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Last Up-date '03.07.01
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『ハローワークに行ってみる。』
2001年7月「主宰の日記」より抜粋・改訂
ハローワーク。
“その背中ワケあり”といった風情の人間がわんさかいる。
ネクタイを締めている者も、
肌着一枚の者も。
髪をなでつけた油が鈍く光っている者も、
まったくの無精ひげの者も。
ファッション誌を手にした若くてスマートな女も、
顔の数箇所にバンソウコウを貼った中年の女も。
皆、パソコンの検索画面に向かって
一心に就職先を探している。
仕事先を探して。
どうやら皆せっぱつまっていて。
このことだけが共通している。
「なんの関係もない人間同士が、ある一つの共通点を介して、
やがて連帯していく。もしくは反発しあう。」
まぁこれはよくある物語の始まりのプロットだ。
物語なら、
ある誰かが何らかの手段で語り始め、
やがて居合わせた別の誰かがそれに呼応して、
良くも悪くも何かが紡がれていくのだろう。
しかし、現実は?
あそこに居合わせた見知らぬ者同士。
せっぱつまっている者同士。
ワケありの背中をもつ者同士。
この圧倒的な他者同士で
一体何の会話が生まれるだろう。
「こんにちは。いやぁ、なかなか見つかりませんね。」
などと気さくには話を持ちかけられそうにない。
「一雨きそうですねぇ」
時候の挨拶なんて気持ちには到底ならない。
そんな軽口に付き合う義理もない。
ましてやワケありの個人の事情など、
まず聞けたものではない。
「あの・・・。」と誰かに呼びかけて、
「え?」でも「はい?」でも、
答えてくれればまだいい。
ここでは「・・・。」と無言で立ち去られる。
もしかして殴られて終わるか。
もっと予想もつかない反応が返ってくるかもしれない。
予想もつかない。
それは他者同士だから。
どうもいくつかの物語は、
いとも簡単に他者との会話を成立させてしまう気がする。
心の壁を、手順を踏まずにいともたやすく乗り越えたりする。
その者固有の孤独がたやすく他者に披露されたりする。
そしてたやすく他者にその痛みが了解されたり、
あげく共感し合うところまで行き着いたりする。
「あの・・・」と呼びかけて、
「え?」という返事が返ってくる時点で、
その二人の登場人物は、
ただ一つの価値観だけでしか書かれていない気すらする。
ハローワークにいたのは、
言葉の感覚すらまるで違う、
もう馬鹿みたいな他者同士だ。
同じような人間同士の物語では、
大きな葛藤のダイナミズムは生まれるはずもない。
つまるところ、力のない物語になる。
突然、向こうから老婆の金切り声が聞こえてきた。
相談窓口で係員を怒鳴りつけているらしい。
「何でもらえないのよぉ!よぉ!」
どうやら失業保険の権利が失効したことに難癖をつけているらしい。
似合わず大きな声で誰もが振り返る。
僕らは下手すると、
コンビニのカップ麺と、新宿ツタヤのレンタルビデオさえあれば、
本物の他者と出会わずに過ごせてしまう。
あの老婆の金切り声は、
そんな時代に生きる僕らへの、
警鐘だったりするのかもしれない。
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