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七段目


ほとんどエキセントリックなまでに芝居好きの若旦那が登場する「七段目」、科白の端々に歌舞伎の引用がちりばめられている。ここでは、現在入手可能な三つの録音に即して上方落語「七段目」に見える芝居の引用を説明する。

この「七段目」は、上方では大きく二つの演じ方がある。一つは東京と同じく素噺で演じる方法(〈素噺系〉と略記)、もう一つは上方落語らしい「はめ物」を使って賑やかに演じる方法(〈音曲系〉と略記)。三つの録音では小米朝が前者、文珍、吉朝が後者に当たる。
この二つの演じ方では、細かい段取りも違うのだが、最初に出てくる違いは若旦那が芝居好きであるということで親旦那が出すエピソード。これは〈音曲系〉の録音にしか見られない。内容は、親の手伝いをすると云って帳場に若旦那が座っているときに巡礼の親子が来る、というもの。若旦那が巡礼の子供を見て「見れば見るほど可愛らしい巡礼の子。して、国は?」と問うと子供は「大和の郡山」「なに、大和の郡山? そんな筈はない。阿波の鳴門じゃろう」「いえ、大和の郡山」「まだ云うか!」と子供を殴ってしまう。ここで若旦那がつい芝居になってしまったのが『傾城阿波の鳴門』。生き別れになった娘・お鶴が巡礼の姿で偶然、母親・お弓の元を訪ねてくる(お鶴はお弓が母親と知らない)。そこで出てくるのが「父(とと)様の名は、阿波の十郎兵衛」で有名な科白。この芝居があるので若旦那は「阿波の鳴門じゃろう」となってしまったのだ。

