● 三内丸山遺跡





 青森三内丸山遺跡は、縄文時代前期〜中期(約5500年前〜4000年前)の、大集落跡の遺跡です。 発掘調査により、竪穴住居跡(約600棟),大型竪穴住居跡(10数棟),掘立柱建物跡(約100棟), その間のゴミ捨て場と思われる谷(泥炭層),大人・子供の墓などが発掘されております。

ここでは、発掘されたものの中の幾つかを、紹介いたします。



●大型掘立柱建物跡・おおがたほったてばしらあと  
 地面に穴を堀り、柱を立てて造った建物の跡で、直径が約2m、深さ約2mの穴が3個ずつ2列に配置されており この中には、直径約1mのクリの木の柱が入っていました。 なお、この柱と柱の中心間隔は、すべて4.2mとなっています。

 柱穴の規模や、柱の太さなどは、縄文時代で最大のものと思われ、高床の建物で『物見やぐら』や 『お祭りの施設』,『倉庫』などを目的とした大規模な建物であったと思われています。  このような大規模な建物を建築するには、多くの人手を必要とすることから、当時の群落のしくみを 理解する上でも貴重なものです。  また、柱の間隔がすべて同じであることから、縄文時代になんらかの長さの単位があったのではとも考えられて います。







●北盛土・きたもりど  
 竪穴住居などを掘った時の土や、排土や灰、土器などの生活廃棄物を約1000年間にわたって繰り返し捨てた 結果、小山のようになった場所です。

 ここでは、土器が一面に敷き詰められたようになっていますが、見えているのは、ほんの一部で、 この周辺一体に幾重にも重なっています。

 ここは、年代毎の土器の形や、文様の種類を知る大きな手掛かりとなっています。










●大人の墓(土坑墓)・おとなのはか(どこうぼ)  
 大人の遺体は、地面にほぼ人の大きさの楕円形の穴を掘り埋蔵しました。

 三内丸山遺跡では、谷の東側に二列に並んで向かい合うように配置されています。

 人骨は出土していませんが、ヒスイ製の玉(ペンダント)が出土した例もあります。

 同様の墓列は、南側の谷向かいからも発見されており、全国的にも例がなく、 丸山遺跡の大きな特徴となっています。








●大型竪穴住居跡・おおがたたてあなじゅうきょあと  
 この大型竪穴住所跡は、縄文時代前期の終り頃(約5000年前)のもので、 長さ約15m、幅約10mあります。  両側に3個ずつ並んだ大きめの穴は、この建物を支える柱穴で、 周囲の小さな穴は、それらを支える柱穴です。

 柱穴などの様子から、この住居は2回以上の増改修が行われたことがわかっています。

 大型竪穴住居は、集会所や作業場、あるいは共同家屋として使用されたものと 考えられています。








●南盛土・みなみもりど  
 この盛土も約1000年かかってできたもので、深さ2m〜2m50cm程あります。  この中からは、多数の土器・石器のほか、ヒスイ製の玉、土偶など非日常的な品々も 数多く出土しており、単なるゴミ捨て場というより、お祈りを行うなど神聖な場所として 利用されていた可能性も考えられます。













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