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12/23 2002

久々にやってしまいました。
何かがぷちっとちぎれて、買いたい欲求がどどどどっと私の大脳に
迫って・・・というほどたいしたことではないと思う。
だって、本ってこれだけ買っても、23000円程度。ブーツ買ったら
3万円はするからね。ワンピースだったら5万円はするでしょ。
そうだそうだ。

セーヌの釣りびとヨナス ライナー・チムニク 文・画 
矢川澄子訳 パロル舎 2002年9月20日発行 1700円

矢川さんに惹かれ、素朴な装丁に惹かれ、聞いたことのなかった出
版社名に惹かれた。読んでもいないのに、なぜか応援したくなる本
ってある。売れてほしいなあ、これを作った人たちの思いが、いろ
んな人に伝わるといいなあ。そんなかんじ。

シャンプーリンス 佐内正史 ソニー・マガジンズ 
2002年10月4日発行 1900円

ビニールに包まれて売っていたのよ。もし中身を見ていたら・・・
ああん、佐内さん、すみません。でも買わなかったかもしれない。
とりあえず、わけわかんないです。
ある種の人は、この手の作品について「わけわかんない」と正直に
語ることを恐れ、ある種の人は、これを理解して「面白い」と言う
んだと思う。
写真は好きよ。イラストはやめとけ。文章は年上のお姉さんである
ところの私は、「かわいいとこ、あるのね」って思うわ。

JUNICHI EURO 小野純一 マガジンハウス
2002年9月19日 1400円

あとがきさえなければいいと思う。あとがきはエディターを務める
母親が書いたもの。おい、これは育児の記録かい?と思ってしまう
のよ。自費出版のような匂いを感じてしまう。
純一君の絵の才能を見出して、商業ベースに乗せたのは、親ごさん
の働きがあってこそだと思う。純一君もそれで幸せだと思う。
才能を伸ばすのはいいことだ。
でも、この息子さんは小6だとしても、じゅうぶん一人前にやって
ますがな。そんな心配せんでも。
絵はよいですよ。

自由人の祈り 島田雅彦詩集 思潮社
2002年7月15日 1500円

島田雅彦さんは、ちょっと好き。ナイーブ系だし。
自由人、なんて言葉はちょっとうさんくさいけれど、島田さんが使
うのは許せる。

ア・ピース・オブ・ケーキ 吉田浩美 筑摩書房
2002年12月10日 1600円

クラフト・エヴィング商會のつくった本。
なんとなく彼らの作った本がかなでる独特の「特別感」が好き。
大量生産じゃなくて、「ひとつひとつ手作りです」みたいな雰囲気
なんだけど、押し付けがましくもなく。

求愛瞳孔反射 穂村弘 新潮社
2002年12月20日 1500円

穂村さんも好きだし。でも唇が薄いところだけがちょっと。
でもまあ買いますよ。まだ読んでません。何が出てくるのか、ドキ
ドキします。

灰色の輝ける贈り物 アリステア・マクラウド 
中野恵津子訳 新潮社 2002年11月30日 1900円

ソーネチカ リュドミラ・ウリツカヤ 沼野恭子訳
新潮社 2002年12月20日 1600円

新潮クレストブックスの新刊2冊。
なんとなく地味な雰囲気がよかった。

遠い国 小林紀晴 新潮社 2002年12月20日 1600円

この人も、ナイーブ系なので、わりと好き。
写真も佐内さんのよりもナイーブ系。やんちゃぼうずな感じは佐内
さんのほうがする。この人はもっとしみじみ。シャッター切るのも
そーっと切っているようなそんな雰囲気。

バースデイ・ストーリーズ 村上春樹編訳 中央公論新社
2002年12月7日 1600円

これもそこはかとなく静かな雰囲気を漂わせていて、買ってみよう
かなと。春樹さんってのは、あまり関係なく、この本が漂わせてい
る気品(dignity)に惹かれたのです。

鍵穴の花園 樋上公美子 実業之日本社
2002年12月16日 1900円

あるお菓子を検索していると彼女のHPにたどり着いた。
彼女の日記はすばらしい。スイーツ好きなわたしには、たまりませ
ん。わたしもそういうのをつけたいんだけど。
彼女の絵を見ながら、小川洋子さんの小説の挿絵にいいかも、と思
ったら、やったことがあるみたいだった。
色使いはケバケバしいし、独特の雰囲気だし、それは小川洋子の世
界とはまったく異質なのに、なぜだか合うと思う。
共通しているのは、緻密さと緻密さがかもしだす不思議さ、かな。

だれかのことを強く思ってみたかった 角田光代×佐内正史
実業之日本社 2002年11月25日 2380円

これはタイトル買いかな。川上弘美さんの「ゆっくりさよならをと
なえる」もそうだけど、文中にこんなふうに、きちんと印象に残る
一文をさらりととけこませられるって、とてもいいな。素敵だな。

僕のなかの壊れていない部分 白石一文 光文社
2002年8月25日 1500円

これもタイトル買い。新年はこの本から読み始めようと思っており
ます。

合計13冊 23184円。

 

 

11/30 2002

20代に読みたい名作 林真理子 文藝春秋

読者は踊る 斎藤美奈子 文春文庫

林さんのエッセイはCREAに連載されていたもの。
私も時々読んでいた。
林さんの小説は、あまり好きではないのだけれど、エッセーは、ほんと
うまいなと思う。はずれがない。
これは、anan系譜のエッセーとは一味異なる硬派なものだけど、きちん
と読ませてくれる。おまけに彼女が取り上げた本をどれも読みたくなる
んだから素敵だ。
特にいいなと思ったのは、同時代作家たちの作品について。
ばななちゃん、詠美さん、小池真理子さん、森瑤子さん、村上春樹さま
をとてもきちんとほめている。作家だからわかる部分も含めてこうやっ
て書けるのはいいな、と思った。
林さんの小説は好きではないけれど、彼女は好きだ。

「読者は踊る」は、逆に本屋に買いに行きたくなった本が一冊もなかっ
た。文章は面白い。彼女の書く姿勢も真摯でよいなと思う。しかしあま
りに冷静すぎて、本を読みたくならない。
読んでいるときは、ぎゅーっと集中できるんだけど、読後感があまりに
さっぱりしすぎ。
まあそれはきっと彼女の持ち味で、彼女はそこで勝負しているんだと思
う。彼女の本気感は、伝わってくるんだけどね。

 

11/16 2002

奇妙な果実 〜ビリー・ホリディ自伝〜  晶文社

〜私だって歯が痛んだり、神経が興奮したりするし、吐いたり、胃を
悪くしたり、風邪を引いたり、咽喉をやられたりするのだが、それが
人々は、わからない。私が出てゆけば、綺麗で、歌が巧く、にこやか
で、調子がいつになく良いと思われるのだ。
なぜかって? それは私がビリー・ホリデイで、あらゆる苦労を卒業
した女だからだ。〜

これは、1956年にアメリカで出版されたものだけれど、このあとも、
彼女にはあらゆる苦労がふりかかり、死にかけてもなお、適切な処置
が受けられず、死んでもなお、病院に長時間、置き去りにされたそう。

カポーティ的なものを感じる、と書いたことがあったけれど、ちょっ
と違うかな。彼女は闘い続けていたんだ。闘いの相手は社会だったん
だ。

文章はうまくない。彼女の活躍ぶりは伝わってこない。
いつから彼女は売れっ子になるんだろう? と思いながら読んでいた
んだけれど、年表で確かめたら、とっくの昔に売れっ子だった。私が
気づいていないだけだった。でもそんな輝かしい面はほとんど出てこ
ない。
彼女の歴史は、苦労の歴史なんだろう。
人種偏見。

力のあったビリーを苦しめたのは、白人の嫉妬だな、と思った。
ビリーは利口ではなかったと思う。もう少しうまく立ち回れた面も中
にはある。だけど、そんなことは問題じゃないよね。彼女は彼女の人
生を生きたんだ。

〜かけ出し時代に私を助けてくれた人を忘れないが、私をいじめた人
々のことも絶対に忘れない。〜

これはわかるなあ、としみじみしてしまった。
しみじみした自分に驚いた。

 

11/16 2002

音羽「お受験」殺人 歌代幸子 新潮社

この事件がおきたとき、私は専業主婦だった。
私は、音羽近くにある学芸大学付属竹早中学校で教育実習をしたこと
がある。あまりにいい子ばかりで、びっくりした。
実習日誌に「子どもに個性がなくて残念」とかいて担当教諭に怒られ
た。ま、それは私が短絡的でした。すみません。
しかしなんとなく、地域性はわかる。
子育ての閉塞感もわかる。
夫に話してもわかってくれないもどかしさもわかる。

東電OL殺人事件のときも、身震いがした。
OLが、自分の姿と重なった。
独身女性の閉塞感に愕然とした。
私も、結婚しないでそのままOLを続けていれば、そうなったかもし
れないと思った。(私の場合は、売春ではなく、買い物依存症だろう。
適性やら個性やらを考えると。)

どちらの事件にも、共感はあった。
だけども、決定的に違うのは、殺されたか、殺したか。
どんなにつらくても苦しくても情けなくてもさびしくても、私は、人
は殺さないと思う。そのぎりぎりのところで、どれくらい粘れるか、
跳ね返せるか、叩き潰せるか。
パワーのあるなしってあると思う。個人差がかなりあると思う。
弱さも強さも自覚しなきゃなあ、と思った。
強くある必要なんてないから。

東電OL殺人事件も買って読んだけど、私は、音羽のこの本のほうが
好きかな。淡々とした、のめりこみすぎていない感じがよかった。

 

10/11 2002

ku:nel マガジンハウス

川上弘美「ラジオの夏」
江國香織姉妹の往復書簡

と表紙にあった。江國姉妹に一瞬引いたけれど、前の号の川上弘美さ
んの小説は、本当にとてもよかったので、今度はどんな? とわくわ
くして買った。

しかし、です。やはり、です。
江國香織姉妹の往復書簡という企画は、これは一体なんなんだろう。
少女っぽい字のお姉さんと、まっすぐで素朴な字の妹の手紙のやり
取り。江國香織さんの小説は好きですが、これはなあ・・・。
面白いと言えなくもないのかしらね。好きな人は好きなのかしらね。
でも私が友達なら、香織ちゃん、こういう仕事は断んな! ってつ
い言ってしまうと思う。

川上弘美さんの小説。主人公はあたし、と言っていた。
わたくし的にこの「あたし」は合格。

この雑誌は、月刊化を目指しているんだろうか。
このままゆるいペースでゆるい誌面を作りつづけてほしいなあ。

 

10/3 2002

ハーモニーの幸せ 田口ランディ 角川書店

いくつかをランダムに読んで、ああ、どうもしっくりこないな、BOOK
OFF 行きだな、と思った。
でも、全部読まなきゃ、わからないこともあるかも、と思いなおし、
きちんと隅々まで読んだ。

好きな文章ではない。
でも、書くことへの真摯な態度はいいよね。
答えを求めている人にはとてもいいんじゃないかしら。
彼女は、「私は答えなんて出していない」と言うと思うけれど。

 

10/1 2002

本を買いすぎているのはわかってる。
まずは手元にある本を読めよって、ずーっと思っている。
しかし、買ってしまう。まあ一種の買い物依存症だろう。
でも、依存していても一回2万円を越すことはない。
そう考えると、依存症だと反省するより趣味だと開き直るのが
私の生きる道だろう。
こういう日は、つまり「読みたい」欲よりも「買いたい」欲に
つられて買った日は、普段手を出さない本に手を出す。

ポートレイト・イン・ジャズ 和田誠 村上春樹 新潮社

”みちる”さんの話を聞いてぜひとも読んで見たかった1冊。
これは、反省もなければ、趣味でもない。あ、趣味か。
ストレートに欲しかった本。
夜寝る前に、パラパラッとめくって気にかかったのをちらちら読
んでいこうと思う。

寝る前じゃなかったけど、早速3人分読んだ。
ビリーホリディのは、泣けた。
ちょっとカポーティ的だった。私にとって。

つれづれノート 銀色夏生 角川文庫

銀色さんの名前は知っていた。
以前、”えりこっこ”ちゃんにもすすめられたんだ。
でもこれまで読まなかったのは、なんでこれが売れるんだろうっ
て、軽い(でも深い)嫉妬のようなものがあったから。
”これ”?
読んでもいないくせに。
”嫉妬”?
何に対してなんでしょう。
好きなことを好きなように書いて、それがどんどん売れていると
いう事実に対して?
「好きなように書いてください」と言われるととても戸惑う私が
そのことに対して嫉妬を感じるのは間違い。
「好きなように」のレベルがまったく違ったとしても、
「好きなもの」で勝負することから逃げている私は、
実のところ、「好きなもの」すら認識できない。

ハーモニーの幸せ 田口ランディ 角川書店

彼女に対する評価が定まらない。
というか、どう評価していいんだか、よくわからない。
というか、彼女に対して、自分なりの見解を持ちたい、と思って
いた。だからとにかくなんか買って読もうと思いつづけていた。
コンセント以来2冊目。
小説はもういいかな、と言う感じではあったので、エッセイを購
入。
そういえば、彼女に対しては嫉妬なんて感じないよな。
というか、そもそも嫉妬なんてあまりもたない生き方をしている
私なのに何ゆえ、銀色さんにはそれを感じるのであろう?