若旦那が帰ってきて、親旦那に説教される。その時、若旦那の科白が芝居狂いらしく芝居の引用で成り立っているのだが、その科白と元になった芝居を、噺家別の一覧表の形で説明する。
桂文珍(CD:SONY SRCL4437) 桂吉朝
(CD:東芝EMI TOCF-55063)
桂小米朝(CD:東芝EMI TOCZ-5205)
暫く暫く暫く
『暫』の鎌倉権五郎の科白。悪人に善人たちが殺されようとする、まさにその時「しーばーらーくー しーばーらーくー 暫く暫く暫く 暫プゥーーーー!」と、揚げ幕の中から声を掛け、花道から現れる。
(なし)
この柔らかなる物は
おそらく『鳴神』の鳴神上人の科白と思われる。雲の絶間姫の胸に触ってしまった時、「味なものがある。くくり枕のような……先の方に取っ手がある」という科白が『鳴神』にあるのだが、文珍はそれを崩した形で使っているのではないか(以降で説明するように、文珍の演出では、実際の芝居とはかけ離れる部分が多々見られる)。
(なし)
チャリーン
役者が鳥家(とや:花道の奥にある、役者の控え場所)から花道へ出るとき、花道と鳥家を仕切る幕(揚げ幕)が引かれて、役者が出る。この、揚げ幕が引かれたときに出る音。文珍演ずる若旦那は、店の暖簾を揚げ幕よろしくチャリーンと引いてしまう。それで親旦那が「お前か、いつも暖簾を片方へ寄せるのは。ここは花道やないねんで」と怒る羽目になる。
(なし)
遅なわりしは、拙者重々の誤り、さりながら御前に出づるはまだ間もあらんと、お次に控えおりました。
『假名手本忠臣藏』三段目の塩冶判官(史実の赤穂事件での浅野内匠頭の役)の科白。賄賂を受け取ったため前日までいびっていた桃井若狭助に頭を下げる羽目になって憤懣やるかたない高師直(史実の吉良上野介の役)の前へ現れた塩冶判官。師直の八つ当たりの「遅い!」を受けて詫びを云うが、その時の科白。落語では親旦那の「遅い!」をきっかけに若旦那の芝居の科白尽くしが始まってしまう。
そりゃ妾(わらわ)とて同じこと。
不明(ご存じの方がおられましたら、お教え下さい)。
(なし)
枝振り悪い桜木は切って接ぎ木を致さねば、太宰の家が立ちませぬ。
『妹背山女庭訓』の「吉野川」の段での定高(さだか)の科白。娘・雛鳥を入内させよ、せねば娘の恋人・久我之助を殺す、との蘇我入鹿の命に対し、久我之助を助けるために娘に死ぬよう言い含めようと家へ帰る。その道で久我之助の父・大判事に会った定高が、娘を入内させることにした、云うことを聞かなくとも是非はない。「枝振り悪い……」と、心にないことを云う。落語ではお店の行く末を心配している親旦那に云って、神経を逆なでしてしまうのだが……。
(なし)
おいたわしや親父様、そのお嘆きはご無用に。常が常なら梶原が身代わり食うて行きますまい。
『義経千本桜』の「鮨屋」の段でのいがみの権太の科白。関西弁の「ゴンタ」の語源になったごろつきであるが、父の下に身を潜めていた平維盛を助けようと大芝居を打つ。自分の息子と嫁を維盛の妻と子、拾った首を維盛の首と偽って梶原景時に引き渡す。父は本当に権太が維盛を殺して妻子を引き渡したと思いこんで権太を刺してしまうのだが、瀕死の権太から事の真相を聞く。それで嘆いた父が、(権太)の常が常であれば(堅気であれば)裏切ったと思って刺すこともなかったのにと泣きながら云うのに対し、権太が云ったのがこの科白。自分が親不孝のごろつきであるから梶原も騙されたのだ、ということなのだが、文珍の演出ではここで「常が常ならこの梶原が」と、梶原の科白にしてしまっている。科白の調子も瀕死の権太ではなく、元気な梶原の言葉、といった調子で話してしまっている。芝居を知らない観客を笑わせるための改変であろうが、芝居狂いの若旦那ということから考えても、元の芝居からあまりにもかけ離れた演出には問題がある。
(なし) そりゃ、私を座敷牢に? そりゃまぁ、あまりな言葉。
不明(ご存じの方がおられましたら、お教え下さい)。
こりゃこれ男の生面(いきつら)を!
『夏祭浪花鑑』で団七九郎兵衛が舅義平次に額を割られ、つい逆上して云う科白。下駄で頭を殴られた時には、舅の機嫌を直そうと下手に出ていたが、額をさわると傷がある。それで上記の科白となる。その後は、また舅の機嫌を直そうとする。
小米朝の演出では親旦那に頭を殴られた若旦那が「痛いなぁ、お父っつぁん」と若旦那の地に戻って科白を云い、そこから「こりゃこれ男の……」と、芝居の科白へ移る。親が殴ったところから舅に額を割られた『夏祭』という連想であることをはっきり示している。
吉朝の演出になると「どこのどなたか存じませんが、手荒なことを」という科白が入り(これも、おそらく元になる芝居があると思われるものの不明。ご存じの方、ご教示下さい)、額に手をやってから上記の科白になる。
問題のあるのは文珍の演出で、文珍は「どこのどなたか存じませんが、こりゃこれ男の……」と演っている。そのため、「誰か解らない人間に額を割られた」ことになってしまう。これでは「親に殴られた」→「舅に額を割られた」という連想が生きてこないし、「どこのどなたか」では、『夏祭』の芝居ではなくなってしまう。
もう料簡が!(番頭:「若旦さん、やめなはれ」)……誰かと思えばこの家の番頭かぁ。折角お前が止めるから。やい親父! 今日はこのまま帰ってやるが、晦日に月の出る廓(さと)も、闇があるから覚えていろ。
『御所五郎藏』で、主人公御所五郎藏が、仕方なく苦界に身を沈めさせた妻・皐月から愛想尽かしをされた時に云う科白。小米朝のCDでは、この部分で市川團十郎の声色を使っている。
兄(あに)さん、ビビビビー!
『義経千本桜』の「鮨屋」の段で、実家に金をせびりに来たいがみの権太に対して妹・お里が云う科白。
若旦那の芝居狂い振りの演技ではもっともテンションが高いのが文珍だが、この科白で若旦那のエキセントリックさが頂点に達した感がある。
(なし) しからば御免。後刻対面致すでござろう。
不明(ご存じの方がおられましたら、お教え下さい)。
おお、これよ。この太鼓を打つときは、町々の木戸も開き、吉祥寺へも行かれるとのこと。打てば答ゆる櫓の太鼓。
八百屋お七の科白。芝居では櫓の上にあるのが半鐘ではなく、太鼓になっている(五代目岩井半四郎の工夫)。現在、人形振りでお七が演じられるのは『松竹梅湯島掛額』。落語の舞台が明治であるとして、その場合には、『松竹梅湯島掛額』に櫓の部分が取り入れられた黙阿弥の芝居『松竹梅雪曙』ということになる。落語では、二階へ上がる梯子段を見て若旦那がまた芝居の真似をしてしまうところ。
(なし) 翼が欲しい、羽根が欲しい。
『本朝廿四孝』「奥庭狐火」の段で、父長尾景虎が許嫁武田勝頼を殺そうと討手を差し向けたと知った八重垣姫の科白、勝頼の下へと行きたい気持ちで出る科白なのだが、落語では二階へ上げられてしまった(父に監禁された、と云えなくもない)若旦那が表へ出たくて云う。

