ねじまき鳥クロニクル

村上春樹・新潮社

いやぁ、一本とられましたね。2巻目までを読んだ感想としては、
「またしても村上ワールドか」というものでした。ところが3巻目がね・・

それにしても、村上春樹はどうしてここまで人間の弱い部分を追求するんでしょう。
読んでるこちらの方が痛くなるくらいに、弱さを曝け出しますね。
オカダ・トオルとクミコの会話で、ピーマンと肉を一緒に煮る云々の件がありました。
今まで一緒にいながら、お互いのことなんて何も知らないんだ。うーん、
そうかもしれない、なんて思って読んでました。

2巻目までの印象としては、あいも変わらず村上の生死観がテーマかと思いました。
何というか、人間は突如として死ぬのではなく、徐々に何かを失って死んでいく。
生とパラレルに存在する死、つまり死は生きているということでしょう。
登場人物も宮脇さん家の飛べない鳥の彫像とか、間宮中尉とか、加納クレタなんて
そのまんまでしょ、死を抱えたまま生き続けている。
綿谷昇にしても、お姉さんを失ってから死んでいるんでしょうし、
ねじまき鳥たる岡田氏も、クミコを失ってから、やはり死んでいるんです。

と、単純に思ってたんです。これじゃ「ノルウェーの森」と変わらんな、とね。
しかし、3巻目を読んで解らなくなりました。
そもそも、村上春樹の文章は行ったり来たりで、何についての話なのかわかりにくいのですが、
今回は極めつけですね。まるで映画のワンシーンをいろいろ見せられているようです。
窓から2人の侵入者を見ていた、あの子どもはシナモンなのでしょうか? 気になるな。
村上春樹の文章は答えの無い問題を解かされてる気がして疲れます。
友達は「そういう読み方は無粋だ」と、言いますけどね。
結局何が言いたかったのか。小説である以上何か作者はメッセージを発しているのでしょうが
それが解らないなぁ。

あ、そうそう。井戸は、バットは、何を意味するのでしょう。
何かの象徴なんだろうけど。作者の思い入れのあるアイテムなんでしょうか?
主人公はバットを持って井戸から最後の闘いに臨むわけですが、これが
主題なのかな? 割と他の作品と比べて前向きではあると思うが。

もう何度か読み返そうとは思うんだけど、非常に疲れるからなぁ。
「ノルウェーの森」は結構さくさく読めたけど、「ねじまき鳥」は
場面展開が頻繁だし、それでいて脈絡が無いので、集中してないと
駄目だね。BGMかけながらだと、もう付いていけなくなるもの。
2、3行くらいスーッと字だけ追ってたりするとストーリーが解らないからね。
読んでみて頭の体操にはなった気がする。

(97/10/21)
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