GINZA特別編集 料理と器のおいしい関係 
マガジンハウス

いかにもマガジンハウスな本だ。
でもこういうレイアウトってけっこう好き。

 

9/24 2002

海辺のカフカ 村上春樹 新潮社

一言でいうならば、円熟。何かに到達したんだなって思った。そ
れはたぶん始まりでもある。『スプートニクの恋人』も『神の子
たちはみな踊る』も私の感じた限りでは、これまでの彼の路線を、
「変えよう」と試みているように思った。新しい事を受け入れる
のが苦手な私は、どうもしっくりこなかった。

でも今回のは、今の自分の力を出し切ることに集中して取り組ん
だ感じがする。今の自分にきちんと向かい合って、そこからすく
すくと生まれてくるものを正直に書いた。とても素直に、とても
意欲的に。それはとても勇気のいることだと思うし、ずっとずっ
と心を一つにして、わき見をしないで、まっすぐに集中しないと
書けないものだと思う。
私は彼のそういう仕事振りがとても好き。

「村上朝日堂」サイトにしても、「シドニー!」にしても、思う。
すごくきちんとした人なんだ。逃げない。やると決めたことを最
後までやりぬく。シドニーで、ただ毎日、日記を書いただけだっ
て思う人もいるかもしれない。でもね、できる?って思うの。書
ける?って。毎日あれだけの量を飽きもせず書きつづけられる?
って。サイトにしても、来る日も来る日もメールを読みつづけ、
返事を書きつづけるんだよ。明らかに悪意のあるメールも届くだ
うし、明らかに冷やかしのメールも届く。でも全部受け取る。
秘書に下読みをさせて、面白そうなものだけ自分で読むってこと
をたぶん彼はしない。もちろん量的な限界はあったと思うけれど、
やると決めたことはやりぬく。そのまっとうさに、とてもとても
惹かれる。

暴力は、存在する。肉体的なものも、精神的なものも、思想的な
ものも、時間的なものも、産業的なものも、文明のひずみから生
まれるものも、自然が与える暴力も、暴力的な雰囲気も、暴力的
な出来事も、暴力的な言葉も、存在する。すべてのことの中に暴
力は存在する。でも、それに負けない方法はある。

ねじまき鳥は、暴力に暴力で対抗していた。激しく抵抗していた。
平和を勝ち取るために暴力を行使した。主人公は暴力と闘ってい
た。でも、ここにはさまざまな闘い方があった。大島さんはフェ
ミニストを、自らを語ることで退散させた。(私もフェミニズム
の持つ暴力性‘女ならばこの気持ちを共有できるでしょう?‘が
大嫌い。)
佐伯さんは、何の前触れもなく恋人を失うという、暴力的な出来
事に対して降伏もしないかわり、闘うこともしなかった。「闘わ
ない」ことが、彼女のレジスタンスだったんじゃないかしら。ナ
カタさんは無垢だったけれど、ホシノちゃんにとっては暴力的な
存在だった。
常に有無を言わせなかったから。だけど、ホシノちゃんは、それ
をすべて受け入れた。受け入れることで、自分を変えた。

いろんな形の暴力がある。そしていろんな形で対抗できる。
そう思った。

田村カフカくんは、実のところ、もっとも印象の薄い登場人物
だった。もうちょっと、大人になったら会おうね。

 

9/1 2002

パリ左岸のピアノ工房 T.E.カーハート 
新潮クレストブックス

体の贈り物 レベッカ・ブラウン マガジンハウス 

リプレイ ケン・グリムウッド 新潮文庫

村上朝日堂の逆襲 村上春樹 朝日新聞社

レキシントンの幽霊 村上春樹 文藝春秋

その後、読んだ本。
どれもよかった。
『パリ左岸・・・』は、ノンフィクションだけど、熱くもなく冷
めてもいない、渇きすぎず、湿っぽくもない独特の筆致がすごく
新鮮で、こういうのが書けるといいよね、と思った。
なんていうんでしょう、「才能」を感じると言うよりも、本人の
努力の跡が、一つ一つの文章に詰まっている感じがあって、だけ
ども決して、重苦しくなくて、その微妙な感じがよかった。
才能を押しつけるでもなく、努力を見せつけるでもなく、適度に
謙虚で、適度に確実で。
ピアノは、そりゃあもう、弾きたくなるわよね。
弾きました。
ピアノの個性を感じる以前に、腕前に問題があることが判明。
もう1度、習おうか、とも思ったけれど、まあそれは一時の気の
迷い。すぐに醒めた。しかし、読後感はいまだにしっとり。

『体の贈り物』。
この本の語り手は、エイズ患者を世話するホームケアワーカーな
んだけど、福祉とか、奉仕とか、労働とか、そういうのを「なん
ぞや」と問い掛けて来たりする物語ではなくて、淡々と起こった
ことを書き連ねてあるだけ。その先にあるものは、それぞれがそ
れぞれの方法で受け止めれば良くて、それは、生とは死とは、福
祉とは、愛情とは、病とは、衰えとは、ということだったりもす
るんだろうけれど、何にも感じなかったとしても、別にこの本は
責めない。だからこそ、浸りきれたんだと思う。
『パリ左岸・・・』もそうなんだけど、そういう読者との距離の
置き方って、すごく居心地のよいものだと思った。

『リプレイ』
人生はやり直せたとしても、その人生を生きている瞬間は、たっ
た1度なのだなあ、と思った。
ああでも、私はこういう形のエンターテイメントを楽しむのに向
いていないんだろうか? なんか「意味」を求めてしまうのよね。
読まれているほう(小説)からすると、うざったい読者かもしれ
ない。深く考えずに、エンジョイしてくれよって。
エンジョイと言うよりは、かなり延々といろんなことを考え込ん
でしまったのだった。

『村上朝日堂の逆襲』
ずーっと仕事が忙しくて、なんだか気が滅入るほどになりつつあ
ったときに読んだら、気が晴れた。あっさりと。
これを書いていた頃の春樹氏は、今の私くらいの年齢だったみた
いで、あ、好きかも。同年代だったらば、好きになったかも。と
思ったり。いや、まあ好きになったと言っても、「まさむねくん、
きゃー」というレベルです。別にファンレターかいたりとか、そ
ういうじゃないんですけど。
でも、もともとすごく年上だと思っている人が、なんか同世代に
思えるのって、ちょっと不思議な気分だった。

『レキシントンの幽霊』
春樹ストまではいかないが、でもまあけっこうディープなファン
であるのに、これは読んだことがなかった。たぶん小説ではこれ
だけだったと思う。
私は、神の子たちはみな踊るもスプートニクの恋人も、うまく受
け入れられなかったんだけど、これを読んでいれば、もう少しス
ムーズに入れたかもと思った。なんとなく、次の段階へ行こうと
している春樹さんが見える。
新作は、どうなんでしょうね。期待は高まるばかりです。
でも、発売後すぐに買って読んだりはしない気がする。
なんとなく、ひっそりと読みたい。
でも、すぐに読まないと、感想が飛び交っちゃうのかしら。
すぐに読んで感想を送れば、例のサイトで、春樹氏が返事をくれ
る可能性もあるんだよな。悩む。ま、書店で本を手にとって、そ
のとき決めましょう。

 

8/3 2002

薬指の標本 小川洋子 新潮社

性描写が生々しい最近の小説よりも、微妙な表現で性を描写する
昔の小説の方が、よりエロティックだ、というような意見がたま
にあると思うんだけど、その点では、小川洋子って、昔風なエロ
ティックさに満ちていると思う。
浴槽の底のタイルの上で抱き合う2人。靴だけをはいたままの彼
女と白衣を身に着けている彼。非日常的で特別で、そして個人的
な行為がそこにある感じが、妙になまめかしい。

小川洋子の描く世界は常に閉ざされている。外に向かって広がっ
ていかない。そこにあるのは、非日常的な日常。
「標本室」という設定が、すごくいいな、と思って。よくわかる
言葉を使った、想像のつくようでつかない世界。
描きようによってはとても豊かな世界を表現できる。完璧に閉じ
られた中で。

そしてその世界の中に完全に閉ざされてしまった彼女。
男による女の完璧な支配というのは、「密やかな結晶」にも「ホ
テルアイリス」にも出てくる。女性は、逃げることも拒否するこ
ともできるのに、自らの意志で支配されることを望む。そしてタ
イピストも、標本室の彼女もそのまま消えていく。

標本を作って欲しいと願う人たちは、それを保存したいと考える
からだけど、自分の一部を保存したいと考えた2人にとって、そ
の行為は、何を意味していたんだろう。

 

8/2 2002

松本人志 愛、松本人志、朝日新聞社

遺書、松本人志、朝日新聞社

松ちゃんは好き。恋に落ちるのは無理だが、かなり応援している
し、注目している。(テレビは見ずに。心のすごくわずかな面積
で。)
優香ちゃんとの東京ディズニーランドデートってのは、いいわよ
ね。なんであんたが、ディズニーランド行くねん、女の言いなり
かい。と突っ込みたかったが、案外、ディズニーランドに連れて
行ったら喜ぶだろう、と松ちゃんが勝手に思っただけで、心優し
い優香ちゃんは、この人、こういうことすれば、私が喜ぶと思っ
ているんだな、と考え、にこにこしていただけなのかもしれない。
どうでもいいが、楽しくやってほしいものです。松ちゃん。

で、本。
松本人志 愛 が、UNO!連載中からかなり好きで、ふとまとめて
読みたい、と思いついて図書館に行ったらあったのだ。
これは語り下ろし。
ついでに遺書も借りた。遺書は、松ちゃんが書いた文章。
読みやすいのは、やはり、松本人志 愛かな。

・・・・・・・・・・・・・・・・

日本人にハングリー精神がなくなったから、格闘技が弱くなった
って言われてますけど、そうは思わないですね。
ハングリー精神がないのが、ハングリー精神にもなるからね。

