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3/27-4/21/2000
5/3-5/6/2000(Germany/Austria)

Rejoice always, pray without ceasing, in everything give thanks.

ひとりごと(Chicago/Denmark)

4/30/2000(午後)

前の晩遅かったので、朝食はいつもより一時間くらい遅く、私はその前にモーちゃんの家の下に降り、 彼のボートが停めてあるベンチに腰掛けて目を閉じ、祈り、又、静かに目を閉じたまま、小鳥達のさえずりを聞いていました。 ここには、白鳥やかもめ、カモ、又日本にはいない何種類もの鳥の美しいさえずりが聞こえてきます。 広いテラスにはサンルームがあり、又、東と西の端ににそれぞれテーブルが置いてあって、 朝はこちらに日があたるからこちらのテーブルで食事をしましょうと、一時間もかけてゆっくり食事をし、 午後のお茶はこちらのテーブルで・・って感じです。 ヨーロッパは冬が長い分、日本人にはあたりまえのお日様が「特別」に大切なのです。 「待ち焦がれていた」って感じ。

最後の朝食では、ミセスと空港に出発する直前までお喋りしていました。 ミセスはこちらが話題を提供する必要もないくらいお話好きで、 何の話をしていても楽しい。元H社のあの愛される中年のJちゃんが、 今では別の会社の社長様になって(笑)日経新聞に載った話や、他の同僚のことを話していました。 面白いエピソードは尽きません。(^_^)又、私がHPをつくったいきさつや、 ここ3年間のことを色々と話し、又それは自然と神様の話や証しにつながっていきました。 デンマークでミセスと信仰の話が出来るとは思いませんでした。 神様に感謝します。ミセスは女性としても人間としても尊敬出来る、本当に素晴らしい人、 本当に大好きな人で、私の理想の女性像です。 身近にお手本がいるというのは感謝ですね。(^_^)

Jちゃんで思い出したことは、私達がモーちゃんの家でクリスマスパーティをやった時だったか、 Jちゃん自身も綺麗で素敵な奥さんや可愛いお嬢ちゃんもいる幸せな家庭を持っているのに、 「あーあ、モー○○○○ちの犬になりて〜な。」と言ったそうです。(^_^;; その話をミセスに話したら大受けし、実は彼女がインドネシアにいた頃にも、 あるインドネシア人に「I want to be your dog!」と言われたそうで、2人で大笑いしてしまいました。 何故そんなことをみんなが言うのか良くわかります。ものすごく愛情深く大事にされているのが良くわかるからです。 『私もここの家の子供だったらな〜。』とふと私も思ってしまいました。(笑)


4/30/2000(朝)

*恐るべしバイキング達

昨日は、ヘルシンゴーから戻って2時間ほど休んだ後、モーちゃん夫妻のスペインのサマーハウスのある小さな村で、 数十年以来の友人だと言うデンマーク人の奥さんNとハンガリー人の御主人Aのお宅に招待され、 車で一時間以上も行ったところにあるお宅には19時頃に到着しました。 モーちゃんの若い頃からの友人のJ(彼は私の苗字が難しいので、ずっとheidi-sanと呼んでいた。(笑))と、スペイン人の奥さん、又、NとA夫妻の下の26才の娘も一緒でした。 ハンガリー人のAは英語が殆ど出来ないので、彼と話す時はドイツ語を使うしかありませんでした。 ドイツ語を話したのは一年数ヶ月振りだったかも知れません。 失業していた時に、100時間以上もRからプライベートレッスンを受けていたというのに、 殆ど忘れてしまいました。でも、ちょっと使い始めると、だんだん思い出してきました。

昨夜のディナーはどれを取ってもおいしかった。日本人の奥さんと違って、お客様をたくさん招いても、 台所でバタバタしていることはなく、小奇麗な格好をしていて、楽しい会話にもずっと加わっており、 それなのに、ゆっくりとサーブされるディナーの料理は、さっき作ったばかりの出来立てという感じなので、 いつどうやってどのくらい時間をかけて料理したのかと不思議でした。

