太陽の坐る場所

辻村深月・文藝春秋

やはり辻村深月だった、今回もネタは同じ。
48ページ目からトリックが始まる。キョウコと響子の物語が幕を開ける。
149ページ目の紗江子のセリフは、実にフェアな伏線になってるんだな。
198ページ目の響子とキョウコを立続けに現すシーンは、分かってからだと強引なミスリードな気もするが、まぁ良い。

婉曲的に書かれている部分もあるが、女性心理の陰鬱さを書かせたら随一な気がする。
凄まじい執着心と言うのか。これは醜いコンプレックスの物語か。
聡美にとっての演劇、紗江子にとっての男性、由希にとっての美、そして響子にとっての偶像。
そして、一つ一つ嘘が剥がれていく様な技巧的な筆致。
由希の章で、デザイナーが3人いると言う表現から由希が自ずとデザイナーではない事が窺い知れたりする辺りとかさ。

登場人物が徐々にステージを去っていくのは、「冷たい校舎〜」に似ている。
半分は高校が舞台であるところや、一人だけ他のクラス(清瀬や諏訪)のキーマンを混ぜる手法なども、
そこに通じるものを感じた。ちょっと恩田陸の様なドロドロ感もあるのが読んでて好きなんだろうな。

私が好きなフレーズは由希の「だから、さあ。理解できない弱い者に用はない。帰れ。」と言うセリフ。
「伊達に性格悪くないんだよ」の自覚など、覚悟を決めた女の強さって怖いよ。
その他「あなたがしたことなんか、あの子にも私にも、少しの傷もつけることができなかった」とか
大崎善生にも似たところあるんだね。

地方出身者が東京に対して持っている憧憬と嫉妬は、往々にしてこんなところなのだろう。
それは独身者が既婚者に対して引け目を感じてるのに、そのままそっくり当てはまる。
だからこそ、その相乗効果たるや…

文庫化された「ぼくのメジャースプーン」は舞台が小学校みたいだけど、
そこでも辻村流が貫かれるのか、或いは新たな展開なのか。

こちらではもう少し3年2組の生徒たちについてネタバレ覚悟の感想を。

(09/04/23)

■映画を見た感想
これは、映画だけを見た人は分かっただろうか。
そもそも、小説とは違ってキョウコの仕掛けは端から明かされてるし。
登場人物が絞り込まれて、聡美と貴恵や、真崎と里美などのエピソードは割愛。それも良いだろう。
真相が分かるまでの辻村ワールド独特のモヤモヤ感、それは映像では難しかったかと。
でも水川あさみと木村文乃が可愛いから、良し。

(14/11/03)


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