それより「危機感」でしょ。危機感ない人、いっぱいいますから。

・・・・・・・・・・・・・・・・

知性とか、偏差値とか、ぜんぜん関係のない頭のよさって好き。
生きる力はあまりないのに、頭だけはいい人ってのも好き。
なんとなく、でこぼこした感じの人に、惹かれるんだよな。

 

7/25 2002

なまいき始め 岸本葉子 日之出出版

小谷野敦さんというのが、私はなんとなく好きで、雑誌などに寄
稿していると、いつもわりあいに、ふむふむと思いながら読む。
で、彼の「軟弱者の言い分」というのを読んでいたら、「人はど
のようにして『書き手』になるのか」という項で、岸本葉子さん
のこの本や群ようこさんの「別人群れようこができるまで」を挙
げていた。
岸本葉子さん自身も、群さんのこの本にはすごく励まされたとい
うことを他の本から知り、私も「人はどのようにして書き手にな
るのか」興味が突然わいてきて読んだ。私も励まされたかったと
いうのもある。
で、本を探した。
群さんの本は簡単に見つかったんだけど、岸本さんのこの本はみ
つからず。図書館でリクエストしてようやく手にした。

確かにこの二つは同じことを「テーマ」にしてる。
考えてみると、二人とも独身で、エッセイストで、手堅く手広く
仕事をしていて、似ているとも言えるわよね。「格」は群さんの
ほうが上かもしれないけど。
でも私は、断然こちらの本に励まされたなあ。
なんか、本当にただ「書くことが好き」だけでここまで来たのだ
なあということがよくわかった。

1冊目は原稿を書ききった時点で、出版社へ持ち込み。何ヶ月も
待たされたあげくその出版社からは出してもらえず、そこの編集
者に紹介された別の出版社から出た。

2冊目は、恐らくこの「なまいき始め」。1冊目と2冊目の間は
5年くらい開いている。私は、彼女がたどってきた道のりは、確
かに大変だったよね、と思った。(群さんのは、実のところあま
り「苦労」とは思えなかった。文章の違いか、体験の違いかはわ
からないけれど。)
人がせっかく書いた原稿をいとも簡単に預かり、返事をしない編
集者。あなたの特集を組みましょう、と語って、幼い頃の写真ま
で預かって、その写真ごといなくなった編集者。アドバイスだけ
はねちねちとしながらも、まったく具体的な話には結び付けない
編集者。
そんな編集者に私は会ったことがないけれど、ああ、いるんだろ
うなあ、とは思った。
運命的な出会いもなく、幸運の女神がおいしい話を持ってきてく
れるでもなく、でも結局岸本さんはあきらめなかった。
そして、今でも書きつづけている。
「あきらめない」能力と「書きつづける」能力が一番必要なんだ
ね。

なんでもそうだよな。
たまにいるもの。
「勉強しさえすればできるのに、やらないんだよね」とか言われ
てニコニコ嬉しそうにしている人。
じゃあ、笑ってないでやれよ。
「試合に出さえすれば勝てるのに、怪我ばかりして」と説教され
たら、悪いのは全部怪我だって、怪我を恨む人。
わかんないのかな。結果をださなきゃだめなんだよ、何事も。
自分の人生は自分で背負わなきゃ。
言い訳なんかしないで、自分が動かなきゃだめよね。
そういう意味では本当に、岸本さんが、きちんと「書きたい」思
いを形にして、自分で動いていたことは立派だなあと思う。

小谷野さんも岸本さんも東大卒なんだけど、小谷野さんに言わせ
ると岸本さんの学科はとても頭がいいらしい。小谷野さん絶賛。
(一般人にはほとんど理解できない細かい差なんだけども。)
でも、文章は、理性とか知性とか、そういうのがにじみ出るよう
な種類ではなくて女の子文体。
気になったのは、とにかく助詞を省く点。
趣味の問題だし、そりゃまあある種の「読みやすさ」はあるのか
もしれないけれど、私はこれにかんしては、好きじゃない。
例えばこんな感じ。

・・・
私、結構外ではなまいきなこと言うことあるくせに、内ヅラがい
いって言うか、親にはそういう言い方したくない、みたいなとこ
ある。

私だってずい分ほめられたもんじゃないことばっかしてるけど、
私、たとえば、今朝ラジオでなんかかんかしゃべって、それを聞
いてた人いたかもしれないみんなの前に立って研修してるの、恥
ずかしいとは思わないよ。
・・・

最近の岸本さんの文章を読んではいないけれど、もっと読みたい、
と思う種類の文章ではないかな。
(今はだいぶ変わったかもしれないけど。)

 

7/24 2002

停電の夜に ジュンパ・ラヒリ 小川高義訳 
新潮クレストブックス

今日、6冊も本を買うきっかけになったのはこの本を読み終えた
から。なかなかいい本に出会えたな、と思ったら、新しい出会い
に期待する気持ちが高まって、書店に足が向いてしまった。

これを買ったのはいつだろ? すごく昔だと思う。
クレストブックスが出始めた頃、新潮社が「来たるべき作家たち」
翌年に「海外作家の文章読本」というムックを出した。
で、当時私は、翻訳ものと言うと古典(厳密な意味ではなくて)
的なのしか読んだことがなかったから、へーっととても興味を持
った。で、あれこれ買って読んでいた。んだけども、なんとなく
ぴんとくるものはこれまでなかった。

でもよかった、これは。好き。
アメリカでは短編小説って、評価が高いように思う。
アメリカ事情に詳しくないくせに、なんだけど。
でもこの本は、なんかそういう土壌を感じたなあ。

作者は女性なんだけど、視点がものすごく冷めていて、例えば、
江國さんの、ばななちゃんの、詠美さんの、森瑤子さんの小説を
読むと彼女たちの体温を感じるんだけど、これはその体温のなさ
が男性的だなあ、と思った。というよりはアメリカ的なのかしら。
その点ではカーヴァーの感じと似ている気がした。

好きだったのは、夫婦もの。
停電の夜に
神の恵みの家
3度目の最後の大陸

先の二つは、愛情にあふれていない夫婦の倦怠感がすごくよく出
ていた。お互いに対する関心と無関心。愛情と嫌悪。

あと、「セン婦人の家」もすき。
「病気の通訳」もいい。
私は短編って、無理して起承転結を作ってないものが好き。
そういう意味では「セン婦人の家」が面白かったかな。

セン婦人の寄る辺なさ。
それは、私もN.Y.で感じたものではある。
夫を通じて社会とつながっているしかない状況。
アメリカ人は親切だし、開放的ではあるけれど、人種や宗教を超
えてみんなが仲良くしているかといえば、決してそんなことはな
い。差別はなくとも区別はある。その境界を超えての付き合いは、
いつまでたっても「他人行儀」的な親切さ。
その一線は超えられそうでなかなか超えられないのよね。
その点では、白人のお母さんの態度の描き方がとても絶妙だった。

 

7/24 2002

当分本を買わないと決心していた。
あまりに読んでいない本が増えすぎたから。
とりあえず、家にある本を読みましょうよ、と思って。
でも、今日、久々に急ぎ仕事のない一日だったので、ふらふらふ
らっと本屋に立ち寄り、そろそろと本に手を触れたらば、あーら
大変。6冊も買ってしまいました。ちぇ。
なんにつけ、決心するのが好きなんだが、それって簡単にとりき
めを破るから、好きでいられるんだと思う。
自分の決心に頑固に従う人間だったら、こんなにも「決心」が好
きなわけないわよ。

文藝 別冊 ボブ・ディラン

浅井健一くんのインタビューが載っていると言う本を探して立ち
読みするはずが気づけばこれを買っていた。
ボブ・ディランは、なんとなく好きなのだ。

小説現代 8月号 講談社

これもまた立ち読みをするつもりで手に取ったのにあれよあれよ
と買っていた。立ち読みしようと思ったのは山本文緒さんと安野
モヨコさんの対談だけど、買おうと思ったのは「なにはともあれ
国語」というのが面白そうだったから。清水義範さんと西原理恵
子さん。西原はけっこうすきなのだ。UNOの頃から。

文芸ポスト 夏号 小学館

前から読もうかな〜と思いつつも手にしなかったんだけど、一連
の流れの中で、手にしてしまってはもういけません。
読みたくなったのは「吉田拓郎という生き方」。
前に小室哲哉の対談集を読んだとき、吉田拓郎ってエラそうな人
だなあと思ったの。いい意味で。松山千春のように説教臭くない
し、自分の情けない部分をさらけ出しもするんだけど、なんかエ
ラそうなの。ちょっといい感じに。
HEY! HEY! HEY! に出たとき、全員が揃うオープ
ニングにきちんと顔を出したら、松ちゃんが「拓郎さんのような
ビッグネームがオープニングにまで顔を出してくれるんですね」
みたいなことを言ったんだけど、べつに人のよさそうな笑顔を浮
かべるでもなく、憮然とするでもなく淡々と受け止めている様子
もなんか良かったのよ。

で、買った。
ロングインタビューも面白そうだし、中島らもさんのも早く読み
たい。

ちなみに別の回で、矢沢の栄ちゃんは、オープニングには出なか
った。だけどもそれは、番組側が遠慮して「出てくれ」と言わな
かったんじゃないだろうか。彼は「俺様がそんなのに出れるか」
という人ではない気がする。

Spoon 8月号

創刊された頃から、なんとなく気になって立ち読みしたり買った
りはしていた。まあなんとなく全体のゆるーいトーンが好きだっ
たりして。でも今日買ったのは、これです。
「TAKUYA ジュディマリ解散後初仕事!」
ジュディマリファン系のサイトに行って、宣伝書き込みしてこよ
うかと思うくらいに、ファンとしては気になっていたことですよ。
うん。立ち読みで間に合うくらいの量ではあったけど、敬意を表
して購入。
タクちゃん、元気そうでよかった。

スローグッドバイ 石田衣良 集英社

名前だけは知っていたんだけど、よくは知らなかった。で、ちら
ちらっと略歴を見て、あら? 男の人? 年上? ぽ。
ってことで買ってしまった。いや、ぜんぜん深い意味はないんだ
けど。

おいしい水 盛田隆二 光文社

彼の「湾岸ラプソディ」がけっこうよかったのよね。でもあんま
り売れなかったみたいでとても気の毒に思っていたのさ。
この人は、略歴によると、31歳のときに早稲田文学新人賞に入選
し、42歳の時に、勤めていた会社を辞めて、作家専業になったそ
う。現在48歳。今後も頑張ってください。

 

7/11 2002

江國香織詩集 すみれの花の砂糖づけ 理論社 

もちろん、発売されたとき、店頭で手にして見た。
しかし、あまりに甘すぎて買う気になれなかった。さすがの私で
も。でもこの前、MOEを立ち読みしていたら、江國さんの詩が
いくつか書いてあって、ああ、けっこういいかもね、と思い、今
日買ってきた。

うん、まあいいよね、と思って。
甘いけど。
私はつねづね、江國さんとばななちゃんの違いをきちんと自分の
言葉で説明したいと考えていて(それはつまり私にとっての違い
であって、文学的な違いだとか、表現方法の違いだとか、根底に
あるものの違いだとか、そういうことじゃない)、で、なんとな
くああそういうことかと思える部分に行き当たった。
江國さんの魅力は、個人的だということだ。
他人と自分にきちんと線を引いている。びしっと。
ばななちゃんは、もっとゆるい。自分と他人の区別なんてあまり
気にしていない。他人の一部分を受け入れたり、自分の一部分を
他人にゆだねたり。それをとても自然にやってのける。依存では
なく、自分をきちんと保ちつつ。
それはつまり、人類は皆、家族というような、そういう感じ。
そんなことをちらちらと思いながら読んだ。
二人の違いを説明したいと、どうして考えるのか自分でもよくわ
からないんだけど、まあ要するに気になる作家ってことなんでし
ょう。これからも二人の違いはあれこれ思いをめぐらせていくこ
とでしょうけれども、じゃあ共通点って何よ?とも思った。

「あたし」という言葉。
これはとても難しいと思います。
YUKIちゃんはその詩で「あたし」という言葉を使います。
それはまあ、合格点に達しています。わたし的に。
だけども、うまくやらないととんでもない失敗をやらかすと思う。
私は、使わない。うまく使えないから。
あたし、を使うことで、あたしに使われてしまうことが多い。
あたし、以上のインパクトを出せないのよ。普通。
で、江國さん。
まあ合格。わたし的にね。
えらく、えらそうだけどさ。

詩の中で、江國さんが恋をしているのは、夫だけではない。
詩のトーンが同じ恋心でも、微妙に違う。
とても面白かった。

・・・

あなたはそれを 知っていたのではなかったの?
たったひとりで生まれてきたことを
わけもわからず それでも生きてきたことを
ほめてくれたのではなかったの?