と、ここで二階の若旦那がさっきまで観ていた芝居について思い出す(これが行き過ぎて、また怒られることになるのだが)。
小米朝では、思い出すのは『忠臣藏』の五段目、山崎街道で与市兵衛が斧定九郎に殺されるところ。この与市兵衛殺しだが、現行の歌舞伎では、多く江戸型の演出で行われている。これは稲藁の前に座っている与市兵衛が五十両入りの財布を出したところ、藁の中から手が伸び、財布を取ってしまう。気づいた与市兵衛が立ち上がり、藁へ向かったところで刀が藁の中から出てきて与市兵衛を刺し殺す。藁の中から出てきたのが定九郎、刀を着物の裾で拭い、懐手で財布の中の金の高を数え「五十両」と云う。この演出は与市兵衛と定九郎との二役を早替りで行った時に出来たと云われるが、平成11年3月に大阪松竹座で、上方式で演じられた『假名手本忠臣藏』通し狂言でも、五段目はこの江戸型の演出だった。対して小米朝が噺で出しているのは、義太夫の本文に即した演出。山崎街道を家へ帰る与市兵衛の後ろから「おおい、おおい、親父殿」と追いついてくるのが定九郎。そして金を出せと云い、与市兵衛を殺す。上方の古い演出がそのまま噺に残っている。
吉朝の場合、同じ『忠臣蔵』でも、出てくるのは三段目の返し、「裏門」の場。平成11年3月大阪松竹座の『假名手本忠臣藏』通し狂言では演じてくれたが、江戸型の演出では省かれている。その代わりに江戸型では清元を使った所作『道行旅路の花聟(落人)』を四段目の後に演じることが多い。「裏門」は、その前の場(殿中松の間)で師直に斬りかかった判官が取り押さえられた直後の場となる。腰元お軽と逢い引きしていて持ち場を離れていた早野勘平が事件を聞き裏門まで駆けつける。もう騒ぎが終わったと知り、大事の場に居合わさなかった自分の不手際を死んで詫びようと腹を切ろうとするがお軽が止め、そのまま自分の実家へ落ち延びるよう説得する。そこへ師直の家老・鷺坂伴内が家来を引き連れて現れ、お軽を自分のものにしようとする。立ち回りの末に伴内を下した勘平がお軽と共に駆け落ちする、という筋。江戸型の『道行旅路の花聟(落人)』は、すでにお軽の実家へと旅をしている勘平たちのところへ伴内が家来を引き連れて現れ、立ち回りとなるもの。ここでも上方歌舞伎の古い演出が残っている(余談だが、この「裏門」の場は「質屋芝居」でも出てくる)。吉朝は、ここで仁左衛門が勘平を演じている、と云っている。その後で掛け声で「松嶋屋!」「成駒屋!」と云っていることから考えると、お軽は中村鴈治郎ということになりそうだ。
文珍の場合も、小米朝と同じく『忠臣藏』の五段目。ただしこちらは与市兵衛殺しの少し前、駆け落ち後、猟師となった勘平の最初の登場のところで勘平が笠を取って顔を見せる場面をやっている。ただ、後述の定吉とのやりとりから考えれば、文珍の演出に疑問が残る点もある。