スカンジナビアンは「バイキング」と呼ばれていますが、本当に体力的にも日本人の10倍くらいタフなのではないかと驚かされます。 最初は彼等も時々英語を交えて話していたのですが、話がはずむと全部デンマーク語になってしまい、 19時の庭での食前酒から始って、食事が終りコーヒーが出た頃には、23時をまわっていました。(^_^;; コーヒーの前にデザートのケーキが出たはずなのに、コーヒーの後にも、食後の軽いおつまみのパン(私はとてもじゃないけど食べられなかった。(^_^;;)が 出た時は、この人達の胃のキャパシティーは一体どうなっているのだろうと思いました。

ビックリしたのは食べる量ばかりではありませんでした。さらにビックリさせられたのは、 24時近くになっても、延々とデンマーク語オンリーの会話が続いてやまず、私はうとうとし始め、しまいには耐えられなくなって 我慢も限界に達していました。ここまで来ると拷問以外の何ものでもなかった。(^_^;; ホスト役のNに、デンマークでは招待されたら夜中の2時や3時は当たり前だと聞いて、私はビックリ仰天してしまいました。 幸いにも、1時15分前にはその家を出て、モーちゃんの車の後部座席に横になって「爆睡」してしまいました。 モーちゃんの"We are home."という声に目が覚めた時は、夜中の2時になっていました。(^_^;; 彼等は60才を過ぎているのに疲れた様子はなく、昼間と同じ様にピンピンしていました。 本当にバイキングはタフだと改めて思った私です。(^_^;;


4/29/2000

*コペンハーゲン(続き)

デンマークは殆どがプロテスタントの国で、教会もかなり古い教会が多く、昨日見学した Holms Kirke(Kirkeはデンマーク語で"教会")は1600年代に建てられたものでした。 これでも他の1000年代の教会と比べると新しいほうかも知れません。中に入ってビックリしたのは、 プロテスタントの教会のはずなのに、まるで仏教のお寺のような雰囲気だったことです。 教会の真中辺に置いてあった幼児の洗礼おけ?の台はまるでインドネシア風でした。 まぁ、この教会は特別なのだと思いますが、当時の船員が多く来ていた教会だったらしいので、 世界各地を航海していた時のインドネシアのおみやげだったかも知れません。 (想像ですよ、もちろん。(笑))4年前に来た時は、 ドーム型の屋根の「大理石の教会」と呼ばれているFrederiks Kirkeを訪問しました。 「地球の歩き方」にも載っています。

日本では「○○銀座」と呼ばれるショッピングストリートは「ストロイエ」という通りで、 モーちゃんがインドネシアのハマキ(この煙は強烈で、当時はこれで良く頭痛になった。(^_^;) をふかしながら、見知らぬ人とベンチでお喋りをしている間、私とミセスは、 ロイヤルコペンハーゲンのお店に入りました。ロイヤルコペンハーゲンは、地元でもかなり高いのですが、 東京で買うと倍くらいの値段になることでしょう。ミセスが私の為に、 ロイヤルコペンハーゲンのキャンドルスタンドをプレゼントしてくれました。嬉しいのですが、 これを使うことがあるとしたらクリスマスくらいかも知れません。(^_^;) よ〜し、今年のクリスマスは家でパーティを開こうかな。(^_^)

* コペンハーゲン郊外

今回はモーちゃんの車で、コペンハーゲン郊外のヘルシンゴーまでドライブをしました。 コペンハーゲンとは又違う雰囲気の所で、森林や湖があちこちにあり、 スウェーデンのヘルシンボリとは海を隔ててたったの5kmしか離れていません。 デンマークが「おとぎの国」と呼ばれているのは、コペンハーゲン市内よりも、 郊外に出た方がピンと来るかもしれません。どこを走っても自然が美しく、 古い田舎の家々はどれを見ても可愛いかったです。