(あの日母は台所にいて)

 

7/1 2002

群ようこ 別人「群ようこ」ができるまで 文春文庫 

群ようこの本を読んだのは、これが初めて。
好きとか嫌いとか言う前に、ほとんど興味がなかったから。
でも、前に小谷野敦さんが、岸本葉子さんを絶賛していて、そんな
いいか?と思いつつ、彼女の本を読んだら、彼女がこの「別人・・
・」を絶賛。ううむ、と巡り巡って、読むことに。

どこかで誰かが、群ようこと林真理子の違いを述べていた。二人と
も歳が近く、出身大学も同じ(日大芸術学部)だが、世の中に対す
るスタンスがかなり違っているらしい。林真理子のような向上心、
上昇志向を群ようこはまったく見せない。
売れることへの関心を見せないし、読者にも媚びない。淡々と書き
つづけ、着実に売れている。

岸本葉子さんは、この本の良さをウルトラCがないこと、と書いて
いた。「毎日ぼんやりと過ごしていたんですけど、ある日、女優に
ならないかって声をかけられたんです」なんてのは、参考にならな
い、と。確かに確かに。
群さんは、本当にただ目の前の仕事をこつこつとこなし、はしゃぐ
でもがむしゃらになるでもなく、仕事を続けてこられた。その点か
ら言えば、広告代理店のOLとして苦労を重ねていたときと、今と
大した違いはないんじゃないだろうか。もちろんその頃の苦労は、
エネルギーの浪費的な部分があったろうし、今は好きなことを仕事
にしている充実感があるだろうけれど。

でも、私は、ウルトラCもなく、強い上昇志向もなかった群さんが
ここまでの作家になったことのほうが、「うそだ」というか、共感
できない、というか、刺激が足りないというか。
単調な勤め人生活にも活路はある、ということが学べるかどうかは
個人の資質と好みによるな。
わたしは「シンデレラ物語」の方が好きなのかもしれない。
現実逃避型とも言う。

しかし、この本売れている。すでに20刷。
世の中、勇気付けられたい人が多いのかな。

 

6/30 2002

アニー・エルノー 場所 早川書房 

よくわかんない。「フランス」って感じ。わからなさが。
ページ数の割りには文字数は少なくて、さくっと読めるかと思いき
や、けっこう手間取った。なぜなら、すぐに眠くなるから。

自分自身の力で、両親の属していた階級からインテリ階級へと移動
した彼女。だけど、そのどちらの階級についても、特別な感情は見
せない。批判もなければ愛着もない。その実感の乏しさが、ウリな
のかな。「クールな文体」と意識するにはやはり原書で読んだほう
がいいんでしょう。

 

6/23 2002

小川洋子 密やかな結晶 講談社文庫

こういう小説も書く人だったのか、と思った。
「物語り」を丁寧に書いている印象。面白いと思う。
林真理子の小説よりも、「上級」な感じがしたし、独自の世界だと
も思う。
だけども、なぜか「欠点」が目に付いてしまう。どういうことなん
でしょう。
文体は、独自だと思う。静けさの中に濃密さを漂わせた独特な雰囲
気があると思う。だけど、「密やか」とか「冷ややか」とか、同じ
言葉が何度も出てくるのがなんとも気になる。
あと、やっぱり私は、村上春樹を感じてしまう。もちろん私が春樹
氏の小説が好きだということと深く関係しているとは思うのだけど、
この「密やかな結晶」や「刺繍する少女」の中の「森の奥で燃える
もの」は、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を連
想してしまって、なんというか、彼女独特の世界に浸れない。

で、私がもっとも物足りなく思ったのは、記憶を失わない事実や記
憶を失わない人の描き方。お母さんが、別荘に置いておいた、消滅
した物たち。おじいさんと主人公はそれを取りにいくけれども、そ
の必要性がまったく感じられない。R氏が、おじいさんにオルゴール
を渡す、毎日聴いてくださいという、その行為の必然性が、きちん
と描けていない。中途半端。それが結局R氏の存在そのものの物足り
なさにつながってしまう。
消滅をなんの疑いもなく受け止める人と、それに抵抗する人を対比
させて、「消滅」を問うことがこの物語の核となるのだと思うけれ
ど、私にとってはそこできちんと納得のいく物語を提示してもらえ
なかったような不満足感が残った。

物語をきちんと一分の隙もなく破綻せずに成立させるのは、やはり
難しいのね。
結局は「うまい」小説しか読んだことがないから(つまり出版ベー
スに乗ったものしか読んだことがないから)、そうやって欠点が目
に付いてしまうんだとは思うんだけど。

 

6/8 2002

小川洋子 妊娠カレンダー 文春文庫

彼女の小説は、私の苦手な種類のもので、扱っているテーマに親し
みがわかない。でも「小説」として、彼女はすごくいいものを書く
よね、という気はしていて、このところむくむくと興味が膨らんで
きた。いろいろおすすめも教えてもらったし。

文章は好きだと思う。なめらかで。
「む? これは村上春樹的表現だわ」と思える個所がいくつか。
でもまあ、影響を受けているとか、そういう種類のものではなく、
単に私が春樹ファンだということで、敏感に反応してしまうだけな
のでしょう。

私が一番、感動したのはあとがき。
「文庫版のためのあとがき」と題された文章の中に、

だから『妊娠カレンダー』は自分の経験を書いた作品か? と質問
されるだび、がっくりする。わたしの妊娠体験なんて、スーパーで
買ってきた新鮮なたまねぎそのもので、何の書かれるべき要素も含
んでいない。その玉ねぎが床下収納庫で人知れず猫の死骸になって
ゆくところに、初めて小説の真実が存在してくると、わたしは思う。

というのがあって、なるほど、とおもった。
「猫の死骸」というのは、彼女が久しぶりに開けた床下収納庫で、
腐った玉ねぎが、猫の死骸に見えてどうしようかと途方にくれたと
いう話の中から出てきた言葉。

「小説の真実」。
私は、「小説を書く」というのがどういうことなのか、うまく理解
できない面があったのだけれど、これを読んで、おぼろげながらそ
の行動の輪郭をつかむことができた。と、同時に小川洋子さんの書
きたいことについても理解できる気がした。

で、「妊娠カレンダー」。
これまでの評判では、胎児に良い影響を与えない物質の入ったジャ
ムを出産を控えた姉に食べさせる、というその行為だけを取り上げ
ているものが多くて、読む気が失せていたんだけど、それはこの小
説の核ではあるけれど、一部だな、と思った。
テーマはやはり題名通り、「妊娠カレンダー」だ。
妊娠をとりまく状況が淡々と時の流れに沿って記述されている。

妊娠・出産という経験が、私に与えてくれたのは「選べない」とい
う事実だったように思う。
もちろん世の中には、「4月生まれは保育園に入りやすいから、そ
の時期に産みたい」と計画して妊娠する人もいるみたいだけれど、
だとしても、それが計画通りに行くかどうかは、やはり選べないと
思う。早産の可能性もあるし、妊娠そのものもうまくいかないこと
もある。妊娠期間中、自分の意図とはまったく無関係に、胎児は自
分の意志にしたがってどんどん大きくなる。
3ヶ月で産みたいと思っても許してくれないし、最後の1週間で、
がががと成長してよ、それまでは小さくていいよ、なんてわがまま
も当然聞いてくれない。「何ばかな事を」と思われそうだけど、こ
れはこれでけっこうショックだった。
母性を「受け入れること」とするのはこういう経験のなかで培われ
るのかもしれない。女というDNAに組み込まれてしまうくらい、
ある種、理不尽な体験なのだ、妊娠、出産って。

私は、この姉は、グレープフルーツのジャムがからだに悪いという
ことに気づいていたと思う。それが確信を持っていたのか、漠然と
かはわからないけれど、彼女は自分の中にある胎児への殺意を、妹
のその行為を受け入れることで、消極的ではあるけれど実行してい
たのではないかと思う。
そして、妹の悪意も、胎児という未知の存在に対する恐怖から来た
のではないかしら。姉に対する憎悪は、私は感じなかった。

胎児に対する殺意。
日に日に大きくなっていくおなかを眺めていると、自然と愛情がわ
いてくる、ものではないと思う。
自分の意志に反してやってくる猛烈なつわり。その後一転して彼女
を支配する激しい食欲。

だけども、それを胎児への殺意へと切り替えてしまうことに対して
は、やはり抵抗がある。母親が子どもを殺す事件の報道を見ている
と、「母性本能はどうしたんでしょうか?」なんてのんきなコメン
トをする人がいる一方で、「どんな母親にも起こりうる事態」とコ
メントする人もいる。
母性本能、なんてよくわからない。私にとってはどちらかというと
母性は理性だ。確かに、我が子を邪魔に思うことはある。だけど、
そこで殺意をおぼえないことが、私の人間としての核だ。
だからそんな安易に「どんな母親にも起こりうる」とは言わないで
欲しい。

小川洋子さんは、胎児が自分の生活を脅かし、自分の人生を支配し
かねない存在になるかもしれない可能性を描き、そこから芽生える
悪意を描く。それは、通常、私たちが思い描くルートからは明らか
にはずれたもので、それをテーマにすることが、彼女が小説を書く
意味なんだと思った。

同じ状況下にいても、姉の夫はただおろおろするだけで、胎児とい
うものへの想像力がまったく働いていない。男の人にとってはやは
り、コウノトリがどこからか運んでくるもの、なんだろうなあ。

他に「ドミトリィ」と「夕暮れの給食室と雨のプール」を収録。
「夕暮れの給食室と雨のプール」はかなり好きな部類だった。
給食の準備を続ける給食室の描写は、小川洋子さんならではの緻密
さ。そして夕暮れのそこに漂うしずけさ、物寂しさ。
で、ここで雨のプールをくっつけるところに「小説の真実が存在し
てくる」。小川さんの言葉を借りれば。

 

5/28 2002

石坂晴海 掟やぶりの結婚道 講談社文庫

斎藤綾子 ヴァージンビューティ 新潮社文庫

今日は、移動時間が長かったので、さくさくと2冊読んだ。
石坂さんの本は友人から勧められて少し前に買っていた。
斎藤さんの本は、ちょっと毒々しい本も読んでみようと思い立ち、ふ
らっと本屋に立ち寄って、山本文緒さんの本を探したがなく、じゃあ
これにするか、と買った。

好きな本の条件はいろいろあるけれど、やっぱりまずは文章だなあ、
と思った。2冊とも、すごく雑な感じがする。それは別に書くのに要
した時間が短いという意味ではなくて、その人の文体がそうだという
だけなんだけど。
林真理子も小説は、雑と言ってしまうと申し訳ない気もするけれど、
ちょっとそんなイメージがある。
雑・・・ううむ、ちょっと意味が違うかな。まろやかでない、という
か。

