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上方落語に出てくる芝居


上方落語の中の、ほんのちょっとしたところに芝居の科白や浄瑠璃が出てくることがある。本筋とは全く関係ないのでそのまま聞き流すことが多い。ここではそういった「一言」を取り出し、簡単に説明する。

目次

愛宕山 お玉牛 けんげしゃ茶屋 小倉船 鹿政談 善光寺骨寄せ 土橋万歳 七度狐 質屋蔵 不動坊 宿屋仇


愛宕山

旦那の真似をして一八がかわらけ投げをするところ。旦那の「お染久松比翼投げ」を真似て投げたものの、二枚のかわらけは「右と左へ……泣き別れ。野崎村のお染久松やな」というくだり。お染久松は、歌舞伎や浄瑠璃で有名な恋人同士。「野崎村」はお染久松ものの義太夫(歌舞伎にも移植された)『新版歌祭文』の中の一場。歌舞伎では下手の花道を駕籠に乗った久松が、上手の仮花道を舟に乗ったお染と母親が、それぞれ引っ込んで幕となる。つまり、右と左の花道を別々に退場する。それを下敷きに一八が「野崎村」のお染久松、としゃれたわけだ。なお、この両花道を使った引っ込みの時に使われる下座音楽を落語の出囃子にしたのが「野崎」。桂春團治の出囃子である。
次に、傘を手に崖から飛び降りた幇間の一八、小判を探すがそこに出てくる「ここで三両、かしこで五両」という科白。『慶安太平記(丸橋忠弥)』で、酔っぱらった振りをした丸橋忠弥が、犬に石を投げるを見せかけて江戸城の堀の深さを(石を投げて)測る、その時の忠弥の科白に「此処で三合、彼処で五合、拾い集めて三升ばかり」と、いうのがある。それを一八が使っているのだ。

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お玉牛

『噺の肴』で小佐田定雄が指摘しているが、今、噺として話されている「お玉牛」は後半の部分で、通常カットされる前半ではお玉の出生が語られる。これが『累』狂言のパロディになっているそうなのだ(実際に噺を聴いたことがないので自信なし)。さて、村の若いもんがお玉ちゃんの噂をしている。ちょうど あばばの茂平の話が終わったところで こつきの源太が来る。なんとお玉を脅して「うん」と言わせたというのだ。その後夜這いとなるわけだが、同じく『噺の肴』で小佐田定雄が指摘しているが、もともとは茂平が夜這いに行くことになっていたらしい(事実、宇井無愁『落語のみなもと』では、茂平が夜這いに行くことになっている)。つまり夜這いの部分が近松の『大経師昔暦』のパロディになっているというのだ。『大経師』の冒頭で、夫である大経師が下女、お玉に横恋慕しているのを懲らしめるため妻のおさんがお玉と入れ替わって寝所に入っている。一方、手代の茂兵衛がその日危地に陥っている時にお玉に助けられる。茂兵衛は、お玉が自分に思いを寄せているのを知っていて、せめて一度なりとも思いを叶えてやり、恩に報いようとお玉の寝所へ忍んで行く。暗闇の中、お互い相手が誰か判らなかったおさんと茂兵衛は、心ならずも不義を犯してしまうことになる。源太の科白に「玉の寝間は台所の次の間……。こっから忍んで……、おッ、そうじゃ」とあるが、これがあばばの茂平の科白であれば、そのまま『大経師』の茂兵衛と同じになる。(この部分、『噺の肴』にほぼ全面依拠)

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けんげしゃ茶屋

元日にミナミの茶屋へ遊びに行った村上の旦さん、やたらに縁起を担ぐ親子の前で散々に縁起の悪いことを云う。その中で、煮染めの名前を訊くところで「これは?」「干瓢」「干瓢さんは三十に、なるやならずで……と云うたら、また気にするじゃろ」という科白がある。この部分、『忠臣藏』七段目のお軽の科白。兄の寺岡平右衛門から父与市兵衛と夫勘平の死を聞かされたお軽は、悲しみながら「勿体ないが父(とと)さんは、非業な死でもお年の上、勘平さんは三十に、なるやならずで死ぬるとは、さぞ悲しかろ、口惜しかろ」というのだが、正月早々死人、それも腹を切って死んだ人間の話では、なるほど確かに縁起が悪い。

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小倉船(龍宮界龍の都)

