「となり町戦争」とパラレルした成和ワールドの中で、
非常に複雑な架空設定で語られる小さなエピソードが連関していき、
次第に皆が繋がっていくのは良い感じ。
エピソード2の様に、主人公にわざわざ「さん」付けして話を進める事で
視点はやはり由佳ないしは茜においているのだろうか。
消滅自体が悪いものではなく、実は消滅に抗う事が思い違いかもしれないと言う、
桂子がp272で死ぬ間際の統監に漏らした科白に現れたパラレルした価値観、
そんな所がテーマだったりするのかな。
作中も消滅と言う事象をネガティブに捉える風潮に対抗するプロテスタントの如き主人公たち。
中西さんって、「そのときは彼によろしく」の智史の父親を彷彿とさせる。
花梨との関係性も、そのまま茜との関係性に通じる。
結局、潤って何者だったんだ?
彼の姉さんも凄いよね。和宏が「免れている」事を知ってた訳でしょ。
結局町に抗う素質を持った人が多い自治体が狙われてしまうんじゃないの。
以下はツッコミポイント。
エピソード3の信也さんと茜は、統監からのぞみについては他言無用と釘を刺されたのに、
飲み屋で話題にしちゃうのはあまりにも軽率すぎないか。
中西さんが亡くなったのが統監の死である消滅から4年後だとすると
エピソード6の時世で脇坂と桂子の結婚した訳ではなく、
結婚から2年を経過した時点で居留地に報告に行ったのね。
でないと中西さんの生前に2人で結婚報告に訪れて写真を撮ったというエピソードに矛盾が生じる。
これは分かり辛いな。消滅耐性である桂子さんを不在にさせる必要があったからの措置なんだろうけどさ。
勇治の桂子さんに対する科白に「脇坂さんと結婚する」って現在時制での問いかけがあるのはミスだよね。
でもまぁ、三崎亜記は長編が読み応えあり。読後の満足感は「バスジャック」「鼓笛隊の襲来」に比して高かった。