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最終回「千両花嫁」
原作:不明(乞情報)

脚本:松平繁子
演出:伊豫田静弘
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[あらすじ]
 大八車を娘が引いて、千両町にやってくる。娘は辰の長屋へと越してきた。辰が
手伝おうと娘の所に行き、
「ここの住民の宝引の辰と申します。手伝いやしょう」顔を上げた娘を見て、辰は
見覚えがあるのか「どちらかでお目に掛かりましたね」と言った……。

      *       *      *     *

 算治の塾で勉強する鉄五郎と鶴を見ていた辰に、松吉の注進が入った。辰が話を
聞こうとしたとき、屋根から瓦が落ちてきた。能坂の所に行った辰は、十一年前に
捕らえた鎌いたちの九十郎の一味・錺り職の梅吉が島抜けをしたと聞かされる。鎌
いたち一味は、辰と能坂の初手柄でもあった。能坂も前夜、大川へ突き落とされそ
うになったという。
 梅吉の女房と娘は、住んでいた長屋を十一年前に引っ越し、行方が知れないとい
う。そのころ、柳は長屋に越してきた娘が妙だと辰に言っていた。そして、算治の
塾へ母を迎えに来た男十郎は、長屋で怪しい者を見かけた。
 松吉の調べによると、母娘は千住の小間物屋の二階に間借りしていたが、まもな
く母が死に、娘は川越の在に引き取られたという。
 その日の昼、長屋へ帰ってきた辰は、家から出てきた娘に行きあう。
「娘さん、何か不自由なことがあったら、遠慮なく言って下さい」というが、娘は
すげなく断り、出て行った。辰は柳に娘の名を訊いた。名はりんといった。彼女は
梅吉の娘だった。
 十一年前、梅吉はりんに「お雛さまを買って来てやる」と言って出て行ったきり
戻ってこなかった。りんは父を探しに出て行って、梅吉が縄にかかるのを見たのだ。
 お礼詣りのために梅吉がりんを送り込んだのか? 辰は、梅吉をおびき寄せるた
めにもりんのことは気付かぬ風を装い、泳がせようと言った
 川越から帰ってきた松吉の話では、りんは川越の在にいたが、その後日本橋の呉
服屋に勤めていた。それも、つい先頃暇を貰ったという。
 翌日、針仕事をしていたりんの元に若い男が訪ねてきた。だが、りんは彼を追い
出す。たまたま出会った算治は、この男から事情を訊いた。彼は、りんの勤めてい
た呉服問屋の手代で安次という。彼が独立するので所帯を持ちたいと付け文をした
ところ、りんは店を出て行ったというのだ。

 夜……。
 怪しい物音に気付いた辰は長屋を出た。梅吉が長屋へと忍んでいた。辰は彼を追
ったが、見失ってしまう……。

                               (以下省略)


[みどころ]
 ・梅吉と辰の会話。娘を思う父の心にはほろりとさせられる。そして、その後の
  梅吉の行動。りんの父に対する思いと鞠のモチーフ。
 ・最後のシーン。泡坂短篇シリーズではお馴染みの、あの趣向を映像化してくれ
  ている。

[感想]
 原作が不明なので「感想」ということになります。今回は最終回ということもあ
り、単行本にわざわざ書き下ろした「凧をみる武士」がドラマ化されるかと思った
のだが違っていた。今回の、本来の本筋である事件については[あらすじ]に示し
た通りであるが、実際には脇筋である松吉の結婚騒ぎがドラマの主であったと言っ
て間違いなかろう。本筋についてはよくあるパターン以外何物でもない。島抜けし
た科人の動機と主人公の捜査と危機感、科人の娘と主人公の交流、一つも新しい所
はない。その上、プロットとして見た場合も破綻がありすぎる。りんが千両町に越
して来た理由(テレビは説得力に欠ける)、辰や能坂の身に起きた危険(あれは一
体何だったのか)、りんが勤めていた店をやめた理由(引っ越しの理由にも関連)
と、いくら何でもこれは酷い。もっとも、こういった綻びは脚本家の責任ではない
のかも知れない。脚本を実際に映像化するときに演出の都合で変えられた可能性も
あるからだ。と、いうより、そうとでも考えないことには、この破綻は酷すぎる。
 本筋はこれくらいにして、脇筋の松吉の結婚だが、前回の照月と頓鈍に比べて唐
突という感は否めない。特に初については、シリーズ前半での算治との関係、「最
期の願い」事件(原作「芸者の首」)での若旦那との関係などがあり、松吉にした
ところで、シリーズ前半では景に気があるような描き方であった訳で、今一つ説得
力がない。シリーズ最終回の大団円の趣向のため、無理矢理所帯を持たせた感も強
い。
 さて、いろいろ悪口を言って来たが、最終回で脚本家は、見事に泡坂的大団円を
用意してくれたのは間違いない。泡坂短篇シリーズの最終回ではお馴染みの、あの
趣向をやってくれたのである。今回の話は、実際、これが一番のみどころという気
もする。
 時代考証について。捕者帳の使い方が気になった。「捕者帳」は、奉行所での記
録であり、今のような使われ方は『半七捕物帳』をもってその元祖とする。江戸時
代にああいった使い方をする筈がない。ただし、これは最終回の趣向にも関係して
くるので、一概に文句は言えないが。


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