竜宮城で浦島太郎に間違われたあたりから芝居のパロディになる。鯛や鮃の官女が順番に科白を言うところを、両手の指を使って「この官女が……」と表しているが、歌舞伎でよくある演出。腰元や侍がずらっと並び、一人が一言か二言づつ科白を云う。それがちょうど全体で一つの科白になっていて、最後の一言だけを全員が云う、というもの。
その後、河豚腸長安が出てきて云う「者ども、参れ参れ!」「ヤアヤア、偽浦島! うぬが所持なす珊瑚樹、ごじゃごじゃなしに渡せばよし、厭じゃなんぞとぬかすが最後、絡め捕ろうが返答は。サア、サア、サササササ、浦島返事は何と、何と」とそれに続く義太夫、続いての偽浦島の科白「良い所へ河豚腸長安、おのれ一尾で喰い足らねど、この浦島が腕の細根深、料理塩梅、喰ろうてみよ、エー」は『忠臣藏』三段目「裏門」での鷺坂伴内と早野勘平の科白のパロディ(詳しい科白は「七段目」参照)。
続いての立ち回りを指で見せる場面も、そのまま歌舞伎の立ち回りのパロディとなっている。指を二本、Vの字に出すのは、歌舞伎で四天が倒されたときによくやる「ひっくり返って、足だけをVの字に立てる」ポーズのパロディ。歌舞伎の立ち回りでは、やられた人間が絵になるポーズでひっくり返ったり、とんぼを切ったりする。それをこの場面で「象徴的」に見せているわけだ。

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鹿政談

犬と間違え鹿を殺してしまった豆腐屋、お白州でそのいきさつを話す時、犬が切らず(「おから」のこと)を食べていたので割り木を投げたところ当たり所が悪く死んでしまった。死骸を見に行くと「犬にはあらで、これ鹿。南無三宝。薬はなきかと懐中を」とやってしまい奉行から「控えい、今のは忠臣藏六段目じゃ」と云われる。さて、六段目の中での科白だが、舅与市兵衛を殺し金を奪ったのだと思った同志に責められた勘平が、誤って舅を撃ってしまったことを述懐する場面で出てくる(実際には、舅を殺したのは定九郎で、勘平はその定九郎を撃ち殺していたのだが)。猪を撃ったところ手応えがあったので早速見に行った。死体を見ると「猪(しし)にはあらで、これ人。南無三宝。薬はなきかと懐中を」探ったところ五十両の金が見つかった、という。豆腐屋がつい芝居掛かりになって出た科白。

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善光寺骨寄せ

桂歌之助の持ちネタ。善光寺にある血脈の印を地獄の石川五右衛門が盗み出す、という噺なのだが、五右衛門自体が芝居のエピソードで知られる人物。閻魔大王に云う「豊太閤殿下のご寝所深く忍び入り、千鳥の香炉を盗み出したほどの」というのも、歌舞伎のエピソードから。『楼門(さんもん)五三桐』に、真柴久吉(史実の豊臣秀吉)を暗殺しようと寝所へ忍び込むも千鳥の香炉が鳴いて久吉に気づかれる、という場面がある。なお、この『楼門五三桐』に有名な南禅寺山門での「絶景かな絶景かな」の科白がある。
筋自体は江戸落語の「お血脈」と同じなのだが、上方落語での呼び物は「骨寄せ」の趣向。散っていた骨がだんだん集まり、人間の姿になる、というのを高座で、実際に骸骨の人形を使って見せるのだ。この部分は歌之助の説明にもあるように『鏡山再(ごにちの)岩藤』にある「骨寄せ」の趣向を高座で再現したもの。『加賀見山旧(こきょうの)錦絵』の後日譚で、『加賀見山』で討たれた局岩藤の骨が集まってきて亡霊として復活する、というもの。骨が寄り集まって人間の姿になり、人間の役者と入れ替わる。その後日傘をさしたままの宙乗りで舞台の上を飛び回る。市川猿之助演じる岩藤は、宙乗りでそのまま花道上空を飛び、三階席へ消える。それで歌之助が「私も高座からしゅー、っと宙乗りで消えたいと師匠米朝に云いましたところ、『アホ!』の一言でございました」というギャグになる。

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土橋万歳

話の後半、追い剥ぎに化けた番頭が若旦那や色町の芸妓たちを驚かし、一人逃げ遅れた若旦那に説教をする。ところが若旦那は番頭の意見に反論し、その上番頭を打擲する。番頭は額を割られるが自制心を取り戻す。そこへ若旦那が「さあ斬れ!」と詰め寄った。たまたま刀が鞘走ったため若旦那が傷を負い、覚悟を決めた番頭は若旦那を殺す。……実は番頭・若旦那ともに同じ夢を見ていた、という展開となるのだが、この若旦那殺しの場、そのまま『夏祭浪花鑑』の長町裏の場のパロディになっている。
『夏祭』では主人公・団七九郎兵衛の恩人の息子の恋人を舅・義平次が金にしようと駕籠で連れ去る。その駕籠を追ってきた団七は金をやるから駕籠を帰してくれ、と舅を騙し、駕籠を帰す。金の話は実は嘘であると解った義平次は怒りにまかせて団七を打擲する。額を割られたことに気づいた団七は「こりゃこれ男の生き面を!」と怒りに我を忘れそうになるが、なんとか自制心を取り戻す(余談ではあるが、この「こりゃこれ男の……」の科白は、「七段目」で親旦那にぶたれた若旦那が使っている)。ところが義平次は「さあ斬れ!」と団七に詰め寄る。揉み合っているうちに刀が鞘走り、傷を負った義平次を、団七は覚悟を決めて手に掛ける。やむにやまれぬ事情から嘘をつくこと、嘘がばれて打擲されること、額を割られても自制し、その後鞘走って相手を傷つけてしまってから覚悟を決めて殺人を犯すこと、と、団七九郎兵衛=義平次の関係をそっくり番頭=若旦那に移し替えている。歌舞伎ではだんじり囃子をバックに泥田の中で立ち回りがあり(舞台の上で、本当に泥の入った水槽を用意して演じる)、凄絶かつ美しい殺し場になっているのだが、落語でもお囃子を背景にして芝居がかった殺し場を演じてくれる。