で、この2冊。同じ日に読むにふさわしく、内容が連動していました
ね。いや、同じ日に読んだから、連動させてしまったのかな。
浮気。
確かに、奥さんにそんなに連日連夜色仕掛けで迫られたら男の人はつ
らいのかもしれない。家庭に情熱は持ち込めない。
それはわかる。
浮かれた気分も発生しない。それもそうだろうな。
だけども男は家庭に戻る。妻に会いたいのではなく、「自分の家」に
帰りたいらしい。

この2冊を読んだ感想は「ふむふむ」だ。

 

5/27 2002

吉本ばなな 虹 幻冬舎

うれしかった。
すきなタイプの小説だったから。
ずいぶんと前に、友達と吉本ばななと江國香織の違いって?と話をし
たところ、彼女は「江國香織は考えて小説書いている気がするけど、
吉本ばななはもっと自然に書いている感じ」というようなことを言っ
ていた。どちらがいいとか悪いとかじゃなく、なんとなくわかる気は
した。

旅ものシリーズは、「不倫と南米」から読み始めてただけで、「SLY」
も「マリカ」も読んでいない。
なんとなく「うちわのり」が感じられて、どうも手を出す気になれな
かった。「不倫と南米」も当時、なんとなく小説に飢えていたから手
を出したものの、やっぱりそんなには好きじゃなかった。

でもこれはよかった。
私の好きなムーンライトシャドウ、ハネムーンにつながるものがあっ
たなあ。後半がぐぐっと読ませてくれた。

主人公と「ご主人様」が恋愛をするとしたら、それは世間が言うとこ
ろの不倫関係になる。だけど、ばななちゃんの小説のいいところ。大
地にしっかりと根を張っているような文章。が、二人をきっちりとい
い関係に描いていてとても好きだった。

・・・引用・・・

私はご主人様があの奥様を選んだ理由をなんとなく知った気がした。
きっと、彼女は彼のお母さんに似ていたのだろうと思う。
それはお金のことよりもずっと根深い問題で、たとえ今になって全て
のほころびが大きな破綻に結びつこうとしているとしても、そこには
長い歴史があった。その重みを思うと、気が遠くなりそうになった。
・・・

ここで私はなんだかとっても愕然とした。
ああ、そうなんだって。
思うに、男の人は、自分の母親と似た人をすきになることが多い。
だから、自分の母親といい関係を築けていなかった場合、母親と似た
人を好きになることはとてもつらい。母親に満たされなかった思いを
好きになった女性にぶつけてしまう。どういうふうに愛情をゆだねれ
ばいいのかわからないんだと思う。

恋愛と結婚は違う。延長である場合が多いとは思うけれど、それは恋
愛とはまったく違うステージに進むことを意味する。
いくら、今現在憎しみあっている二人だったとしても、その関係が夫
婦なのだとしたら、それはやはりとても重みがある。一つの家で一緒
に暮らしてきたという重み。
結婚している人と恋愛をするなら、その重みをすべて背負う覚悟がな
いとだめよ、なんてことは思わない。それは人によりけりだし。
だけど、私は不倫はいけないとは思わないけれど、それだけ「きっち
りとした」恋愛がいいなと思う。くさいものにふたをしたり、見てみ
ぬ振りをしたりするのはいや。

江國さんの「東京タワー」や「泳ぐのに安全でも適切でもありません」
「ウエハースの椅子」は、風に吹かれてさらさらとゆれているすすき
のような恋愛だった。弱い、弱いけど強い、ずるい、ずるいけど純粋。
そんな不安定の中の安定がすごく魅力的だった。

ばななちゃんのは、どこまでもまっすぐ。きちんと根を張った関係に
しよう、という意志をきちんとしっかり描いてる。

二人とも好きな作家だけど、私がこれから恋愛するとしたら、ばなな
型だな。(と完全にはまりこんでいるのだった。)

・・・引用

私はその時、ドラえもんやタイムマシンやいつもいっしょにいてくれ
るロボットや・・・そういう物語を考えた人々の深い孤独さえ想像し
た。もうどうやってもつながらない電話。どうしても聞けない懐かし
い声。それを解決してくれる道具やいつも一緒にいてくれて永遠に死
なない友だちを考えずにはいられない、人間の普遍的な悲しみについ
て、しみじみと考えた。

・・・

なんだかねえ。しみじみと私も考えました。

 

5/20 2002

河合隼雄 吉本ばなな なるほどの対話 NHK出版

GW中に読んだ。その頃とってもウツウツとしていたんだけど、これ読ん
でちょっと元気になった。表紙の写真のばななちゃんを見て「ストレス
太り?」って思った。なんとなく健康的じゃない、ぽっちゃり加減だと
思った。

お父さん(吉本隆明さん)の話。

「書いてるんだから黙っていてくれ」とかそういうことは一回も言わな
かった。(中略)子どもだから、書いている部屋にガラッと入っていっ
て、「お腹がすいた」とか「百円ちょうだい」と言っても、「お父さん
はいま、おまえたちを養うために仕事しているんだ」などとは一度も言
われなかった。

というのに感動した。書くことと生きること。生きることと生活するこ
と。書くことに対する構え方が、すごくいい。文章で食えなくなったら
そのときはそのときだ。だけど、僕の文章をもし誰も買ってくれなくな
ったとしても、僕は書くよ。だってそれは生活だから。書くことは、僕
の生活そのものだから。
そんな姿勢が感じられた。

ああでもこの本は、別にお父さんの話ではないです。
一番、ほぉっと思ったのは、偶然について。
治療していて「偶然に」うまくいく事例がたくさんあるけれど、偶然に
うまくいった、だと周りは評価しない。そこに必然があるはずだと。必
然、つまりテクニック。理論に結びつくような、マニュアルにできるよ
うな技術。だけども、偶然を呼び起こす力こそが、真の技術だと。それ
は小説を書くことも同様だと。まあそんな事が書いてあったのですが、
これにはかなり納得した。

ちょっと元気をもらったのは、仕事の仕方。

ぼくは、生き方自体がそうです。自分の意志で、ほとんど生きていない
(笑)。来たものに乗っては、ふわふわやってる。

私の落ち込む理由はいつもひとつ。
自分で自分の人生を切り開いていないっていう無力感にさいなまれるこ
と。もっと前に進めよ。だめだよ怖いよ。そういう葛藤。
だけども、来たものに乗っかってくだけで生き続ける人もいるのだなあ
と。ええこっちゃなあと。私も前に占いで「自己アピールには欠けるけ
ど、ひきたてられ運の強い人」とあったよなあと。
人それぞれに、それぞれの道があるのだわ、きっと。

ちょっと気になったのは言葉。

発声は確かに「すいません」かもしれないんだけど、やっぱり「すみま
せん」って書いて欲しいなあ。関西弁では「すんません」で、これはい
いんだけど。って言うとやっぱり矛盾なんだろうか。
あと、ばななちゃんが作家に対してぜんぶ「先生」をつけていた事。
春樹先生、龍先生、詠美先生。
ばななちゃんは例えば、私がこうして日記を書くときにも「ばなな先
生」って書いて欲しいのかなあ? 私はどんな人でもけっこう「さん」
づけで呼ぶ。外資系の会社に勤めていたことがあって、そこでは全部そ
うだった。社長も新入社員も「さん」づけ。それを引きずっているだけ
なんだけど。いちいち相手の役職を考えなくてすむ分、距離が縮まる気
がして好きだったのよね。
「春樹先生」「龍先生」「詠美先生」。
なんかいやだった。敬意は別のところで払えばいいと思う。

小室哲哉 With t 音楽対論 vol.5 幻冬舎

もちろんこの対談は、彼が売れに売れていた時期のもの。
「TK MUSIC CLAMP」というテレビ番組で行われた対談を収録していま
す。おもしろい。今読むからおもしろい部分もきっとある。

松山千春はあつく説教する。「ただの旬で終わるな」って。そこから
「尊敬」に変わらなきゃって。自信と過信の違いも、吉田美和を例に出
して説明した。すごい、この時期に彼女をネタにこんなことが言えたな
んて。「LOVE LOVE LOVE」までは自信、「7月7日、晴れ」は過信な
んだそうだ。ボーカリストとして。私は、音楽的にはわからないけれど
も、自信と過信の違いはなんとなくわかる気がした。観客を酔わせても
いいけど、自分は酔っちゃだめだってことね。

ウルフルズは確か、ここでの対談を経て「ガッツだぜ」を作ったんじゃ
なかったかなあ。「小室さんに言われたとおりにしたら売れた!」って
松本さんが言ってた。
他に、カヒミ・カリィ、真心ブラザーズ、ジュディマリなど。

いま聞きたい・いま話したい 
瀬戸内寂聴  聞き手:山田詠美 中央公論新社

詠美さんは、聞き上手だと思う。相手が喜ぶような相槌を打つのがうま
い。瀬戸内さんの誘いで、この対談が始まったそう。だから話の中心は
瀬戸内さん。
石原慎太郎の「弟」でも感じたんだけど、やはり「世の中に出る」とい
うのは大きな出来事なんだろうか。二人にとってはそれはつまり「小説
を書く」ということ。書いて世の中から認められるということ。
私は「世の中に出る」という感覚がわからないから、どうも「うさんく
さく」感じる。例えば、先に挙げたばななちゃんとか、小室哲哉さんと
かはもっと、冷めているよね。世の中に対して。詠美さんや寂聴さんは
どうもそのあたりが自意識過剰な気がする。ずうっと「一番目立ってい
たい」感覚というか。寂聴さんは出家なさっていてなお、この「業」
だ。ある意味すごい。出家なさっていなかったら、サッチーとバリバリ
けんかしてたかもしれない(それも見てみたかった)。

ってことで、対談もの3冊。

 

5/16 2002

穂村弘「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」小学館

面白かった。一気に読んだ。カフェでお茶しながら一気に。

 ライヴっていうのは「ゆめじゃないよ」って夢を見る場所なんですね

 菜のはなのお花畑にうつ伏せに「わたし、あくま」と悪魔は云った

私も、やや手紙魔なところがあって、で、けっこう昔は書いていた。
まず便箋と封筒を選んで、手紙をせっせと書いて、封をして、シール貼っ
て、切手貼って、ポストにぽいっ。
という一連の動作がものすごく好きなのだ。

まみちゃんは591通もの手紙を穂村さんに出して、返事は10通くらい。
いいなあ。それって。
私もそういう手紙の出し方がしたいんだよなあ。でもなんか、普通の人と
の文通は、返事がこないと、出しちゃいけないかな、って思ってしまうで
しょう。大人になるのってつらいわ。っていうか大人になると、そういう
「単にこのこは手紙を書くのが好きな人なんだ」って相手が思ってくれな
くなるのよね。そこがつらいところだよ。
「あ、ごめんね、返事だそうとは思ってたんだけど」
なんて言い訳されちゃうと、ああ、返事欲しくて書いてるわけじゃないの
にって思う。
ペンパル募集。受け取るだけでいいです。

H JUNE ロッキンオン

たまに買う雑誌なんだけど、今回はもちろんYUKIちゃん目当て。
だけどもそれをおいといて、CLASSIFIED のページに圧倒されてしまい
ました。すごいね。世の中。

詩や歌詞を読むのが大好きです。「なれど骨はききたかった。絶大な愛情
のひびきをききたかった」という竹内浩三、寺山修司、(中略)くるり、
ピロウズ、AJICOの詩が大好きです。愛ってなんだろうって考えていたい。
あなたはどう思いますか。お手紙待っています。25歳 女

こういう語りかけメッセージが79件も。中には、一緒にカフェをやりませ
んか、なんてのもあったりなどして、ああ世の中って面白いわ。としみじ
みしてしまいました。いろんな人の人生が見える。