ヘルシンゴーに来る途中で寄ったHosterkob Kirkeという小さな教会も、一見新しく見えますが、 もう100年近くも経っている教会です。祭壇のところに面白い絵を見つけました。 祭壇の下全部がその絵になっていて、麦の絵が描いてありました。 その中には一本だけ黒い麦が混じっていました。 おそらくこれは聖書の中からイメージして描いたのだと思います。 黒い麦は「毒麦」で、刈り取りの日まで生やしたままにしておくわけですね。

その教会の横はすぐ森になっていて、散歩をするのにはとても素敵なことろですが、 実はここがお墓になっていて、十字架が付いた墓石ではなく、ごく普通の石に亡くなった人の名前、 洗礼日と亡くなった日付が刻まれていました。日本のお化けが出そうな陰気なお墓とは全然違い、 亡くなった魂はすでに神様のところに帰ったとは言え、 このように自然なかたちで平和に埋葬されるのも悪くないなぁと思いました。


4/28/2000

*コペンハーゲン

4年前にコペンハーゲンに来た時は1月だったので、新緑が美しい今と全く違う景色でした。 モーちゃんの車でコペンハーゲン市内を散策したり、ドライブしたりしていたのですが、 最初に車を停めたところは、あのアンデルセンで有名な「人魚の像」があるところでした。 人魚の像がなかったら、私は4年前と同じ場所に立っていることさえ気が付かなかったでしょう。

4月28日はマルガレーテ女王の誕生日だったので、冬の間は閉ざされていたチボリ公園は、 特別に人が多く賑わっていました。ディズニーランドのような華やかさはありませんが、 子供達にとっては楽しい遊園地でもあり、大人達にとっても散歩をしたり、 長い夜を(夏は21時30分を過ぎていても明るい)お喋りをしながらゆっくりと食事をしたりするのにも楽しめるところです。 150年くらいの歴史があり、何世代もの人達がこのように楽しんできた、 コペンハーゲンっ子にとっては本当によりどころとなっているようです。

チボリは何故かオリエンタル調で不思議でしたが、西洋人にとっては何かエキゾチックでミステリアスに感じるに違いありません。 野外ステージで、立っていればただで見ることが出来るパントマイムのショーも楽しかった。 パントマイムといっても、デンマークの元?ロイヤルバレエ団の人達が中世の美しい衣装を着たコミカルなショーをしているという感じなので、 とても、チャーミングでロマンチックで素敵でした。舞台の下には、生オーケストラが演奏をしていて、 コンダクターが楽しそうに微笑みながら指揮をしていたのが印象的でした。

あぁ、忙しくてイライラする東京とは全然違うゆったりとした時間が、ヨーロッパには流れている。 外国なのにヨーロッパに来ると、何故かほっとするのはその為だろうか。


4/27/2000

* モーちゃん夫妻との再会

シカゴを夜の10時に発ち、8時間後にはコペンハーゲンに到着しました。 シカゴ時間にようやく慣れた所で、シカゴと7時間の時差のあるヨーロッパで又新たに時差ぼけを経験することになりました。 コペンハーゲンは13時台でしたが、頭や身体は当然早朝のままでした。H社の時のボス、モーちゃん(Mr. R)とミセスに会うのは3年振りだったので、 彼等に会うのを心から楽しみにしていました。

飛行機が若干遅れましたが、税関を抜けた到着ロビーの柱の陰で、大きな身体を半分隠すように、 モーちゃんはじーっと到着の人達の方を見ていました。私の方が先に彼を見つけ、チルダ「〜」のような優しい微笑んだ目をしたモーちゃんのところに行き、 "Mr. R. Nice to see you again!"と言いました。モーちゃんは、「日本人はすぐわかるよ。荷物が多いからね。(笑)」と言っていました。(確かにそうですね。(^_^;)) 到着ロビーで、モーちゃんに会った時、かつてのボスと言うよりも家族のような気持ちで、 本当に嬉しく思いました。