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七度狐

喜六清八が煮売り屋で盗んだ木の芽和えを食べ、入っていたすり鉢を捨てたところ七度狐に当たってしまう。怒った狐の科白が(口調をできるだけ忠実に表すと)「悪いやーつーな! おのれーー憎いは二人の旅人。人のものをーー盗み食ろうーばかりでなく、ようもーー稲荷のーー使いたる、狐にーー手傷をーー負わせたな。思い知らせんー、今に見よ!」。この部分であるが、歌舞伎や浄瑠璃の「狐言葉」を使っている。狐がしゃべる場合、科白に詰まった部分と伸びた部分を作って、科白自体を伸縮させる(歌舞伎だと『義経千本桜』の「河連法眼館」の狐忠信の言葉が解りやすい)。狐が人の言葉をしゃべるので、落語でもこういった喋り方を使っている。

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質屋蔵

質屋の三番蔵の怪異、人の思いのこもった質草が命を吹き込まれて動き出す。そしてサゲでは大旦那の前へ菅原道真公の絵像がやってきて「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな……そちゃこの店の主なるか? 質置き主に疾く利上げをせよと伝えよ。どうやらまた、流されそうなわい」でサゲになる。さて、この菅公の絵像を質入れした人であるが、桂米朝の口演では「角のシヘーさん」となっている。演者によって、この部分を「藤原さん」とすることもあるが、「シヘー」に漢字を当てると「時平」になる。さきの「藤原さん」もそうであるが、これは「藤原時平」を引っかけている。讒言によって菅原道真を太宰府へ流した張本人が藤原時平、質屋で質草の菅公の絵像を流しそうになっているのが「角の時平さん」というギャグだ。
現在では、「時平」と書いて「ときひら」と読むし、諱は通常訓読みで読むことから考えてもこれが当たり前の読み方である。しかし義太夫から歌舞伎にも移植された『菅原伝授手習鑑』では、菅公を流す左大臣時平を「しへい」と読んでいるのだ。そのため江戸時代から明治、大正、昭和初期にかけては、「時平」を「しへい」と読むほうが解りよかった。『菅原伝授手習鑑』だけでなく、「時平の七笑」という芝居でも、題の「時平」は「しへい」と読ませている。つまり、史実、というより芝居(あるいは義太夫)の『菅原伝授手習鑑』を下敷きに「角の時平さん」の名前が誕生したのだ。

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不動坊

講釈師不動坊火焔の後家・お滝さんと祝言を挙げることになった利吉が、風呂で浮かれて「梳き直し屋の徳さんは鰐皮の瓢箪みたいな顔をしてます。かもじ鹿子活け洗いの勇さんは鹿子の裏みたいな顔で、東西屋の新さんは、大きな太鼓を腹に載せて町なかをドンガン、ドンガン鳴らして歩いてますが家の中はひーふるひーふる、節季の払いもさっぱり泥買いチャンポンでおますわいなぁ。そこへゆくと利吉さん、あんたは、男前で程が良うて、お金があって親切で、ほんに女子と生まれたからは、こんな殿御と添い伏しの、身は姫御前の果報と……」とやってしまい、徳さんに恨まれることになるのだが、「浄瑠璃語りよった」と、隣の男に呆れられるように、この「こんな男と……」の部分、『本朝廿四孝』「十種香」の場の言葉なのだ。八重垣姫が許嫁武田勝頼の絵姿を見て「もうし勝頼様、親と親との許嫁、ありし様子を聞くよりも、嫁入りする日を待ち兼ねて、お前の姿を絵に描かし、見れば見る程美しい、こんな殿御と添ひ臥しの身は姫御前の果報ぞと、月にも花にも楽しみは、絵像の側で十種香の、煙も香花となつたるか」と言うのだが、その部分を取っている。

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宿屋仇

直接芝居の科白の引用という訳ではないが、源兵衛が話す色事の部分。高槻の藩士小柳彦九郎の女房と間男して、女房と弟大蔵を殺し五十両奪って逐電、というくだり。桂米朝が指摘しているが、近松の『堀川波鼓』から来ている。因幡藩士小倉彦九郎(モデルとなった事件の人物は鳥取藩士大蔵彦八郎)の妻・お種は夫の同僚から恋を迫られる。秘密を知った鼓の師匠宮地源右衛門を口止めしようとしたが、酒に酔った弾みで源右衛門と関係してしまう。噂が立って、お種は自害、小倉彦九郎は京都堀川で源右衛門を討つ、というもの。酒の上の不義密通というモチーフから『堀川波鼓』の名前を使ったものであろう。

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