[トップページ]

4/26-4/30/2000(USA/Denmark)
5/11-5/27/2000

Rejoice always, pray without ceasing, in everything give thanks.

ひとりごと(Germany/Austria)

5/6/2000

15日間の旅行から無事帰って来ました。皆様のお祈りを感謝します。 2週間のエピソードは色々ありすぎて、一度に書き切ることは出来ません。 思い出しながら小出しに書いていこうかなと思っています。 お一人お一人におみやげを買って来ることが出来ませんでしたので、「おみやげ話」でお許し下さい。 又、そのうち写真もお見せ出来ると思います。

今、久しぶりにファミレスで食事をしています。 まだ18時台だというのに、もう外が暗いのは残念です。ヨーロッパでは21時すぎてもまだ明るいですからね。 或る人にとっては、海外出張から日本に帰って来るとホットするらしいですが、 私の場合は、特にヨーロッパなどは時間がゆったりと動いている感じなので、 自分にテンポが合っている感じがします。なので、私は、ドイツに行くと「帰って来た」と思う程ホッとし、 日本に帰って来ると「あーあ、帰って来ちゃったなぁ」と思うのです。(^_^;; ともかく、ここ2週間は英語ドイツ語を使っていたので、日本人だとか何人だとか言うことも忘れていました。 日本にいるのに、何だか自分が外国人のように感じます。何故だかわからないけど・・・。


5/4/2000

*ミュンヘン〜ザルツブルグ(長い日記になってしまいました)

今ミュンヘンからオーストリアのザルツブルグに向う電車の中にいます。 所要時間は1時間30分ほどですが、このまま8時間も乗っていればハンガリーのブダペストまで行けます。 これを考えると、本当にヨーロピアンが羨ましい。陸続きでどこまでも行けるからだ。 今回は、ジャーマンレールパス(周遊券のようなもの?)を2日しか使っておらず、 新幹線ICE(イーツェーエー)に乗るチャンスはなかったのですが、この何の変哲もない2等車でも、 日本の新幹線のグリーン車より良いかも知れません。何しろこちらの列車の窓は大きくて、 外の景色が全開で見えます。右を見ても左を見ても、美しい景色が全部目の中を走り抜けて行くのです。

話は飛びますが、私はおとといハンブルグのデパートの中で、インターネットをつなげるところがあるのを見つけて、 自分のHPを見てみました。確か15分で2マルク(130円位)だったと思います。 Sはインターネットがどういうものかも知らなかったようで、かなり興奮している様子で、 私のHPのシンボルのすみれの絵などを見て"Schoen!(きれい)"を連発していました。 私のHPはバイリンガルバージョンにするつもりでいましたが、まだほとんど日本語のままですが(^_^;;、 ちょうど4年目前の冬の「盗まれたコート」の証しは元々英語で書いた証しなので、そこに登場しているS本人にそれを見せることが出来ました。 彼女は、「そうよ、そうよ、覚えているわ。あの時私はこう言ったのよね。そうそう、私がHに似合う赤いコートを見つけたのよね!」などと、 とても喜んで読んでいました。

Sの自慢のお母さんBともあの時会いましたが、今回は私の連絡が遅れた為に、残念ながらBとは会えませんでした。 4年前に初めて彼女に会った時、とても感じの良いエレガントな女性で、彼女は英語が出来ず私はドイツ語が初歩だったにもかかわらず、 すぐに打ち解けて心が通じ合う人だなと感じ、お互いに好きになりました。 Sのところに、お母さんからひっきりなしにFaxや携帯にメッセージが入り、何とも羨ましい親子関係だなと思っていました。 ところが、それは私がSのところに来ているからだったらしい。Hはハンブルグで何をしているのか、 ハンブルグを気に入ったようかどうか、楽しく過ごせているのか・・等。何て嬉しいんでしょう!

今、前方に山が見えて来ました。(^_^) 小さな湖も左側を通過しました。しかし、デンマークもそうでしたが、どこを見ても森や林、緑の草原で、 点在している家々はどれも可愛い。今、心身共に疲れている人には、イエス様のところに行くことをお勧めしますが、 次にお勧めするとしたら、この新緑の季節に列車でヨーロッパを旅することです。(^_^) 私もかつてはパッケージツアーに参加したものですが、至れり尽くせりも会って旅費がかかりすぎるし、 短い時間であれもこれも見なければいけないので、私の個人の旅行日程が「忙しい」のとは全然比べられない忙しさです。 ザルツブルグは7年前にパックツアーで母と行きましたが、充分に時間をかけて色々と見ることが出来ませんでした。 ですから、今回は好きなだけそこにいることが出来るので嬉しいです。写真も撮りまくるつもりです。

ミュンヘンに来てからは、殆どドイツ語で通しています。 一年以上振りでドイツ語を使ったので、ものすごく新鮮な喜びを感じています。 Sのお母さんBともドイツ語で電話で話すことが出来ました。 ハンブルグの空港に着いた時、Sに"Ich habe Alles vergessen!(全部忘れちゃった)"と言っていた私でしたが、 ドイツ語をたくさん耳で聞いているうちに、記憶がフラッシュバックして来て、 いつの間にか元のように話せるようになっていたのでした。 やっぱり、言葉は環境と慣れなのだな〜とつくづく思いました。