愛をください 辻仁成 マガジンハウス

これは、ある人の書評で、すごくポイントが高くてなななな、なんぞや?
と思って、ずいぶん前に買っていたのだが、読む暇がなく、ようやく手に
したのが、3日前でしょうか。これも一晩で読みました。
涙ぼろぼろ。
36歳にしてこんなに泣かせてもらえるなんて、うれしい。
テーマとか、メッセージとか、設定とか、そういうのどうでもいいの。
純粋に「読んでいる時間」が充実した濃密な時間だった。
幸せだった。

ということで、ここ最近読んだものの中から、手紙関係3つ。

 

5/13 2002

文藝別冊 岡崎京子 河出書房新社

私は岡崎京子ってぜんぜん知らなかった。
「Pink」くらいはうわさで聞いたことがあったけど、興味がなかった。
私が買った「好き好き大嫌い」が実家にあるけれど、あれはいつ買ったん
だろう?
「リバーズ・エッジ」に感動したのはつい最近のこと。
なんで今さら興味持つ?と思いつつ、「岡崎京子」本に手を出している。

吉本ばななちゃんが「リバーズ・エッジ」は好きじゃないと語っていた。

「こういうことを真顔でやるようになっちゃうと、たとえがちょっとあれ
だけど、たとえば自分の家の中で空気清浄機とか使ってる人たちが、お店
で「たばこ吸うのやめなさい!」とか言うようになるのとすごい似てるよ
うな、ちょっと切羽詰った感じっていうのかな、最後の切り札みたいなの
を真顔で出しちゃっているんじゃないかな、表現の仕方に余裕がないって
いうか。」

言いたいことはわかる気がする。
でも、そういえるばななちゃんは、余裕を持って表現しているということ
なんだな、とも思った。
ぎりぎりの作品だから、面白い、というのはあると思う。
このあとにもう何も描けなくなるかもしれない、って作品を出さざるをえ
ない表現者って、いっぱいいると思う。
だれもが、表現「しつづけること」を目指しているわけじゃないから。

ばななちゃんは、
「ちょっと繊細というか感受性が強くて、誰にもわかってもらえないんじ
ゃないかなって思っているような人」に向かって書いているんだそうだ。
ばななちゃんの本が売れるってことは、私みたいな人が世間には大勢いる
ってことでもあるんだなあ。
陳腐だ。

岡崎さんが事故にあわれたとき、ばななちゃんは小沢健二くんと一緒にお
見舞いに行ったそう。
なんかそれがすごくリアルで、ああ事故が起こったのか、と思った。

ちなみに宮台真司も「リバーズ・エッジ」はあまり好きじゃないらしい。

 

4/24 2002

ku:nel anan増刊「クウネル」 マガジンハウス

だいぶ前に買って読んだんだけど。
感想が書けなかった。

一番最初に出てきた「高橋みどりさんの部屋」に圧倒された。
この本は「ストーリーのあるモノと暮らし」というコンセプトらしいのだ
けれど、私はその部屋の持つストーリーの厳しさに白旗を上げた。
私にはできない。青山での一人暮しなんて。それを瞬時に理解した。
こんなにも潔く生活できなきゃならないんだなんて。
高橋みどりさんは、とても有名な食関係のスタイリストさん。年収1000万
は、あるでしょう。わかんないけど。
青山での一人暮し。
その部屋から私は心地よさじゃなく、フリーランスの厳しさとか、女一人
の孤独とか、きちんと生きることの妥協のなさとか、を感じた。
もちろん、高橋さんを「不幸」だと感じたわけじゃない。
そんなことはない。全然ない。
彼女は楽しそうだし、私も「だけど本当はさびしいんじゃないの?」なん
て、ことが言いたいわけでは決してない。
でもそれは、私が思うよりもずっとずっと厳しいものなのだと思った。
それは、自由の厳しさというよりも、生活の厳しさで、私は人と一緒に暮
らすことでそれを一人で背負わずにすませているんだと思う。
私はその生活の厳しさと真正面から対峙する潔さを、まだ持ち合わせてい
ないと思った。

川上弘美さんの短編「菊ちゃんのおむすび」。
よかったよ。この短さ。この微妙さ。
なんで「センセイの鞄」をこういう終わり方にしてくれなかったんだろう
と思った。

 

4/21 2002

江國香織 とっておき作品集 マガジンハウス

こうばしい日々 江國香織 新潮文庫

こころはなぜ苦しむのか 岸田秀 朝日文庫

ひと月に百冊読み、三百枚書く私の方法 
福田和也 PHP研究所

辻仁成の貌 KKベストセラーズ

などなどを読んでいました。

とっておき作品集は、前に買って読んではいたのだけれど、今日は「409ラ
ドクリフ」を初めて読んだ。あと「物語の復権」。
以下、引用。

ありそうなことを書くのと、リアリティーを持たせるというのは大きくちが
いますよね。例えば、机の上にベッドがあるとすると、それをありそうなこ
ととして書くのは難しいでしょ。でも、机の上にベッドがあることを信じさ
せるのがリアリティーだと思う。いずれにせよその物語のなかにたしかにあ
った、というふうに読者が証人にならなければいけないんですね。それがリ
アリティーで、結局、それは文章の力によるところが大きいんじゃないか
な。

引用終わり。
なるほど。と思った。ありそうなことを書くのと、リアリティーを持たせる
こと。けっこう納得できた。

福田和也氏。
書くというのは、孤独な作業なのです。
原稿に向かっているのは、自分一人でしかない。
この文章を完成できるのは自分だけであって、ほかの誰でもない。
そういう厳しさと向かい続けるのが、書くということです。

 

4/11 2002

この国で女であるということ 島ア今日子 教育資料出版会

これはAERAの「現在の肖像」の原稿をまとめたものです。
桃井かおり、一条ゆかり、林真理子、大竹しのぶ、内田春菊、山本容子、田
島陽子、田辺聖子、などなど20人の女性が描かれています。

前日読んだ、「アメリカが見つかりましたか」の口直しに、がががと一息に
読んだ。おもしろかった。
みんな、夢を持ち、目標を持ち、努力して、自分の人生を切り開いているん
だなあと。

一条ゆかりが高校入学早々に「漫画家になりますので、私のことは放ってお
いて下さい」と作文に書いた話。
あ、そうかって。

白石和子さんはお母さんに乳がんがみつかったとき、演劇に夢中だった。
弟と妹から「目を覚まして!」となじられたとき「もう私は家のためには何
もしない」とつっぱねた。

「根拠のない自信」ってあるでしょ。
それをきちんと自分の意思で実現できる人がいるでしょ。
ここに出てきた吉田美和ちゃんもそうだし、山本容子も大竹しのぶもそう。
あきらめないで努力する。迷わない。信じる。信じつづける。

私は「根性モノ」って泥臭すぎるときらいなんだけど、この本はそこまでは
いかず、でもその人たちの核心をきちんとつかんでいて、いいことも悪いこ
とも、すべて一つの人生として描写してる。とてもきちんと。

私はこういうの読むと「がんばろー!」と単純に思う。
私にはきっと私なりのがんばり方があるんだろうなあと。

この国で女であるということ。
ここに出てきた女性はみんな、女であるということよりも一人の人として完
結してる。
だけど、残念なことに、漫画家、女優、作家、版画家、というフリーな分野
なのね。「会社員」はやっぱり「女であること」から自由になれる環境には
ない。
がんばれば、女でもなんとかなるよ。現にこの人たち・・・とは言えないと
思う。彼女たちは志した分野が「個」を輝かせる分野だったから。
会社員、大蔵官僚、外交官、政治家として輝きたい女性には、やっぱりまだ
まだきびしい社会だということも、痛感した。

 

4/10 2002

アメリカが見つかりましたか 戦後編 阿川尚之 都市出版

私は、読んだ本、すべてをここに書いていなくて、それはまあ手間の問題も
あるのだけれど、それ以外に、あまり面白くなかった本のことをなんと書け
ばよいのか、迷うってのもある。
正直に「つまんなかった」と言えればいいんだけど、言えないの。
言える人はどんどん言ってよいと思うのよ。私はなんか気が引けてしまうん
ですね。

でだ。
この本。
なぜ買ったかというと、私もアメリカに関心があるから。
あとは、「アメリカを見た16名の日本人」が、安岡章太郎、江藤淳、桐島洋
子、村上春樹などなど個人に対しても関心をもったから。
でよ。

私はこの本、嫌い。
まず、底が浅過ぎる。
それぞれの人物に関して、単に1冊〜3冊(一人に関してだけ3冊読んだみた
い)の本だけを参考にしてその人のアメリカ観を語るのみ。
例えば、村上春樹なら「やがて哀しき外国語」1冊。小説も読んだことがない
らしい。桐島洋子なら「淋しいアメリカ人」のみ。他にもあるでしょ。
「リンゴの木の下で」だったかな。彼女の2度目のアメリカステイを書いた
本。そういうのもちゃんと読んで語ってよ。
この本はつまり、それぞれの人物が書いた「1冊」をただ単にさらっと解説
しているだけ。
そんなイージーな作りがあるか!って。
書き手としての志を疑うわよ。
それが一つ。

あと視点が「他人事」なの。アメリカに対しても、16人の日本人に対して
も。もちろん「近づきすぎない」書き方もあると思う。でも私は、この著者
の姿勢は納得できないし、もう2度とこの人の本は買わない。

アメリカでは養子縁組が多いという話の一部。

これらの例のように、引き取られるのは自分と同じ人種の子だけではない。アジア人
も黒人も引き取り手がある。さらに心身障害児でさえ、わざわざ育てたがる人がいて、
落ち着き先が見つかるという。桐島は重症の先天的奇形時を相次いで二人養子に
し、家財を傾けて悪戦苦闘している奇特な夫婦に会った。垂れ流しの子どもの後を
追って拭いてまわる生活は、はた目には凄惨にしか見えないのに、親たちはしごく生
き生きしている。さらに独身者や同性愛者のカップルでさえ、養子を迎える場合があ
るという。

出版コードにひっかかるかどうか、なんてことが言いたい訳じゃない。
こんなことをこんな無邪気に書く無神経さがとてつもなく腹立たしい。
心身障害児を育てるのは、大変だと思う。だけども心身に障害があるからこ
そ、温かい家庭の中で育てられることで、救われる部分もあるでしょう。
引き取る決意をする人にとっても、「私がこの子の親になってやろう」と決
心するわけでしょう。それを「奇特」と?