若旦那がまた芝居の真似をしている、それをやめさせようと親旦那が丁稚の定吉を二階へ上げるのだが、ここで先に云った〈素噺系〉と〈音曲系〉の大きな違いがでる。
まづ、東京でも演じられる〈素噺〉系の演出として小米朝のを見てみよう。小米朝の演出では、定吉が二階へ上がると若旦那が猪の真似をして部屋の中を走り回っている。「若旦那」と云っても聞こえないようなので、芝居の真似で「見れば、ご家内に何やら取り込み事のある様子。千崎弥五郎、これにて失礼つかまつる」「ああ、いや、ずんと些細な内緒事じゃ。お構いなくとも、お通りくだされ千崎弥五郎殿」「しからば御免……ああ、やっと入れた」となる。ここで、猪が走り回っているのは、先の『忠臣藏』五段目の与市兵衛殺しの直後の場面。定九郎が金を手にしたところへ猪が走ってくる。物陰に隠れて猪をやり過ごした定九郎が再び現れると、銃声がする。勘平が猪を撃った弾なのだが、それが間違えて定九郎に当たってしまう。間違えて人を撃った勘平が、介抱しようと定九郎の死体を探るうちに五十両の入った財布(先に与市兵衛から奪ったもの)を見つける。これを主君仇討ちの軍資金として由良之助に届けようと、出来心が起こり、金を手にその場から逃げてしまう、という場面なのだが、その猪の出を若旦那が真似している。対して定吉の科白はその後の六段目の中のもの。勘平の住居に与市兵衛の死体が運び込まれてくる。勘平は自分が与市兵衛を殺してしまったと思いこんでいる。姑(お軽の母)のおかやも勘平の様子がおかしいのに気づき、懐から与市兵衛の財布が出てくるに及んで、勘平が与市兵衛を殺したと誤解、勘平をなじる。そこへ訪ねてきたのが同志の千崎弥五郎。中の諍いを見て「見れば、ご家内に……」の科白となる。それに対して勘平が「ああ、いや、……」と科白を云う。小米朝の演出では、若旦那の一人芝居(五段目)→定吉とのやりとり(六段目)ときて、二人でする芝居を「七段目」としている。『忠臣藏』の筋に沿って真似も進んでいる。
〈音曲系〉として、まづ吉朝の演出と実際の芝居との関係を見てゆこう。定吉が二階へ上がると、若旦那が目を剥いて芝居の真似をしている。ここで定吉が芝居掛かりで芝居の真似をやめさせようとするのだが、三味線に義太夫、芝居のツケ打ちが入って派手な演出になっている。定吉が声を張り上げ「ヤアヤア、若旦那! 芝居の真似をやめれば良し、やめぬなんぞとぬかすが最後、とっ捕まえて、ひっ捕まえて、やりゃあしょまいが、返答は? サァ、サァ、ササササササ、若旦那返事は、何と、何と!」と三味線の糸に乗って云い、義太夫が「何と何とと詰め寄ったり」と続く。それで若旦那も「良いところへ丁稚の定吉。おのれ一羽で食いたらねど、この作次郎が腕の細根深、料理塩梅、食ろうて見よエェー!」と応じ、義太夫も「大手を拡げて、身構えたり」と続く。そして、立ち回りになって、階下の親旦那にまた怒られることになる。文珍の場合、定吉の芝居掛かりだけで、あとは略される(これが時間の都合なのか、文珍の演出上の解釈なのかは不明。以前に「平成紅梅亭』で七段目を演じたときも略されていた)。定吉の芝居を見た若旦那が「定吉、お前巧いなぁ。一緒に芝居しよか」となる。
さて、この派手な芝居掛かりの応酬だが、吉朝の演出で若旦那が思いだしている『忠臣蔵』三段目の返し、「裏門」のパロディなのだ。伴内が「ヤアヤア勘平。うぬが主人の塩冶判官、おらが旦那の師直様と、何か知らぬが殿中において、あっちゃの方でぼっちゃくちゃ、こっちゃの方でべっちゃくちゃ、ちゃっちゃむちゃくちゃ話した後で、小サ刀をちょっと抜いて、ちょっと切った科によって、屋敷は閉門網乗物にてエッサッサエッサッサ、エッサエッサエッサッサとぼっ帰した。追付けお首が飛ぶは知れた事。サア、これからはうぬが番、お軽を身どもに渡せば良し、いやじゃなんぞとぬかすが最後、なぶり殺しだ覚悟しろ」と迫り、「覚悟ひろげとひしめいたり」と義太夫が入る(もっとも、本文〈白水社『仮名手本忠臣蔵』〉ではこうなっているが、実際の舞台では「とっ捕まえて、ひっ捕まえて、やりゃあしょまいが、返答は〈あるいは『絡め取ろうが、合点か』〉。サァ、サァ、サササササ、勘平返事は、何と、何と!」と迫ることも多い)。対して勘平は「ヤアよい所へ鷺坂伴内。おのれ一羽で喰ひ足らねど、勘平が腕の細ねぶか、料理塩梅喰らふて見よ」とあり、立ち回りになる(余談だが、この場面は「小倉船」でもパロディとして使われている)。
先に文珍の演じる若旦那が考えている芝居について「疑問が残る」としたのは、まさにこの点なのだ。吉朝の演出だと、若旦那が「裏門」を思い出しながら掛け声を掛けたり目を剥いたりしている。そこへ定吉が伴内として入り込んでくる、というつながりになっていて無理がない。対して文珍の演出だと、駆け落ち後の勘平の登場する五段目から一度駆け落ち前の「裏門」になって、その後七段目に飛ぶ、という形になり、時間の流れが錯綜してしまうのだ。