ミュンヘンに住んでいるA(ABCから教わったドイツ語の先生で、後に私のプライベートティーチャーになった)には、 今回彼が忙しすぎて会えないと思っていましたが、昨日私の到着前に、ホテルに手紙を残して置いてくれ、昨日オーバーアマガウに向う電車の中でそれを読んで、 明日の夜(今夜)会えることを知り本当に嬉しく思いました。 SやAは本当に心の通じ合う良い友達で、日本人の友達でもなかなかこういう友達はいないと思います。 あぁ、イエス様ありがとうございます。 あぁ、右にも山が見えて来ました。もうすぐ、モーツァルトの町ザルツブルグです。

予想通り、日本人だらけだった。(^_^;;その理由は、日本人はモーツァルトファンが多いからです。 ミラベル庭園で、結婚式を終えたカップルに出くわしました。でも、カップルが日本人だとわかると、 何だか興ざめしてしまいました。結婚式の時だけのにわかクリスチャンも多いですからね(^_^;;。 それにしても、ヨーロッパに来て教会を見て回っていると、残念ながら神様の御臨在を感じる教会は無きに等しいです。 観光客が自由に入れるようなところでは、商業化されているような教会も少なくないです。 又、マリア像などの前にロウソクを立てて拝んでいる光景を見ると、それは日本人が仏像を拝んでいるのと同じです。 拝む対象は神様お一人、マリアは人間にすぎません。しかも刻んだ像はキリストの像であったとしても、 それは拝む対象ではありません。偶像なのですからね。明らかに「十戒」に反します。

モーツァルトの生家の前は、ゲルトナーシュトラーセという通りで、看板が非常に美しいところで有名です。 後でHPに写真を載せるつもりです。その通りで、オーストリアの民族衣装のような洋服を売っているお店があり、 私はついつい惹かれて中に入ってしまいました。チロルっぽいドレスを見て、これはMaedchen(少女)だけなのかと聞いたら、 あらゆる年齢の女性だと言っていた。しかし、買ってもどこで着るのって感じですが・・・。(^_^;; でも、思わず買ってしまおうかと思った白いパーティドレスがあり、それは民族衣装っぽくて、 私がウエディングドレスとしてイメージしていたデザインに近いものでした。 心の中で葛藤がありました。『ウェディングドレスを先に買っても、パートナーがいないんじゃね〜。(^_^;;』とか、『あぁ、でも、 見ないで信じるのが信仰の行いだからなぁ。』とか・・・。(^_^;; 今回は買いませんでしたが、本当に結婚することになったら、絶対にオーストリアで仕入れるつもりです。(笑)


5/3/2000(夜)

*ミュンヘン〜オーバーアマガウ

今、ムルナウからミュンヘンに向う列車の中でこれを書いています。 ハンブルグ空港で、SやルームメイトのKと別れを惜しんでから、 昨夜細かく立てたスケジュールに沿って、今日の午後からはたった一人で行動することになりました。 Sとは笑顔で別れたものの、楽しかった分胸にぐっとくるものがあり、 空港ではしばらく目がうるうるしていたのでした。 ミュンヘン空港からはフルトハンザのエアポートバスに乗り、45分くらいでミュンヘン中央駅に着きました。

スーツケースをガラガラと押しながら、汗だくになってホテルに着きました。 空港で荷物が出てくるのが思ったより遅く、ホテルに荷物を置いてから16時ミュンヘン発ムルナウ行きの電車にはタッチの差で行かれてしまいました。(^_^;; ムルナウから更に4、50分行ったところにあるオーバーアマガウに行こうと思っていました。 乗り遅れたことで更に接続時間が悪くなりましたが、全ては主のお許しの中、私にとっては最善のことと受け止めました。 そう思っていたら、私はまだお昼を食べていないことに気が付きました。あぁ、神様は食事を取る時間をつくって下さったのね。 (国内線だったので機内食のお昼がなかったのです。(^_^;;)

ミュンヘンではずっとドイツ語で通そうと思った私は、駅の中にあるお店で、「Ich moechte Coke und etwas kleines zu essen.(コーラと何か小さい食べるものを下さい。 ←我ながら幼稚なドイツ語だ。(笑))」と言うと、店員はハムとチーズなどがはさんであるのを指差し、 これなんかはどうという感じで教えてくれたのでそれを注文しました。 さすがにミュンヘンはビールの街(10月には毎年オクトーバーフェストと言うビールのお祭りがあります)だけあって、 私の周りの人達はみんな大ジョッキでビールを飲んでいました。(^_^;;。

