最初からプレイリポートを書くつもりなんてなかったので、 最初の6年間は断片的に覚えている事のみ書きます。
友人に薦められサターンとサカつくを購入。 さっそくチーム創設。本拠地はやはり現住所たる埼玉県越谷市。 我が家のとなりも田んぼだから「ブラオヴィーゼ」で良いか。 「青い草原」。似たようなもんだろう。秘書は竹中。よし完成! こうして出来上がった《ブラオヴィーゼ越谷》だが、実は Jリーグに昇格するまで3度のチャレンジを要している。 しかも、セーブを取らなかったので本拠地決定の作業を3回繰り返したので あった。
3度目はセーブを取ったが、何とかライバル「アウローラ八幡」に次いで 2位でJリーグに昇格。3度もやって思った事は、序盤だからと言って ランニングとかやるよりシュートやディフェンスを練習した方が 良いみたい。さて、 ようやくエディット選手の作成。昔から「佐伯」って名字が好きだから FW佐伯くんが誕生した。背番号は「27」。
1年目は春トーナメント、緒戦敗退。こんなもんでしょう。練習に勤しむ。 1stステージは結果的に5位。賞金ももらって喜んでいたと思う。 少し奮発して当時の10番であった窪を留学に出してみる事に。 でもお金がもったいないのでスペインに半年。2ndステージはチームが機能せず 13位に終る。不満が続出。監督が悪かったらしい。冬トーナメントも緒戦敗退。 前途多難だ。
2年目も春トーナメントは緒戦敗退。1stステージも留学帰りの窪は まったく良い所が無く、評価点も低くガッカリ。ま、今にして思えば スペインに半年じゃ、あまり変わらないわな。結局13位で終了。 ところが、2ndステージは姑息にリセットを繰り返し、終盤まで 1位を保つ。ま、試合数の関係もあったのだが、TV中継で1位に ランキングされていると気持ちの良いものだ。 結局はエスパルスに勝ち点が1届かずに2位で終了。しかし当時としては 賞金による破格の収入で心は一杯。ヨーロッパチャレンジカップ(以下ユーロ杯) に出場するも最下位で終る。冬トーナメントも緒戦敗退。
3年目に突然の快挙が。春トーナメントに勝ち上がり、フリューゲルスとの 決勝戦。3度目のチャレンジで優勝。初のタイトル! 今年から化粧品会社をスポンサーにつけ、ステージも8位以内という 明確な目標を持つ。その甲斐あってか今回も1stステージも2位で終了。 アジアクラブトーナメント(以下アジア杯)は緒戦敗退。 2ndステージはパッとしないものの8位。冬トーナメントは 2回戦敗退。
4年目。2月にいきなり代表監督とかいわれて困惑。とりあえず 我が《ブラオヴィーゼ越谷》からもFW堀とGK永島を選んでおいた。 しかも永島をキャプテンに。結果は3戦全敗で4位。 気をとり直して春トーナメントに挑むものの、ベスト4止まり。 連覇は成らず。1stステージも8位に留まる。恐らく この辺りで37歳のドゥンガを獲得したものの、パラメータが てんで低く、使い物にならなかった記憶がある。 2ndステージも3位に入るのが精一杯。アフリカチャレンジカップ (以下アフリカ杯)に参戦するも、これまた最下位で終る。 冬トーナメントは3回戦で早くも姿を消す。
不満分子佐伯くんが年俸問題で折り合いがつかず、チーム離脱。 5年目は幸先良く春トーナメントで準優勝。この頃はプレシーズンマッチが 意外に儲かる事が分かり、頻繁に格下相手に戦っていたはず。 1stステージは4位、2ndステージは6位と可もなく不可もなく シーズンを終える。そして、冬トーナメントを初制覇。2度目のタイトル。
先ずは6年目にして
ようやくデータが見つかったので選手の紹介を。
FW:堀、山本(留学中)
MF:窪、バッケス、森山、橘(エディット)、金堂、屋野、北川
DF:ブッフバルト、水木、古島、宮崎、フロレンティノ
GK:永島、荒谷
荒谷、ブッフバルトと橘以外は架空選手。
佐伯くん亡き後、橘くん登場。彼は「うなるドリブル」「理性のプレイ」
「成績優秀」というきれいな5角形を描くグラフで反映度Dながら
まんべんなく成長を期待したのであった。背番号は「22」。特に意味は無い。
ここんとこ成績が伸びてきたのは、ブッフバルトの存在が大きい。
ケチながら大枚叩いて24歳くらいでゲットしたはず。永島が不調続きだった
ので、レッズから荒谷を獲得。
で、6年目はいきなり春トーナメントで優勝。 1stステージは4月に上位陣に3敗。結局6敗の7位に。 この夏初めての不動産投資を行ってみる。 2ndステージは9月に上位陣に4敗したものの2位で終る。 この間荒谷は半年ながらもイタリアへ修行の旅。 アフリカ杯はまたしても全敗 [チュニジア(0−2)、ナイジェリア(0−2)、カメルーン(1−2)、 モロッコ(0−1)、エジプト(0−4)]で最下位。 冬トーナメントも準決勝でフリューゲルスに敗れる。