|
Last Up-date '03.07.01
|
|
『武器』 〜リアルであること〜
(1999年CAB DRIVER vol.7『春ハ名ノミノ』の観客から寄せられた感想への返答E-mailより抜粋)
「リアルであること(具象に徹すること)は、人の想像や芸術の創造を奪う」という考え方が、モノを創る人間たちの間でしばしば交わされます。
日本の写実私小説をめぐる議論しかり、演劇とは何よりその劇的虚構性を駆使すべきメディアだ、という定義付けしかり。
今回の『春ハ名ノミノ』という作品では、
常識的な芝居の光量よりはるかに絞って、「四月の雨模様」のリアリティを優先した照明や、
心の不安を抽象的な効果音に頼らず、具体的な「雨漏りの音」に集約させた音響など、
現実的な空気を大事にした演出が施されています。
これらの要素は、
現実世界からある種の作為をもって切り取ってきたリアルさです。
現実が持つ豊かさを損なわぬように、
それでいて、
“ある意図の元で再現をする”ということに腐心したつもりです。
結果、
『リアルは細やかに紡ぎ出してあげれば、むしろ詩的ファンタジーを想起し得る』
ということをあなたの感想から確信しました。
それは大きな嬉しい収穫でした。
例えば、
幼かった頃の夏休みの小学校。
プールの日、その帰り道。
その時の「夏の午後の陽光」を再現したいとします。
日照りを現した照明や、
夏の道路から聞こえてくるいろいろな音、
火照った役者の頬。
などなど。
そうして再現した先には、
リアリティという即物的なものだけではなく、
ひろがりのあるファンタジーがあるのではないかと思うのです。
水から上がった直後の不思議な体の感覚。
湿った髪。
水を含んで重くなった海水パンツと水泳帽。
なにか膜がはられたような心地よいけだるさ。
そして数々の思い出たち。
そういったものが時間を超えてよみがえってきませんか?
その時人々の心と共鳴し合っている舞台がある。
“リアルであること”、
それは現実を超えて観客の皆様と共鳴し合うための“意図的な武器”なのです。
1999年7月 矢柴俊博
|
|
|