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□ 京都市内における野生メダカの生態調査 □



コラム「高野川アルカリ性の謎」

 私たちの調査ではどんな生き物がいるかだけでなく、パックテストを使った水質測定も行っています。そして、その中で不思議に思うのは、いつも高野川が強いアルカリ性を示すことです。この原因について探ってみました。

  川にアルカリ性のものを流す行為でまず思い当たったのが「友禅流し」です。染めの行程の一つで反物についた余分な染料(アルカリ性)を直接川の流れにさらしながら洗い落とすもので、鴨川での友禅流しはかつて京都の風物詩にもなっていました。何か関係があるかもしれないと思い調査を進めました。

 そして、左京図書館で地元の人たちが編纂した「養徳学区50年史」という本を見つけました。その第6章「広巾友禅業の展開」には次のような記述があります。「かつて、付近で捺染された友禅柄は高野川の水で洗われて河原で干された。しかし生産工程の変化と、なにより水質汚染による公害防止のため、近頃は全くみることができなくなった。」

 やはり、かつては高野川でも友禅流しを行っていたようです。しかし、それは水質汚濁防止法が施行された1961年までとのですから、その汚染が現在までこびりついているというのはちょっと説得力に欠けます。

 そこで、本に紹介されていた工場の分布地図をたよりに現在のようすを見に行ってみました。すると、高野界隈(かいわい)には今でも染色関係の工場が多数存在することが分かりました。中には当時の面影をそのまま残しているものもあります。

 さらに、本題から少しそれますが、現在、高野住宅として知られる大規模な団地群はかつての鐘淵紡績の工場跡地であることも分かりました。なんと、この地域は立派な繊維工業地帯だったのです。日本の産業構造の変化にともなって、その姿はずいぶん変わってしまいましたが、一部は今も脈々と受け継がれているようです。

 ということは、現在まで続いている染色工場の排水は、ある時期までは直接川に流れ込み、その後は合流式下水道の雨水放出とともに川に流れ込んでいたと考えられます。やはり、高野川の強アルカリ性は染色工場の排水が原因なのではないでしょうか。(参考までに、こんなお願いも出されています)

 それにしても、自然科学系だと思ってきた野生メダカの調査を通じて、地域の歴史や産業といった社会科学的な一面に触れることにもなったというのは、たいへん面白い経験でした。



年に一度だけ再現される友禅流し

かつての面影を残す染色工場

鐘淵紡績工場の正門の写真