独身者が養子を迎えるといけない? 同性愛者は子どもをもっちゃいけな
い? 黒人やアジア人の子どもを白人が引き取るのはおかしい?
ふざけんじゃねーよ、とおもう。無邪気に発せられた言葉だからこそ、頭に
くる。 

私は、アメリカで「奉仕」の精神を感じました。
ボランティア活動は日本でもある。でも、まだ日本は「やってあげる」とい
う意識から逃れられない人が多い。だから、そのサービスを受けた側は心か
ら感謝しなくてはならない。金銭の授受はなくとも「気持ち」の授受が発生
する。
でも、アメリカはそうじゃなかった。本当に自分の意思で自分の誇りで、行
動する人たちだった。感謝すると、何言ってんの。当然の事をしているだけ
よ。っておおらかな笑顔が返ってくる。
「人の役に立っている」という自尊心のための行為じゃないのよ。

私はそこが日本のボランティアとは違うなと思った。
奉仕ってこういうことを言うんだ、と思った。

その精神を「奇特」と呼ぶなら、まあそれはそれです。
ただ、私はこの著者とは付き合いたくない。

 

4/9 2002

よるくま 酒井駒子 偕成社

子どもに絵本を買ってやるとき、私は自分の好みを最優先して選ぶ。
それだと偏るかなってふと不安になったときは夫に選んでもらう。ごくたま
に。
子ども自身に選ばせることもあるけれど、子どもは目先の欲にかられるから
だめね。

この本はいつどこで買ったか記憶にないけれど、私が選んだんだと思う。
絵も好きだけど、お話がね。
「心細さ」ってのが、本当にうまく表現できているわよね。
私にとっては「泣いた赤鬼」もそう。
一人ぼっちを実感したときのきゅーんと淋しい感じ。暗闇に包まれて視野が
狭くて、だけど空気だけは澄んでいて、そんな中でただ「どうすればいいの
かわかんないよ」って途方にくれてしまう感じ。
が、すごく好き。胸の中がさわさわする。

下の子どもは上の子どもに比べて格段に絵本を読んでやった回数が少ない。
本人も上の子ほど「読んで」とは言わない。
だけど最近はこの「よるくま」が彼のブーム。
だけど、ちゃっかり者の次男坊だから、本人が好きでこの本を「読んで」と
持ってくるのか、単にこの本ならママは面倒くさがらずに読んでくれると踏
んでいるからなのかは不明。
あんがい子どもって打算的だからなあ。

 

4/8 2002

江國香織ヴァラエティ 新潮社

いやあ、やっぱりこれですよ。
うん。
私は、心境としてはぜんぜん複雑じゃなくて、普通に「雑誌」感覚でよみまし
た。「きらきらひかる」の続編はまああんなもんかな。

Over the shore
メイン州に作家を訪ねる旅です。
アリックス・ケイツ・シュルマンという人。
これまでもぜんぜん知らなかったんだけど、これを読んで、彼女の著作を読み
たくなったかというと、そうでもなかった。
もしこうした文章をライターが書いたなら、それは失敗ということになる。
ライターは書いた人に興味をもたれる文章よりは、書いた対象物に読者が興
味、関心を抱いてくれる文章を書かねばならないから。
江國さんが主役の本なんだなあと実感しました。

出発前の記述で、ああ江國さんも「家事」やってるんだーって。
私、最近そういうことに敏感過ぎるのかもしれないけれど、
ごみをちゃんと始末するくらいで感心してしまった。 

一時期、いように詳細な日記を書いていたっていっていたけれど、
確かに延々一日分が続く。
なるほど、こうやって書くんだねって思った。

シュルマンさんのこと。「頭のいい子どもみたいな清潔さと論理性・・・」
この、頭のいい子どもみたいなっての、気に入った。

川上さんとの対談も面白かったし、作家の本棚もおもしろかった。
「江國さんは、日本語を話しているときと英語を話しているときと、人格(性
格)は変わっていると思いますか?
すごく変わります。
実は最近、書くときには英語人格になっていることに気づきました。
というのはなかなか興味がかきたてられる話だった。

手放しでほめてる。
友達へるかも。
いやいや。

 

4/7 2002

大いなる眠り レイモンド・チャンドラー 創元推理文庫

ある人とお蕎麦を食べていて、彼が英語学科の出身だと知ったので、「卒論は何
を書いたんですか?」と聞いてみた。
「チャンドラー」って。
へえっておもった。ああこの人も昔は青年だったんだーって。
で、なんとなく読んでみた。

なんかね、読書家(たくさん読んでいるというほどの意味はない)としてての私
は、とにかく「女」としての立場をものすごく大事にしているのよね。だからど
うしても女性の書くものが好きだし、男性作家でも女性が書けていないとぜんぜ
んダメ。宮本輝さんがどうも好きになれないのはそのあたりが原因。林真理子さ
んや山本文緒さんが苦手なのは、私の「女」の部分と相容れない「女」がそこに
存在しているから。

で、チャンドラー。
男の人ってこういうのを「美学」と思っているんだなって思った。
映画の「カサブランカ」もそうだけど、「男は黙ってサッポロビール」というの
かしら。
女の美貌や色気には振り回されないよ。
俺はたったひとつの大切な信念を胸に秘めてるんだよ。
でもそれをむやみに振りかざしたりしない。
ただ深く沈黙して胸に秘めておくんだ。

それはそれでけっこうなことだとおもいます。
だけどなんか、くすくす笑ってしまいますよ。

でも小説としては面白く読んだ。
スターンウッド氏の「大いなる眠り」を約束することが、フィリップ・マーロウ
の男として果たすべきこと、だったのかな。
その遂行の仕方は確かに、一分の隙もなくハードボイルドでかっこよかった。
こんなふうに端から端まできちんと自分の言葉で完璧な世界を構築できることを
私はものすごく尊敬する。

 

4/6 2002

Tokyo Generation  小林紀晴 河出書房新書

武田花さんの写真集を探しに行き、これを買って帰ってきた。

夭折の作家たちの青春を東京に旅した。
肉体が絞りだした言葉だけが、僕たちの生を勇気付ける力を持っている。

ということで、太宰治や中原中也、梶井基次郎などの言葉が掲載されていま
す。お目当ては中原中也。男の人が彼の言葉のどんなところに惹かれるのかし
ら?と思って。

そしたら、中也のところはほとんど彼自身についての話だった。
というか、中也に限らず、この本全部がそういう作りなんだけど、紀晴ファン
と言うよりは、中也ファンとして買ったわけだから、あららって。
あらら、なんだけど、今のフリーで仕事をしている私にはものすごく深い意味
を持つ文章であった。

「写真は人を不幸にするよ」
そう言って東京を後にした人たちの話。
確かに才能のない人にとってはきつい世界だと思う。
だけど「才能がない」とわかったなら、もっと幸福にしてくれる何かをみつけ
ればいいの。写真は人を不幸にしたりしない。
写真ごときに不幸にされたりするなよ。写真に負けても人生に負けるなよ。

写真に捨てられるのでなく、自分が写真を捨てたんだって、私ならそう思いた
いの。負け惜しみであれ、どうであれ。

それで、わたし。
写真家とカメラマンの違いをずっと読んでいる間中、考えました。
それは、小説家とライターの違いでもある。
カメラマンというのは、雑誌などで、ファッションページやグルメページの写
真を撮っている人です。写真家と言うのは、個展を開いたり写真集を出す人。
小説家とライター。
ライターと言うと、「文章を書く仕事」ということでうらやましがられること
がありますが、作家、エッセイスト、コラムニスト、なんかと混同してうらや
ましがる人がおおいのね。
ちがうのよ。ぜんぜん。
ライターというのは、ある種の労働。
小説家というのは、行動の一種。

もちろんきっぱりと分れるわけじゃなく、労働として小説を書く人もいるでし
ょうし、本能的にライターをやっている人もいる。
なんにでも中間は存在するし、中途半端も存在するし、別にそれが悪いわけで
は決してないし。
あと、写真家が上でカメラマンが下、小説家が上でライターが下、ということ
もない。みんなそれぞれ自分自身の選択に基づいて、活動しているわけです。

だけども、今の私にとってこの発見は、ちょっとほおっと思うような出来事だ
った。私はこれからもライターとしてやっていくだろうけれど、「行動の一
種」としての部分も大事にしたいと思う。文章を書くことが、生きることその
ものなんです、という部分。
依頼もギャランティも関係なく、まっすぐ書くことに対峙する部分。

 

4/5 2002

VOGUE Nippon May 2002

最近、VOGUEが面白い。
すっごく勢いがある感じ。
先月の「Like a Virgin」もよかった。
「editor's letter」ってのが、かっこいいです。
先月のもそうだけど、こんなふうに編集者が書けるっていいわあ。
(なんか、雑誌としての自信に満ちている感じ。)

Are You a Real Woman?

ってことで、日本のリアル・ウーマンへのアンケートがなかなかgood。
1.仕事を辞めるとすれば、それはどんなときだと思いますか?
2.人生においてパートナーを必要としますか?
3.出産・育児をどう位置づけますか?
4.歳を重ねることをどう受け止めていますか?
5.女であるメリットとデメリットは?

という質問だったんだけど、それぞれ短い回答ながらも、61人もそろうと人生
観が出てくるのよね。それがなんかすごく「素」な感じがしてよかった。
清美ちゃんも「衆議院議員」として登場しています。彼女はやっぱりかわいい
人だな。「ソーリ、ソーリ、ソーリ!」の時は、ちょっとやな感じだったんだ
けど、ここに来て「あなたはいつも一生懸命だったわね」とおもう。
甘糟リり子さんもあんまり好きじゃなかったんだけど、これ読んで「ふーん」
と思った。ちゃんと自分の言葉で語っているよって。安野モヨコさんの「いま
もご飯はちゃんと作っているし、家事は全部やっている。朝起きたらすぐ次の
5分でやることを決めている」には大変感動いたしました。
草間弥生さん、橋田壽賀子さん、扇千影さんは、有無を言わせない迫力がこ
の短い文章の中にもにじみ出ていて圧倒された。

1.の質問。
写真家の長島有里枝さんの答えは「目が見えなくなったとき。」
すごくストレートで心が震えた。
ばななちゃんは「それは死ぬときでーす。」って
くすくす笑ってしまいました。

逆に、ああーつまんないってのももちろんいろいろあった。
とくに40代女性の回答がつまらなかった気がする。
単なる偶然なのか、それとも40代は「まっとう」な考えに固執する時期なの
か。

ちなみに私。
1. わからない。それは明日かもしれないし、死ぬときかもしれないし。
2. たった一人の、半永久的な関係を意味するなら必要とはしないかな。
3. 私にとっては選択肢の一つ。ただ、選べない人もいるということは常に頭
  の中にあります。
4. 楽しい。新しい世界へ踏み込む感じが大好き。
5. メリットは、男の人にやさしくできること。デメリットは、子どもに
  優しくすることを期待されてしまうこと。

 

4/4 2002

吉本ばなな ムーンライト・シャドウ 福武書店「キッチン」

そこそこばなな好きな私ですが、これが一番好きなんです。
ばななちゃんは、ずっこけるかも。
「なんであれ?」って。

幼い小説だと思います。
雑な面もあるかもしれない。
でも、彼女の一番いい面が一番ストレートに出ている小説なんじゃないかしら
って思います。
もうこんな小説は書けないでしょう。

あとがきにありました。

克服と成長は個人の魂の記録であり、希望や可能性のすべてだと私は思っています。

これこそ、この小説のよさ。

私はもうここにはいられない。刻々と足を進める。それはとめることのできない時間の流
れだから、仕方ない。私は行きます。
ひとつのキャラバンが終わり、また次がはじまる。また会える人がいる。2度と会えない
人もいる。いつの間にか去る人、すれちがうだけの人。私はあいさつを交わしながら、
どんどん澄んでいくような気がします。流れる川を見つめながら、生きねばなりません。

生きること。
生き続けること。
克服と成長。
希望と可能性。

大人になんか、なりたくないよって、泣きたくなることが時々ある。
前に進まなきゃ。わかってる、わかってるよ。
このままじゃ、だめなんだよって。
だけどこわいよ。
自分の尻を無理やりたたいているのではないよ。見えない何かを目指している
ひたむきな自分をいかしてやらなきゃって、臆病なほうの私は、精一杯背伸び
しているの。息を整えて。バランスをとって。

そんな時に、読みたくなる小説。
もう何度も読んだ。
これから、何回読むのかな。

 

4/3 2002

村上春樹全作品1979-1989 C 村上春樹 講談社

自作を語る 「はじめての書き下ろし小説」

前に青山ブックセンターで買ったこの全集。Cだけが抜けていたので、bk1に
あれこれ注文するとき、ついでに頼んだ。
肝心の小説のほうは読んだことのある作品なのだけど、中に入っているリーフ
レット、それがこの「自作を語る」シリーズで、今日届いて早速読んでみた。
それで、ああやっぱりこの人好きだなって。
誠実だから。