続いて若旦那と定吉が七段目の芝居を始めるのだが、ここからは〈素噺系〉でもはめ物が入る。小米朝文珍では、ともに「隣の稽古屋が三味線の稽古を始めた」ので、その三味線に乗って芝居をしよう、という科白が入る。小米朝の場合、今まではめ物が入っていなかったので、ここで初めて三味線の音が入る合理的な理由付けになっている(とはいえ、あまりに都合良すぎるので、笑ってしまうのは確かだが)。しかし文珍の場合、こういう科白を入れるべきではないのではないか。「ヤアヤア、若旦那」以降、何の説明もなく義太夫が入ってきているので、七段目の芝居のところだけ稽古屋の三味線と辻褄を合わせたところで意味がない。客は、少なくとも芝居掛かりになったところで音が入ること自体には違和感を感じていないのだから。そういう意味で吉朝がこの科白を省略したのは見識といえる。この先の芝居の真似については細かい内容に立ち入らない。ここで例を挙げた三者とも、落語の短い時間の中で、巧く芝居をダイジェストにしている。意外だったのが文珍で、これまで相当に芝居の元ネタをいじっていたのに、七段目の芝居に入ってからは、もとの芝居に忠実に演じている。これはちょっと驚いた。平右衛門がお軽を殺そうとする、その決心を省略せずに科白で表しているのは文珍だけだ(この平右衛門の科白であるが、役者によってもいろいろと違ってきている。白水社『仮名手本忠臣蔵』では、小米朝の科白と同じ科白が収録されている)。
さて、ここで若旦那の芝居に熱が入り、本当に刀を抜いてしまうところになるが、芝居の引用の解説という内容とは違うものの、演出の違いが見えて面白いので記してみる。平右衛門(若旦那)とお軽(定吉)の会話を簡単に記すと、

