稽古屋で今度の義太夫の会に『義経千本桜』の通しをやろうと決まったというところから話が始まり、最後も、「これで大入り間違いなし」と、吉野屋の常吉=義経、駿河屋の次郎吉=駿河の次郎、お静さん=静御前、狐忠信=猫のただ飲む、と見立てが入る。これからも解るが、この「猫の忠信」という噺は「義経千本桜』、四段目の切り「河連法眼館」の場のパロディとなっている。
まづ、稽古屋に通っている人間がすべて『義経千本桜』の登場人物の名前。上に挙げた以外で、『千本桜』の人物を挙げてみると、伊勢の三郎(四段目を読むことになっている伊勢屋の三郎兵衛旦那)、片岡経春(「渡海屋」を読むことになっている片岡はん)、亀井の六郎(冒頭に登場して次郎吉にいらんことを云う六さん)。『千本桜』で、落ち延びる義経に付き従うのは亀井・片岡・伊勢・駿河の四人(義経の四天王と呼ばれている)に常陸坊海尊と武蔵坊弁慶。母親の病気見舞いの後で義経に追いつくのが佐藤忠信(『千本桜』はこの忠信が、実は狐と入れ替わっていたという設定になっている)。
そして筋がそのまま「河連法眼館」のパロディ。ここで元になった義太夫の筋を簡単に紹介しよう。
吉野の河連法限の屋敷に匿われていた義経の所へ、佐藤忠信が来たと知らせが入った。伏見で忠信は捕らわれそうになった静御前を助けたので、そのまま義経が静御前の護衛に付けていたのだ。その忠信がやって来たと聞いて早速義経は召し出した。早速静の様子を聞く義経だったが、忠信は母の見舞いを済ませた後、自分も病気に罹っていた、やっと治ったので吉野へ急いでやって来た、静御前と同道したはずがないという。義経は、忠信がさては裏切って、静御前を兄頼朝の元へ引き渡したかと疑い、取り調べるよう家来に命ずる。と、そこへ静御前到着の知らせが入る。静を通したところ、静の云うには館へ着いたとたんに忠信が消えたということ。義経のそばにいる忠信を見て驚くばかり。忠信を去らせた義経は、静に道中何かおかしなことがなかったかと訊く。そういえば、と思いついたのは、忠信は義経に与えられた初音の鼓の音を聴くと、酔ったようになる、それが気味悪く思った。そして道中忠信とはぐれることがあったが、鼓を打つと忠信がどこからともなく現れるということ。義経は静を部屋に一人残し、鼓を打つように命じる。
鼓を打つとどこからともなく忠信が現れる。静に刀で追われ、問いつめられた忠信は、その鼓に張られた狐こそわが両親、自分は鼓の子であると云うや狐の姿に変じる。鼓を慕った子狐が、佐藤忠信の姿を借りて静御前と鼓とともに吉野まで来たのだ。本物の忠信が現れ、自分故に疑いを掛けられたのは申し訳ないと狐は姿を消す。子供と離れた悲しさからか、鼓はいくら打とうと音が出なくなる。
自分は実の兄に追われているが、獣でさえ親子の情愛がこんなに深い、それに感じた義経は、狐に鼓を与えることにした。狐は討手が来たことを告げに義経の所へ戻って来たが、義経から鼓を受け取った後、やって来た討手を神通力で退散させ、空へと飛び去って行った。
歌舞伎では狐忠信が階段の中から突然現れたり、館の欄干の上を歩いたりする。市川猿之助の型だと、欄間からも現れ、最後には花道上空を宙乗りで飛んで退場する。人形浄瑠璃でも、最後に狐が宙乗りで飛び去る型がある。
さて、この「河連法眼館」の筋を見れば、落語が、いかに見事に換骨奪胎してパロディを作ったか充分に理解できよう。吉野屋の常吉が二人いて、それが疑惑の元になる点、稽古屋で常吉を見た後、長屋へ帰ったらもうそこにいるという所など、単なるモチーフを借りたというだけでなない。
そして、圧巻が猫の科白。
偽の常吉が稽古屋のお師匠さんと酒を飲み交わしているところへ本物が乗り込み、「正体見せえ!」と偽物を煙管で殴る(ここで、歌舞伎さながらにツケが入る)。偽物は「申します。もーーします。頃は人皇百六代。正親町天皇の御宇、山城大和二カ国に、田鼠(でんそ)といえる鼠はびこり、民百姓の悲しみに、時の博士に占わせしに、高貴の方に飼われたる、素性正しき三毛猫の、生皮をもて三味に張り、天に向かいて弾くときは、田鼠直ちに去るとある。わたくしの両親は、伏見の院様の手許に飼われ、受けし果報が仇となり、生皮剥がれ、三味に張られました。そのときはまだ、子猫の私、父恋し、母恋し、ゴロニャンニャンと鳴くばかり。流れ流れてその三味が、ご当家様にありと聞き、かく常吉様の姿を借り受け、当家へこそは入り込みしが、アレアレアレ、あれに掛かりしあの三味の、表革は父の皮、裏革は母の皮、わたくしは、あの三味線の、子でございます」というなり猫になる。
この部分、完全に、正体を見顕された偽忠信が狐に変じて云う科白のパロディになっている。元の義太夫での科白は「今日が日まで隠しおおせ人に知らせぬ身の上なれども、今日国より帰ったる誠の忠信に御不審かかり、難儀となるゆえよんどころなく、身の上を申し上ぐる始りは、それなる初音の鼓。桓武天皇の御宇、内裏に雨乞いありし時、この大和国に、千年功ふる牝狐牡狐、二疋の狐を狩り出し、その狐の生皮をもって拵えたるその鼓、雨の神を諌めの神楽、日に向うてこれを打てば、鼓はもとより波の音。狐は陰の獣ゆえ、水をおこして降る雨に、民百姓は悦びの声を初めて上げしより、初音の鼓と名づけ給う。その鼓は私が親、私めはその鼓の子でござります」となる。
ここで狐忠信は「狐言葉」という独特の言葉遣いをする。単語の語尾を思い切り伸ばしたかと思うと今度は早口に縮める。言葉が伸び縮みするような話し方で、落語の猫も「狐言葉」を使っている(同じく「狐言葉」を使った落語の例に「七度狐」がある)。
一般に芝居噺といえば、登場人物が芝居の真似をしたり、「本能寺」のように芝居を一段上演するものが多いが、こういった芝居噺、芝居や浄瑠璃そのものを下敷きにしている噺というのも、また興味深い。
ちなみに、この猫の生い立ちについて、よく考えれば妙な所がある。遺伝子の関係から、通常、三毛猫に雄のものはいない。わずかな確率で雄の生まれることはあるが、その場合、雄の三毛猫には生殖能力がないのだ。この猫の父親が誰なのか、気になるところではある。
余談ながら。正親町天皇(1517〜1593)は第106代天皇。それで猫の「人皇(人の世の天皇の)百六代」という科白となる(揚げ足を取れば、正親町天皇の時代には、まだ三味線は発明されていなかったのだが)。「田鼠」は、一般にはもぐらの意味。また、「時の博士」の「博士」は陰陽師のこと。やや解りにくい表現なので、説明する次第。