彼の取り組み方と言うのはスポーツに取り組むのと同じ感覚。
だから私にとってわかりやすいのかもしれない。
自分に何かを課す。それをきっちりとこなす。
ただそれだけの単純なことなんだけど、でもなかなかできない。

私がランナーだった頃、例えば「毎日腹筋をやろう」と決めたら、本当に、ま
じめに毎日やっていた。布団にはいったところで気づく。「あ、今日やってな
い」。寝ちゃえ、忘れちゃえって思う。でももう一度布団から出る。なぜって
目標を達成したいから。それを365日続ける。
私にとってそれは「当然」のことだった。みんなそれくらいやっているんだろ
うとも思ってた。でもそうじゃないのね。

春樹さんがやっていることをさらっと読めば、ただ単に物書きとして当然のこ
とを当然のやり方でやっているだけとしか、感じない。
だけどもその当然のことができなくて、脱落していく人が多いのだと思う。
努力っていうのは小さなことの積み重ねなのよ。
難しいのは、積み重ねることなのよ。

 

4/2 2002

ゆるゆる日記 素樹文生 求龍堂
ワンダラン! 素樹文生 新潮社

一気読み。街道沿いのデニーズで。
素樹さんは、自分のサイトで日記を公開していらっしゃるので、私はほぼ毎日
読みにいってる。だから昨年この本が出たことも知っていたのだけれど、なん
となく当時いらいらと忙しくて、あと、「日記ってまとめて読んでも面白くな
いかも」という気もして、買わなかった。
でも面白かったわよ。日記をまとめて読むと、毎日読むのとは違う面が見える
んだって発見した。

その発見は、一日ごとで読むとなんとなくふわりふわりと生きているように見
える彼が、あ、ちがうよ、なんかすっごくがんばってるよって。ちゃんと前を
見据えて一歩一歩進んでるんよって。物書きの決意のようなものが感じられて
なんだかちょっとうれしかった。
どちらかというと、「ゆるゆる日記」のほうが好きかな。

あと、彼がスピッツファンだと初めて知った。私が日記を読み始めてからスピ
ッツの話はそう出てきてなかったので、知らなかったんだけど、私のように、
♪君と暮らせたら なんて歌われて「はい。夫も子どもも捨ててついていきま
す」って答えるような盲目マサムネファンとは違う見方がわかってそれも面白
かった。

あと。これは一人で盛りあがったのだけど、この前日記に書いた、ロッキンオ
ンの浅井健一君の写真。あれ、ほんといい写真だったよなー、撮ったの誰よ?
と、突然確認したくなって、寝る前にたたたっと本棚のある部屋に行って取り
出してみたら、「佐内正史」とあったの。
あ、今日読んだ素樹さんの本に出てきてた人だって、ええただそれだけのこと
なんだけど、同じ時間に二つの事柄がぴたっとリンクしたのがなんか、うけ
た。一人。夜中に。
素樹さんのサイト:
http://www.motogi.com

 

4/1 2002

泳ぐのに、安全でも適切でもありません 江國香織 ホーム社

短編ってそんなに好きじゃない。
浸りきれないのよね。
これまで読んだ短編(もともと少ししか読んでないのでえらそうなことは言
えないが)でよかったな、と思うのは、太宰治、村上春樹、カポーティあた
りでしょうか。詠美さんのも短編はそんなに好きじゃないのだ。

で、これ。
よかったよ。
いろんな世界を垣間見れた。
特に好きなのは
「愛しいひとが、もうすぐここにやってくる」かな。

こんなに淋しい雨の夜だから、私の大好きな男は妻を抱いているかもしれない。

この出だしの一文で、女性のタフさと冷静さと、そして情熱を十分に感じ
る。この本に出てくる女性はみんなタフ。タフでワイルド。
江國さんのこれまでの小説のような「少女」は出てこない。

私たちはみつめあい、猫同士みたいに微笑みあった。すると男はいきなり笑い出し、
「まったくわからない」
と言った。愉快そうな口調だったのに、そのあと起き上がって服を身につけるあいだ
に、たちまち悲しそうになった。
「なあに? なにがわからないの?」
 とり残され、淋しくなって私は訊いた。
「どうして僕は妻と別れないんだろうね」
 茶化すような口調で、でも切るように悲しい目で、私の大好きな男は言った。
 それは、でも、私にはわかりようのないことだった。私たちはまたみつめあい、微笑
みあった。
「奇妙ね」
 私はそう言ってみた。

男が妻と別れないのは、それが習慣だからです。習慣は破るより守るほうが
ラクなのです。じゃあ、この女性は男の「便利な女」になりきっているかと
いうとそんなことはない。淋しさと気楽さと強さとはかなさを江國さんはみ
ごとに描いてみせた。
なかなかいい味わいでした。

もう一つ好きだったのは「うんとお腹をすかせてきてね」。
結婚を前提としない男女の恋愛をうまく描いているの。
男は「ずるく」ない。女は「弱く」ない。そのあたりがすきよ。

「うしなう」は、まあ江國さんったら、主婦の世界をよくご存知ねって感心
した。

てわけで、私は好きでした。ほぼまるごと一冊。
彼女の描写がこのところ、どんどんナマナマしくなってきたことについて、
いやだと思う人もいるかもしれないけど、私は、お父さんが亡くなられて書
きやすくなったんだろうなって思った。
自分をあれほど愛してくれたお父さんが、読むと思うとセックスは書けなか
ったんだよ、たぶん。それが父親に対する娘のせめてもの思いやり。
そんな気がした。

 

3/31 2002

コスモポリタン 5月号 集英社

コスモポリタンを初めて買いました。
目当ては、「森瑤子の世界」。
特集としてはよくまとまっていると思う。
でも思った。
森さんは亡くなったのだなって。
新しいものはもう何も出てこない。
寂しいよね。

しかし全体としては、コスモポリタンってけっこう面白いじゃんと思った。
これまでは、肩に力の入った女性が読む雑誌という印象があって、買った
ことがなかったんだけど。(時代に押されて変化したのかもしれない。)

 

3/30 2002

アメリカン・カントリーケーキに恋をして 藤野真紀子 
ニューサイエンス社

私は藤野真紀子ファン。なんでも聞いて! とまではいかないけれど、かな
り詳しい。
数ある彼女の本の中で一番好きなのがこれ。
以前図書館で借りた本だけど、最近の「買っちゃえ買っちゃえ」路線にのっ
てシロネコヤエスに注文。(bk1にはなかった。)
あっというまに手元に届きました。

レシピも掲載されているけれど、心打たれるのは、ばっちりメイクした彼女
の写真。彼女の仕事のスタート地点であるDepot39のベランダの柵に腰掛け
てこちらを見つめる瞳の挑発的なこと!
彼女の意思の強さがひしひしとつたわってくる写真です。

私も専業主婦からの転職組だけど、実家が近くてその手助けを最大限活用で
きた彼女みたいな人、普通ならねたんじゃう。私が仕事を始めるときの、続
けるときの最大の障害はそこだから。
実家の手助けがあって、仕事をしている人をすごいなんて思わない、と何度
唸ったことでしょう。

だけども彼女の意思の強さは、実家の手助けがあったこととは別の次元なん
だなって思える。実家が近くなくても、彼女は藤野真紀子として自分の道を
切り開いたでしょうし、今の彼女があるのは実家が近かったからではないの
でしょう。

もちろん私は今も、子どもの預け先に頭を悩ませながら仕事をしているけれ
ど、もうそのことに煩わされない。
きた仕事は全部受ける。
結局は覚悟の問題なんだって、この写真を見るたびに思うのです。
家庭も育児も近所づきあいも親戚づきあいも、全部背負った上で、仕事は続
けるよって。
女の強さみたいなもの。

 

3/29 2002

本を買いつづけている。
どうするよ。そんなに買って。
いつ読むのよ。ていうか、本当に読むの? それ全部。

でも「ほしいという感情があるというのはいいことなんだよ」ってこの前、
ある人が言っていた。
「僕はね、もうほしいという感情に心乱されることが少なくなってきた。歳
を取るってこういうことなのかなって、ときどき思うんだよ」って。

欲望が健在だということは、もしかすると歳を取ることを拒絶しているだけ
なのかもしれないのですが、とりあえず、お金が続く限り、買いつづけると
します。

今日買った本。
 食べもの探訪記 吉本隆明
 アメリカが見つかりましたか〜戦後編〜 阿川尚之
 ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法 福田和也
 (先月ワタシは20P以上書いたけど、まだまだ甘いと実感。たまにはこう
  いうナマナマしい本も読んでみることにした)
 世界音痴 穂村弘
 江國香織ヴァラエティ 

 

3/28 2002

武田百合子「ことばの食卓」 ちくま文庫

文章ってこんなふうに書くんだ。
と思ってしまいました。
「うまい」というのとは違う、なんだろ、うまく書こうとしていないからこそ
ののびのびとした感じがものすごくよい。

「枇杷」は、あの水っぽくてむちむちとした枇杷の感じがものすごくよく出て
いるんだよなあ。と同時に夫に対する態度も、愛しすぎず、憎んでもいず、夫
をたてているんだけど、振り回されてなんかいなくて、その微妙な雰囲気がも
のすごくよく出てる。こういうのを「描写」っていうんだ、きっと。

『夫が2個食べ終わるまでの間に、私は8個食べたのをおぼえています。』

なんとも味わいがありますな。
「夏の終わり」もよかった。

26日、雨の中車を運転して青山ブックセンターへ。
私が以前買い取った、「村上春樹全作品」が補充されていて、びっくり。
トルーマン・カポーティの「叶えられた祈り」も一時期姿を消していたのにま
た復活。

この本はそのとき買って、帰ってきてメールチェックしたらある人が彼女の書
いた「富士日記」がいいって書いてて、ほお、と思った。

 

3/24 2002

エルサ・ベスコフ ウッレのスキーのたび フェリシモ出版

この手の線の細い絵が大好きで買ってきたのだけれど、お話自体もけっこう楽
しめた。私は絵本はこういう抑揚のないストーリーがすごく好き。抑揚がない
方がかえってその世界に入り込める気がするのよね。

寒い国の普通の子どもの普通の生活。
おもしろかった。

 

1/15 2002

江國香織 東京タワー マガジンハウス

不倫という言葉はもはや死語だな。そう思う。
森瑤子の書く小説は、結婚しているることを隠して恋愛が始まったり、「どち
らを取るのか」が問題になったり、結局は家庭を捨てられないことを悟ること
で恋愛が終わったりしていた。結婚生活と恋愛は両立できない世界だったの
だ。その切なさを描いていたのだ。
なのになのに。
江國香織は、結婚生活と両立させた恋愛の切なさを描く。
結婚? してるわよ。

物語は、結婚している女性と恋愛している2人の少年の視点で描かれる。しか
し、女性たちの物の見方、考え方、スタイル、がきちんと伝わってくる。
彼女たちは結婚生活を捨てる気なんてない。
だけど恋愛がしたい。自然に、激しく。
刹那的だから、切ないんだ。

昨日、サイモンとガーファンクルを聞いていてふと、あー私ってもうダスティ
ン・ホフマンが教会から奪っていった花嫁姿のエレーンよりも、ダスティン・
ホフマンを誘惑したミセス・ロビンソンとの方が歳が近いんだ〜って気付いて
愕然としたんだけど、そういう女性は古今東西存在したのに、彼女たちの刹
那的な恋愛観を描いた小説や映画ってなかったような気がする。
単に色気のある年増のおばさんとしてしか、扱われなかった。
そう言う意味ではとても新しい感覚の小説だと思う。

 

 

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