ハロウィーン 有史以前より、収穫の季節はどの文明においても、祝福の時であった。ケルト の民にとっても、この時期は一年のうちで最も有意義なひとときであった。陽 の光が弱くなり昼間の時間が短くなるこの時期は、暗闇が勢力を強め、生と死 の境界線が一番曖昧になるため、死者の霊魂がこの世に戻ってくることが可能 であった。 サウェンは、ケルトの死者の上に君臨する王で、あの世の魂を支配していた。 この時期ドゥルィド(ケルトの司祭)は、サウェンを崇め祝福し、スピリッツ (霊魂)達をなだめた。 ドゥルィドは、又、太陽を崇め大きなかがり火を焚き、広がりつつある暗黒に 対抗し、その光を強めるよう試みた。人々は調理に使う火を消し、その儀式で 使用した残り火を使い、翌年の幸運を祈りつつ、家のかまどに点火した。 この時期の火はまた、サウェンへの生贄(いけにえ)にも使われ、動物や時に は人間もその火で焼かれた。その後、焼け残った骨を使って、ドゥルィドは未 来を占うことがあった。このことからかがり火を「骨の火」と呼び、それが今 日のかがり火(ボーンファイヤー Bonfire )の語源とされている。 この新年を迎える前夜、死者の霊魂を鎮めるために、人々は外に出て彼らに食 物を差し出した。ある場所では、家々を回ってごちそうを集めたところもあった。 ごちそうを差し出さなかった家では、確実に彼らのいたずらに逢い、牛乳 はすっぱくなり、生き物は死に、食べ物は腐った。時には、怪我人がでること もあった。このことから人々は学び、また長い間にこの習慣も少しずつ変化し. 今日子供たちは、誰もが知っている「トリック オア トリート ご馳走をくれな いといたずらをするぞ」というフレーズとともに、家々を回って歩く習慣がで きたと言われている。また、ドゥルィドは変装することによって、スピリッツ (霊魂)達が彼らを認識できず、彼らのいたずらから逃げられると信じていた ため、今日大人は子供に幽霊の格好をさせ近所を歩かせるようになったのだと も言われている。 昔からのドゥルィドの影響に加え、ローマ人の侵略によって彼らの収穫の習慣 が持ち込まれ、サウェンのものとまじりあうこととなった。すなわち、ローマ 人は木の実と林檎をハロウィーンにもたらした。 ハロウィンという名前はカソリックの教会の影響を多大に受けているといえ る。カソリック教徒は、古い異教徒の習慣を改めようと、11月1日をハーロウ (聖人)の日と定め、その前日10月31日をイブ オブ ハーロウとし、ハロウ ィンという名前がついたのであった。 忠誠の世、魔法は様々な形に発展した。教会の歴史的異議を愚弄するために キリスト教の祭りの日によく魔法が使われた。そして、特にハロウィンの夜に使 われた呪文が効果があると言われ、人々に信じられた。このことから、魔女と ハロウィンに密接な関係が生まれたのである。 [HOME] [CONTENTS] [PROGRAMME(L)] [PROGRAMME(T)] |