相変わらず不器用で女慣れしていないモーちゃん(笑)と、先日H社のみんなと会って食事をしたことや、 D社のHさんまで何故かやってきて、モーちゃん宅に2泊泊まった時の写真を自慢化に見せたとか(笑)色々話しをしていました。 まもなくすると、湖の傍にあるモーちゃんの家に着き、懐かしいミセスが家の外で待っていて、あの暖かい優しい笑顔で私を迎えてくれました。 私は、彼等との再会の瞬間を、今まで何度も頭の中でシミレーションしたものですが、想像しただけでうるうるしていたものでした。

少し休んだ後に、ミセスが大きなピクニック用のバスケットにパンや飲み物などを用意し、 すぐ下にある彼等のモーターボートに乗り込み、風に吹かれながら湖を走って行きました。 個性的で全部違う素敵な家々が並んでいて、それぞれの家の殆どがモーターボートを所有しているということでした。 しばらく行ったところで、私達は、ボートに乗ったままで錨を下ろし、 そこでお喋りをしながらコーヒーを飲んでいました。私は、本当にリラックスした気持ちになりました。 こんなに素晴らしい自然環境の中で暮らせるのは、日本人の私には本当に羨ましいことです。

家に戻って2時間程休むと、もう夕食の時間になっていました。 私達は、H社の時の当時の話や、今の話など、話は尽きることはありませんでした。 23時くらいまでお喋りしていましたが、モーちゃん夫妻とは何時間話していても疲れないし、 飽きないし、本当に楽しい。(^_^)本当に素敵な人達で、彼等に出会えたことを神様に感謝せずにはいられませんでした。


4/26/2000

久々の日記です。22日に日本を発ち、11時間ちょっと後シカゴに着いた時間は、私がちょうど日暮里でスカイライナーに乗った時間でした。 何か同じ22日を2回経験するのは、タイムスリップしたようで不思議な感じがします。 日本との時差は14時間で昼夜が逆転している為、最初の2日間はボーッとしていて何が何だかわからず、 アメリカにいる実感さえわきませんでした。 翌日は23日、クリスチャンになって初めて、イースターをよその教会で、しかもアメリカの教会でむかえることになりました。 はちこさんの教会はペンテコスタルで、私の教会と同じ系列ですが、違うところは異言の祈りの時に、 音楽が流れていたことかな。とてもパワフルで力強い牧師先生のメッセージと讃美リードをされている人達がとても素晴らしく、 印象に残りました。 はちこさんの家に4泊させていただきましたが、私は何もしない居候のようなものでしたから、 私自身は日本にいる時の慢性的な忙しさや疲れから完全に解放されて、本当に心身ともに命の洗濯をさせていただいた感じです。 このような機会を与えられたことを、神様とはちこさんに感謝しています。

私は毎日まーやちゃんと遊んでいましたが、日本語と英語を巧みに使い分けているのが、 英語を習得するのに苦労している私には、非常に羨ましい限りです。 とても驚いたのは、2歳でもうPCのマウスを作って絵を描いたりしていることでした。 時々抱っこして欲しい時に、「マミー、だっこ」と言っていましたが、 ある日私に「だっこ」と言うので、よしよし抱っこねと抱っこしたら「ノー」と言うので、 あれと思いましたが、「ダッコム」つまり「.COM」だとわかりました。 はちこさんによると、PCで遊びたい時に何故か「ダッコム」と言うのだそうです。 日本人ならば「ドットコム」と読んでしまうところですが、そこはアメリカ英語なので、確かに「ダッコム」ですね。(^_^;; 小さな子供と遊ぶのは苦手なはずでしたが、ずっと遊んでいても苦痛ではなく飽きなかったのは、 まーやちゃん自身が人を飽きさせないキャラクターと人なつこさを持っていたからなのかなぁと思っています。

ところで、アメリカは大きかった。特に、スーパーで売っているアイスクリームは、カップと言うよりも小さなバケツのようでした。(^_^;; ハーフサンドイッチを注文しましたが、これだって半分しか食べられませんでした。(^_^;;

そうそう、ミシガン湖のそばにある博物館で、The Dead Sea Scrollsを見ることが出来たことも良い思い出となりました。 何か断片的になってしまいましたが、一度に日記に書くのは難しいので、思い出しながら少しずつ書いていこうかなと思います。(^_^;;