりに、その相手の出に乗って相手を断ち切る、激しい気構えと攻めを、崩してはいけません。紙一重で勝負を決めるのです。最悪でも相打ちになれば十分、また、一つ打ったら後が無いと心得てください。危なくなったら逃げるのは言語道断です。もう一度書きますが、下がったときは負けです。しかし、どうしても下がらなくてはならない状況も、当然出てきます。この時は、直ぐに、中段の構えに戻してから、間合いを切るべきです。

上段を遣うには、強気でなければなりません。相手に対して絶対の優位を誇ることです。攻めて、追って、詰めて、相手を圧倒し、試合であれば試合場の外にまで、道場であれば壁際まで、追いつめて行く、これが全てを焼き尽くす「火の構え」です。自分の身を守るよりも、自分の体、すなわち、左右の小手、胴、さらには突きを全てさらけ出して、身を捨てて打ち下ろす、激しい打突一本だけの構えなので、上段を取るには、勇気が必要です。上段は、攻めているときは強さを発揮できますが、守りに備える構えではありません。どんな強い攻めに対しても動じない強い気勢、勇気が必要になってきます。


上段の間合いについて

間合いは、自分と相手の空間的距離を言います。(時間的距離は「間」と表現します。)一番良いのは、自分からは打ちやすく、相手には打ちにくい間合いですが、なかなかその様な、自分からは近く、相手からは遠くなるような、一見不条理のことは成し遂げられません。宮本武蔵の兵法三十五箇条にも、間積もりの事として、「大形は我太刀、人にあたる程の時は、人の太刀も我にあたらんと思ふべし」書いてあるように、物理的な距離的は、実際には余り差が無いのではないかと筆者は思っています。むしろ、間合いが詰まったときの、一瞬の「間」、つまり打突のチャンスを能く掴むことが重要です。中段での自分の間合いについては、それぞれが研究し、実践してきているわけですので、此処では、上段を取った場合の間合いの取り方について、多少触れてみることとします。

中段の構え同士の場合では、竹刀の先皮が触れ合う所で、攻防を行い、此処からどの様に相手の竹刀を殺し、中心を取り、取られたら取り返し、間合いを詰めて打突するかがキーポイントです。言葉を換えれば「間合い」から「間」の攻防へ移る時こそが、時間的、距離的に先を取る重要な機会です。上段の場合は、初めから竹刀を上げているわけですから、約半歩ほど、間合いが近くなっていると考えて良いでしょう。

剣道ではよく「一足一刀の間合い」と言いますが、上段の場合、「半足一刀」の間合いが、相手にとって「一足一刀の間合い」となります。従って、相手の動作が先で、打ってきたところを、面に乗る様な場合、左足は、その場を踏む程度で良いと思います。丁度、相中段で、出小手を押さえる時の調子です。竹刀と竹刀が交わっていないわけですので、自分の「半足一刀の間合い」は普段の稽古で、十分に掴んでおく必要があります。上段の剣先が大きく半円を描いて、背筋を伸ばし、片手技で、相手の右小手にそのままで届く距離が理想です。

柳生宗矩「兵法家伝書」によると、相手の間合いを計るには、「水月、つけたり、その影のこと」といって、月がその影を水に写す例えで、相手の背丈を影として前に写し、その分だけ間合いが有れば、なかなかわが身までは当たらないもの、と言っています。打つときは、この水月の尺の中に位をぬすんで近づきます。心の中に水月の場を、立ち会い以前から考えておけとしています。


足捌きについて

剣道の足捌きは、歩み足、送り足、開き足、継ぎ足があります。剣道で、素早い力のある打突をするために、一足一刀の間合いから技を出すときには、送り足が使われます。送り足で重要なことは、出した足の分、直ぐに後足を引きつけることです。武蔵は「片足ふむ事有るべからず」といって、片足だけを出してそこで止まっていてはいけないとしています。諸手左上段の場合は、左足前ですので、左足を摺り足で前に送った後、直ぐに右足をこれも摺り足で詰めます。後足が跳ね上がることは最も嫌われます。氷上を滑るように、さっと出します。送り込む方の後ろ足が、遅かったり、残ったりしないように、素早く引きつけることです。

体を捌くときは、開き足を使います。左に捌く時は、左足を左斜め前に出し、右足を後方に引きつけ、右を向くようにして相手に正対し、技を出すものです。体の移動はまず左斜めに行ってから、次は右斜めとなりますので、この方向転換をスムーズに且つ一瞬に行わなくては成りません。普段の練習が肝心です。上段の場合、左片手技が一般的ですが、場合によっては、右片手技を使うこともあります。相手が、左小手を打ってきた場合、その左手を竹刀から外し、体を右に捌いて、右手片手で相手の正面を打ったり、相手の右胴(逆胴)を打つときなど、右に捌く事も研究してください。

どの足捌きの場合でも、後ろ足の踵が、床についてはいけません。特に下がるときに注意します。剣道でアキレス腱を切るのは、大抵、下がったときに、後ろ足の踵が床についていて、無理な力が加わったときです。事故を起こさないためにも、後退の際に、後ろ足の踵は床につけないようにしましょう。


上段からの技

とりあえず、よくよく研究すべし。

(すこしづつ補充して行きます。上段からの技は片手技が多くなる傾向があります。特に刃筋に注意してください。上段からの小手は一般的に開く傾向にあります。)


剣道のホームに戻る[Back to Kendo Home Page]
Ishikawas のホームに戻る [Back to Ishikawas Home Page]


Toshiyuki ISHIKAWA/石川俊行<tosiyuki@gol.com>