  1. 平右衛門(以降「平」)「久しぶりに会うた兄の頼み、妹、聞いてはくれぬか?」
  2. お軽(以降「軽」)「兄(あに)さんの頼みとは?」
  3. 平「兄の頼みとはな」
  4. 軽「兄さんの頼みとは?」
  5. 平「兄の頼みと、いうはなあ」
  6. 軽「兄さんの頼みとは?」
  7. 平「妹、われの命は、この兄が貰うた!」

ここで、小米朝吉朝は5.の部分で芝居に熱中する若旦那を見せる。観客も「ああ、こいつほんまに抜きよるで」と笑いが出る。そして、それを受けた形で定吉が6.で「ああ、若旦さん、本気になりよった」と云わんばかりの様子で科白を云う。これはこれで面白いのだが、文珍はそれを少し捻っている。文珍は4.の科白で「(若旦那のただならぬ気配に気づいて)あ、兄さんの頼みとは?」と演じ、5.で若旦那のただならぬ様子を見せる。それを受けた6.で定吉は「あああ、どないしょー、目が本気やで、斬られるー」といった様子で、逃げ腰になって科白を云う。文珍の演出では、若旦那の変化を定吉の演技で見せているのだ。演出としても効果としてもこちらの方が面白い。

「七段目」と芝居の引用については以上の通り。あと、余談ながらサゲについて簡単に触れたい。
「七段目」には科白のやりとりが正反対の二種類のサゲがあるのだが、その二つとも録音で聞くことができる。若旦那が刀を振り回したので定吉が逃げて二階から落ちる。それを介抱した親旦那と定吉のやりとりがサゲになるわけだが、文珍吉朝では

親旦那「ははーん、二階で倅と芝居の真似をしてたんじゃろ。芝居をしてて梯子段のてっぺんから落ちたんか」
定吉「いいえ、七段目」

となる。対して小米朝では

親旦那「赤いべべ着て勘平さんやなんて、ははー、茶屋場の真似をしてくさったんやがな。おまはん、茶屋場をやってて落ちたやろ。いやさ、七段目で落ちたな」
定吉「いや、てっぺんから落ちました」

親旦那が芝居を知っている(若旦那を叱るのは「倅の芝居好き、あれは行き過ぎじゃ」と、あくまで芝居好きの度が過ぎている点)ので、どちらでもサゲが成り立つ(個人的には小米朝のサゲのほうが好みであるが)。東京型の「七段目」で時に見られるような、芝居を全く知らない大旦那では、サゲは前者のパターンしかなくなってしまう。面白い点なので、あえてメモにしてみた。

〈余談・桂吉朝の録音の枕について〉
本来、枕は高座や噺家によって、それこそ機会ごとに違うものなので、枕の説明は意味がない。ただ、参考として使用した桂吉朝の録音で、枕の部分に芝居の引用があったので簡単に説明する。
芝居好きな人間が、犬に足を掛けて「ああら、怪しやなあ!」……おのれの方が余程怪しい、という下り。この枕、米朝も『蔵丁稚』や『足上がり』で時々使うのだが、『伽羅(めいぼく)先代萩』の「床下」の場になっている。これに先立つ「御殿」の場で、悪党仁木弾正が鼠に化けて謀反の連判状を持ち出す。そのまま舞台がせり上がり、「床下」の場になるのだが、ここで床下の警護をしていた荒獅子男之助が巨大な鼠(役者が鼠の縫いぐるみを着ている)を踏み敷いてせり上がってくるのだ。その男之助の第一声が「ああら、怪しやなあ」である。芝居狂いの人間が寝ている犬を見て男之助の真似をする、ということ。当然、犬は驚いて「ワンワンワン!」「ヘ、芝居心のねえ犬だ」……犬に芝居心があってたまるかいな、となる。
蛇足ながら説明した次第。


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