今回はずっと目茶苦茶お天気に恵まれた旅でした。ミュンヘンを出るときまでは。(^_^;; あんなに晴天だったのに、ムルナウに向う途中で雨がパラパラと、又、 途中ではザーザーと窓にかかっていました。『イエス様、どうか写真を撮る時は雨を降らせないで下さい。』と電車の中で祈っていましたら、 心に平安が来ましたので、お天気も主に委ねていました。 考えたらこのあたりはツークシュピッツェ(ドイツで一番高い山)などがあり、 山の天気なので晴れたり雨が降ったりするのは仕方のないことかも知れません。

オーバーアマガウに着いたのは6時30分過ぎでした。帰りの電車の時間を考えると、 ここで過ごせる時間はたったの一時間しかありませんでした。しかし、5000人ほどの小さな村を散策するには充分な時間でした。 ここは10年に一度キリスト受難劇が上演されるので、その時は村民の何倍もの観光客などで賑わうそうです。 今年は特にミレニアムと言うことで大いに盛り上がるに違いありません。 駅から数百メートルの間は雨に降られましたが、傘なしでも何とかなりました。 全て主にお委ねしていたので、「雨でも感謝です。」と讃美をしているうちに、いつの間にか雨は止んでいました。

ここの街並みは、他のドイツの家々と違い、木組みのおもちゃのような可愛い家ではなく、 代わりにそれぞれの家の壁には、キリストの受難などのフレスコ画が描かれていているのです。 写真を10日間撮り損ねたこともあり、私はここぞとばかりにバチバチ写真を取り捲りました。(^_^;; 最初はやっと来れたと喜んでいましたが、お土産屋さんの殆どが、所謂キリストやマリアの木像や十字架などを専門に売っているところばかりで、 これでもかこれでもかって感じでした。私はだんだんウンザリして来ました。 何か、信仰は純粋であるべきなのに、それを商売に利用しているように見えたからです。 (いえ、そう感じるのは私だけかも知れませんが・・。)


5/3/2000(昼)

今、ハンブルグからミュンヘンに向う飛行機の中で日記を書いています。 4月22日のシカゴから始って、ついさっきまで、ずっとそばに誰かが一緒だったので、 今回の旅行中に一人になったのは久しぶりのことです。 いつも海外に出る時は、ものすごく細かいスケジュールを、ワクワクしながら一ヶ月くらい前から立てます。 今回は、日本を発つ前々日くらいまで顔が腫れていたり、仕事が忙しかったこともあり、 友人に会って、ゆっくり身体を休ませてリフレッシュするのが目的でしたので、 旅程表を持たない海外旅行は初めてのことです。

昨日、自分が信じられないオバカだったということを知りました。写真を撮るのが大好きな私ですが、 今回は、お喋りをしている方がずっと楽しかったので、私としては珍しく写真を撮らなかったのです。 昨日Sと市民公園に散歩に行く前に気が付いたのですが、信じられないことに、私は4月22日から5月2日まで、 フィルムのないカメラを使っていたのでした。(^_^;;枚数が出て来ないのは、その部分だけ何か欠陥があるからだと思っていたのでした。 あまりにもフィルムが終らないので、今までのフィルムがだめになっても仕方ないと、 えいやっと蓋を開けてビックリしました。一瞬何が起ったのか理解出来ませんでしたが、 Sに「H、フィルムはどこ?」と言われて初めて、私は事実を理解し"Oh! Mein Gott!!!"と一瞬叫びました。 でも、すぐに気を取りなおして、Sに「S、大丈夫よ。これはね、又私がヨーロッパに来れるってことなのよ。(^_^)」と、 良い方に解釈する私でした。ショックではなかったのは、写真はなくても、私の旅のメモリーはしっかりと、 私の両目と耳と心に刻んで来たし、モーちゃん夫妻やSには又いつでも会えると思ったからです。

昨日Sと近くの市民公園(と言っても、日比谷公園の何十倍もある)の中を歩いていた時、 Sが「そもそも、Hは何でクリスチャンになったの?まだ聞いていなかったわね。」と聞いてきました。 4年前に話したような気がしていたのですが、実際はまだ話していなかったようです。 それで私は23才の4月に、高校の友達が5年ぶりに電話してきたところから「ドラマ」が始まったことを話しました。 その友達がクリスチャンになっていて、教会で結婚式を挙げるから来ないかと言われ、 その前に教会に初めて行った日に聖霊のバプテスマを受けたこと、そしてそれ以来から現在にいたるまで、 神様の「ミラクル」が日常的にずっと続いていることを話しました。

聖霊を受けた2ヶ月後の6月に、不思議な夢を見たこと、その夢は世の終りの夢で、 私が暗い空に金色に輝く十字架に携挙されたこと、そしてそれは後に夢の中で着ていた白い服が、 10月の自分の洗礼式で初めて見た洗礼服と同じものだったことから、 その夢は神様が見せて下さった私がクリスチャンになるという予告の夢だったのではないかと思うなどと話していました。 その後もいくつかの証しを話し、今失業中の彼女にとっては一番良い話、私の益となった神様の御計画の中にあった私の失業中のこと、 などをずいぶん時間をかけて思う存分証しをすることが出来たのはハレルヤ感謝でした。